昨日からの雨、そして依然として強く吹いている風が少し恐怖に感じている人間ではある。でも、神様が現れる際も不思議なことが起こるということだったので、主の御業も起こる時ってこんな感じ? みたいな感覚になっている。今日は少し主が休息を取れ! と話されている気がして、また皮膚にも少し汗疹的な症状が出始めたので普段の聖句共有から離れ、色んな信仰的な出来事を振り返りたいと思う。
最近zoomでの分かち合いが増え、色んなクリスチャンと交わりを持つようになった。そして、色んな背景を持つ方と触れ合いを重ねることで、私もそんな1人のクリスチャンだったんだな、と痛感する(前に話した内容に思い出した内容も加えるのでボリュームはこっちの方がある気がする)。
そもそも
私は先週の記事にも書いた通り、クリスチャンファミリーで育ったわけではない。祖父が戦争付近に同志社大学で学びを受けていたこともあって、クリスチャン教育を受けているのではないか、と思うわけだが2004年に他界した(数年前から脳梗塞を患っていたので詳しい話は聞いていない)ので、聞くこともできない。ただ、実家には家族に秘密で購入した同志社大学の礼拝堂を模したオルゴールがあり、死後父が仏間に出し、祖母が色んな清掃をする際にかけていたそんな思い出である。
私は岐阜県大垣市に生まれ、高校卒業まで暮らした。大垣市という土地は物凄く仏教、しかも浄土真宗系の強い地域で他の宗派さえあまりいない環境だった。そんな環境だったからか、私は漢字が好きになり、読経をしながら訳も分からず読んでいた。小学校の夏休み、ラジオ体操の後はお寺でお経を習いましょう、なる行事が行われていて熱心な方は親子連れで行っていたが、私は家にお見えになるお坊さんの話で十分と、親に説得されていたので行ったことがない。だから、お経は読めるけどこれどんな意味? 状態だった(漢字の勉強として小学校の自学自習ノートに写経した思い出もある)。
筑波大学に入学し、人生初の引っ越し、一人暮らしが始まった。そんな私だったので、周囲がここは危ないという認識が全くなかったので、同じ浄土真宗系の新興宗教に入りそうになった。当時iPadを用い、伝える活動を行っていた私は言葉巧みに引っ掛かり、4月のサークル新歓時期をこれに捧げることになった。その時に行われていたものは、お経の教えを教えてくれる方や、筑波大学の先輩方と食事を囲みおしゃべりするそんな会だった。私はテレビゲーム禁止令を実家生活の間ずっと敷かれている状態だったので、Wiiというものに触れる機会はそこが最初だった。あまりにも楽しかったので、ここは普通の生活に戻りたくないとさえ思ったほどである。
私は大学入学時に母親と毎晩10時に電話連絡を入れるというのが決まりだった。ただ、前述の新興宗教の中で10時は早い時間帯であったので、しょっちゅう母親との約束が守れなくなっていった。その母親が不審に思い、事の仔細を聞いたため、私も当時は母の前では嘘は確実に通せないというのがわかっていたので、すぐに打ち明けた。その時母親は家に来るお坊さんに聞いてみて、どんな団体か尋ねる、ということで落着した。
その後GWになり、私が帰省をするとその新興宗教関係者に漏らしたところ、「親にはあくまで秘密で」と言われてその不安は現実のものとなった。母の結論はその団体について知っているお坊さんが(母の)実家のお坊さんで、偶然GWにお経を読みに来られるから、その時にでも話を聞いてみたら…という話になった。その日になり話を聞いてみると、なかなかにハードな新興宗教で、今の状態だったらまだ大丈夫だけどこの後そのハードな面が見え隠れするから脱退した方が良いという結論だった。そして、私には秘密で母が大学の学生課に連絡を入れていたみたいでGWが終わった翌日に、母と学生課を訪れる手筈になっていた。そして、そのGW中に脱退することを決め、当時私はガラケーで連絡をしていたので、携帯の電話番号等その団体関係者に教えていた連絡先をすべて変更することになった。
学生課では、こういう学生が後を絶ちません、という話を話された。そして、どういう手法だったのか、また同期がいたのか、という話まで学生課に話した(後日その学生は学生課に呼び出され、新興宗教の旨を告げられ脱退したそうである)。その後、学生課は一段と徹底するために学内での端末を使った宗教勧誘の禁止を書いた貼り紙を全学に掲示することになった。
その後
サークル活動は結局新歓時期を逃したこともあり、どこのサークルにも所属せず学生生活を送った。その時からSNSは私の身近にあったので、動画をネットで眺めるのが中心だった。従って大学の講義以外の時間、同期と過ごす時間が極端に短く、1人で行動することが多かったため、人間関係でトラブルが起こりやすかったのかな、と思っている。
