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「寄付」ってなんのためにするの?優位に立つためなの?

「もう寄付はしません。二度と連絡をしてこないでください」

多くの人たちからの寄付で成り立っている私たち団体の元へ一通の

メールが届きました。

原因は「メールの返信が遅かったから」でした。

「もう少し早くメールの返信をできていたなら・・」

4年前、任意団体を立ち上げたばかりで多くの問い合わせ対応や

外回り、講演などで超多忙を極めていましたが、「忙しい」は

言い訳にもならなかったショッキングな出来事でした。

「寄付される側は弱い立場にいるんだ」

その時、団体が置かれている立場を考えました。

と、同時に自分がヨガの関係で行ったインドのことを思い返しました。

寄付の文化には宗教の信仰心が深く関わっていると言われています。

7年前、インドのヨガアシュラム(道場)に立ち寄りました。

インドでは貧富の差が激しく、そのアシュラムでは朝昼晩

毎回100食以上の食事が振舞われていました。

地元の人や観光客などで溢れかえるその場所では食事料金はドネーション

(寄付)とされていました。

観光客だった私は食事代に少しだけ色をつけてそのアシュラムに寄付を

させていただきました。

寄付文化において宗教は深い関係があるようです。

「現世で徳を積むと来世に反映される」という考え方もあれば

義務的に寄付をする喜捨の考え方もあります。

宗教によって多少なりとも考え方は違うようですが寄付は当たり前の

ようにされているのです。

私は日本人であり、特定の宗教を信仰している訳ではありません。

ただ、インドのアシュラムへの寄付は当たり前に自分ができることを

したのです。

その寄付とともに納めてきたのは、食事を提供してくれたことに

対する感謝の気持ちと多くの人たちが集うその場所がこれからも

続いて欲しいという気持ちでした。

現在、私はNPO法人の代表をしています。

私たちの団体は沢山の個人サポーターの方の寄付や企業の助成金で

子どもたちの居場所を維持できています。

感謝の気持ちでいっぱいです。

私たちは寄付されたお金を自分の時間と身体を通して子どもたちに

届けています。

寄付されているサポーターの皆さんは私たちを通してその心のこもった

お金を子どもたちへ届けて欲しいと思ってくださっています。

そこには決してどちらが優位という関係性ではなく、ともにこの団体を

維持し、子どもたちを見守っているのだという一体感を感じています。

自分にできることをする。

それが他人のためであり、自分のためでもある。

私たちの団体は

自分の身体を動かしてボランティアされている方々

資金面からサポートしてくれる方々

全ての人の力が集まって成り立っています。

寄付はお金だけではなく、自分の気持ちを提供することでもあるのです。

それは自分の心に豊かさを与えてくれるものなのだと思っています。

「寄付ってなんのためにするの?」

それはきっと自分の心を豊かにするためにするのかもね。

今だから言えることがあるのです。

よろしければサポートをお願いします。 子ども達の居場所改装費用として使わせていただきます。