仕事とは一体なんなのか

スタンフォード式人生デザイン講座

これの演習で仕事観について30分で振り返ってみようという物があったのでせっかくなのでnoteでも公開してみる

仕事とは何か?

コトバンクによると

[名](スル)《「し」はサ変動詞「す」の連用形。「仕」は当て字》
1 何かを作り出す、または、成し遂げるための行動。「やりかけの仕事」「仕事が手につかない」
2 生計を立てる手段として従事する事柄。職業。「将来性のある仕事を探す」「金融関係の仕事に就く」「週の半分は自宅で仕事する」
3 したこと。行動の結果。業績。「いい仕事を残す」
4 悪事をしたり、たくらんだりすること。しわざ。所業。「掏摸(すり)が集団で仕事をする」
5 《「針仕事」の略》縫い物。裁縫。
「お前急に一つ―をしてくれんか」〈紅葉・多情多恨〉
6 力学で、物体が外力の作用で移動したときの、移動方向への力の成分と移動距離との積。単位はエネルギーの単位ジュール、その他ワット秒・ワット時など。

自分のイメージにしっくりくるのは、1番

必ずしも金銭と結びつくようなものではないなぁというイメージがある

何かを達成する、作り出す時に必要な行為一つ一つが仕事

例えば、ある集団でキャンプやろうってなったときに、「あ、じゃあ俺火起こすわ」「じゃあ、私は野菜切るね」「じゃあ米洗ってくる」「テント立てる」

みたいな一個一個が仕事

ソロキャンプだったらこれらを全部自分でするけど、結局それも仕事

並列か直列かってだけの違いか

これが、社会全体に広まってるようなイメージを持っている

結局役割分担して「あ、じゃあ自分これやりますわ」って分担していってる

で、その時にその集団なり社会が何を達成しようとしているのか、作り出そうとしているのか?が結局大事なのでは?

何故仕事をするのか?

仕事が「何かを作り出す、または、成し遂げるための行動」なのだから

答えは、「何かを作り出す」か「成し遂げる」ためである。

何故、「何かを作り出す」あるいは「成し遂げる」必要があるのか?

と考えると

生きていけないからだと思う

人が生きていくためには、食糧を確保しないと餓死してしまう

基本はそこだと思う

じゃあ全員で食料確保のために同じことをやりますか?っていう話なのかな

例えば、「米作り」って考える

全員で手作業で田植えして収穫してってやらずに、田植えが効率化できるように周辺道具をこさえたり、快適に暮らせるように家の設備を充実させたりという所もやったらええんちゃう?

みたいな

その時に、直接米作ってるわけじゃないけど、家にテレビ作っておいてあげたんやからお米食べさせてねという交換が発生する

ほんで、それがどういう事をしたらどれくらいお米渡したらええんや・・

っていう物々交換がよくわからんから、お金っていう統一の指標作ろう

みたいな話だと理解している

なので基本的には生きるために「何かを作り上げる」なり「成し遂げる」なりして、おまんまをもらうことが仕事をする理由なのではないかと考える

仕事はなんのためにあるのか?

「何故仕事をするのか」との違いがよくわかんないけど

「何かを作り上げたり」、「成し遂げる」のに必要だからとしか言いようがない気が・・

何もしなかったら何も生まれないんだから、そのために必要である

逆に言うと、「何かを作り上げたり」、「成し遂げる」ために必要じゃないのであれば、その仕事は存在する必要がないと言えるのかもしれない

「存在する理由が明確にある仕事」と「そうではない仕事」があるのかもしれない。

自分が関わってきた仕事は、「これやってまじでなんになるんだろう?」って思うような仕事はあまりなかったというか、そういうのはできるだけやらないようにしてきた

が、人によってはそういう疑問を抱えながら仕事をしているということがあるのかもしれない

そういう仕事に関しては、「何かを作り上げる」あるいは「成し遂げる」のにどう関わっているのか?を真剣に考える必要がある

自分の想像力が足りてないだけということがあるのかもしれない

例えば、「穴をほって隣に山を築き、穴が掘り終わったら今度はその山の砂を穴に埋める」これを繰り返す仕事を考えると、一見無意味に思える仕事かもしれないんだけど、全世界にその様子が中継されていて、それを見ることが楽しみで生きる気力にしているという人がいて、その人が成し遂げようとしてることに一役買っている

みたいなことがあるのかもしれないし、ないのかもしれない

なんせ、考えるしかない

あなたにとっての仕事の意味は?

自分にとっての仕事の意味は、上で書いたのとそんなに変わらないんだけれど

ここでは、もう少し具体的な話をする

上で何故仕事をするのか?という答えとして「生きるため」と書いた

それと、自分が今何故仕事をするのか?というのの答えは何かずれている気がする

ここで言う仕事は、広い意味での仕事というよりは、普段自分たちが仕事と指す意味での仕事

生きることを直接意識して仕事してるか?っていうと余りそんなことはない

かなり遠い関係になっている

本来的には「生きる」ことが目的だったはずなんだけど、十分に国が豊かになった結果、「生きる」ことだけを目指すのであればそこまで頑張って仕事する必要はなくなっていると考える

「何かを成し遂げるたい」のは生きるためだったんだけど

生きるために必要な「成し遂げなければいけないこと」は小さくなっている

けれど、それじゃ面白くないから、「成し遂げること」自体が目的となってきている

じゃあ何故自分は「何かを成し遂げたり」「作ったりしたい」のか?

自分が楽しい、あるいは貢献感が得られるからとしか言いようが無いかもしれない

それか、その道中である仕事自体が楽しいからといえる

これはエネルゲイア的な生き方と言える気がする

よい仕事や価値ある仕事とは?

一見すると高い報酬が燃える仕事が価値が高くて良い仕事っぽいけど

もはやそれを得ること自体に対した意味はなくなっていると考えられるので

「よい仕事」や「価値ある仕事」というのは自分が決めることになってきている

つまり、仕事自体に自分がどのような意味を見いだせるかどうか次第であり、他者からの評価で「いい仕事をしたね」とか「素晴らしい仕事してくれたから破格の報酬を払いますね」

というのは、もう違うんだろうなと思う

誰もが、そんなことやってなんになるの?って思っていても自分だけは「これすっげー意味がある」「めっちゃ面白い」って思ってたらそれはとても価値ある仕事だと思う

お金と仕事の関係は?

「生きるために」必要なのが仕事であるというのが前提だと思う

仕事がお金に変わり、生きるにつながる

という関係性

ある仕事に対してどれくらいのお金が支払われるか?という観点は結局の所需給のバランスでしかないんだろうと思う

お金に変わらない仕事もあると思う

ボランティアなんかもそうだし、BBQで火を起こしたりするのもそう

ボランティアはしたことがないので、コメントできないけれど

お金をもらえない仕事を自分が何故するか?っていうと

貢献感や喜んでもらえるというのと、さっきも言ったように、それ自体が楽しいからやる、やりたいと思うってことかな

経験、成長、充足感と仕事の関係は?

お金って観点でいうと、経験や成長があれば、それだけ難易度が高い仕事がこなせ、そういった仕事は供給が少なく、より大きなお金をいただける

楽しさ、面白さっていう観点でいうとより難易度が高い仕事を達成できたときは充足感が得やすいという意味で、そういった仕事をするために経験や成長が必要

自分としては、より難易度の高い仕事をできたほうがきっと楽しいだろうっていうのと、自分ができなかったことができる様になったらそれ自体が成長実感があり楽しい

後、これやりたいなぁ・・って思った時に、やれる方法が思いつける様になったりササッとこなせると万能感が得られてとても嬉しいだろう

そのために42Tokyo通ってるという話をかいた

楽しいことをやれるようになりたいというので成長したいと思っている

結果としてもらえるお金も増えるかもね〜ぐらいで考えている

まとめ

仕事は何かを「成し遂げる」「作りあげる」ために存在する

仕事は生きるためにある

生きるための仕事が満たされた先にはそれ自体を楽しいと思う領域になる

価値がある仕事とは、自分自身が価値を見いだせるかどうかということであり他者評価としての価値はあまり関係がない

仕事とお金の関係は単に需給のバランスってだけ

経験や成長は面白い、楽しい仕事をするために必要である


そんな感じか

A4、1枚でまとめろと本には書いてあったがいつものように長くなってしまった。 

このようなことを考えるのが好きで、そういうpodcastをやってたりします。

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