大学在学中は母との「約束」は継続していた。そう、10時の電話である。毎日10時になると電話がかかって来て、1日にあった出来事を話すという内容の1時間程度の電話で、だいたい母親が1人でしゃべっていることが多かった(私は聞き役に徹しているという意味)。電話をしなくて良い日は、私が野外研修で宿泊があり、同じ部屋複数人いるという理由がある日や、母が翌朝早く出なければいけなかった日、母と会う約束の日くらいしかなかった(因みに母とのこの「約束」は週1、日曜日の22時半~30分程度)。
大学卒業研究の間に自分の担当教員と人間関係トラブルになり、一時期ゼミ室に行ってなかったことは前回書いた通りだが、もちろんその間も母から電話連絡を受けていた。その際、何の話をしている時だったのか覚えていないが、神学と言うワードが出た日が1度あった。よく思い返すとその翌日、あのKさんと出会った日だったような気がする。
Kさんとの出会いはここでは割愛し、詳しくは先週のを見てください、としておく。ここでは前回省略した教会での学びについて共有したいと思う。
2016年2月
私としては初となる教会に海外からゲストが来た。
このダンスチームが教会に来訪してからというもの、牧師先生の私の見方が洗礼を受けたらダンスメンバーに入って欲しいというものだった。だが、私はこんなダンスは経験がなかったし、そもそも興味がなかったので否定的な感じであった。私は洗礼を受けた後の自分は中学生の時に所属していた合唱部の経験から聖歌隊が一番という見方が普通だろうと思っていた。
私は地元にいた小学1年の6月から(6歳の6月から始めた習い事は成就するとか…という話を聞いた母の助言通り)高校3年の3月(地元を離れる直前)まで日本舞踊を習っていたことは結構知られている話だろうと思う。だが、日本舞踊は歌詞で振りが決まっていたりするので、上のような繰り返すダンスもないし、そもそもこんなにテンポが速い曲もないので、戸惑いしかなかった。だが、牧師先生の言われることが絶対との意見が当時はぬぐえなかったので、ダンスチームに入ることにしようという思いに少しずつなってきたのである。
3月から5月、洗礼準備クラスが始まる前まではごく平凡の信仰生活を歩んでいた。
洗礼準備クラスを受講
今も私の教会では春のイースターの時期と12月のクリスマスの時期に加え、7月下旬、もしくは8月上旬の年3回、洗礼式が行われている。私が受けた2016年は7月31日に洗礼式があった。その前には教会側が用意した古い洗礼準備クラスの教材を用い、牧師先生の奥さんである伝道師先生を講師に、少し学んだ記憶がある。ただし、これが結構、今思えば酷だなと思っていて平日の昼間に行っていたのである。土曜日にして欲しいと頼んだことがあるが、土曜日は色んな奉仕があるので、と断られたのである。私は大学の近くに住んでいるが、聖書勉強のために大学よりも最寄駅よりも遠い教会に毎週(平日に)行くようになった。
あまり学業について触れていなかったのでここで記しておくが、その年の3月卒業で同期は通常であれば卒業という形だったのだが、私は履修単位不足のため、大学は卒業できなかった。つまり、洗礼準備クラスを受けつつ、大学にも通っていたのである。
話を戻そう。教会には午前中に行き講座を聞いて、昼は牧師先生や伝道師先生、教会にいる時間のある先輩方と食事の交わりをしていた。その時の記憶はそれくらいのもので、何を話していたのか等はほぼ覚えていない。
海の日
2016年は教会のイベント事を覚えるのも大変だった。祝日という祝日には教会で何らかの行事があり、みんなで一緒にいろんな場所に行くこともした。その中で少しずつ自分が教会に通っていることをSNS等で流すこともし始めた。というか、この海の日海水浴イベントでは知人の撮影した写真で良い写真があったので、それをアピールするつもりではあった。
そもそも海なし県、かつ夏休み課題を真剣にやる人間だったため、海水浴の思い出も全くなかった。だから、教会で行く海水浴は新鮮だった。凄く記憶している。だからといってその写真はここでは公開しない。
バイブルキャンプ
洗礼準備クラスも受けていたのだが、もう1つのバイブルキャンプが翌月に控えているため、その準備もあって教会内が慌ただしくなってきた。当時夏のキャンプは野外でテントを張って、野外で礼拝するというものだったため、その礼拝するための大きなテントを建てる必要があった。正直男手がいるものだったので、洗礼前ではあったが私はその奉仕に参加し、今まで経験したことのない、色んな教会の方との共同作業に非常に興奮したものである。また、そのキャンプの場所が静岡県でつくばから車での大移動を何度もすることになり、つくばを出るのが朝早くに、帰ってくるのが夜遅くになった。当時私はそれでも移動中は一睡もしないというのが取り柄だったので、車の助手席で運転手の話し相手を常にしていた。因みに私は今も運転免許は持っていないので、車を運転することすらできない人間である。
洗礼式前日も実はその奉仕のため静岡県入りをしていた。だいたい、洗礼式前日はそういう奉仕はしないもの、と言われてはいたものの私の中で奉仕が好きになってきていたこともあり、毎回参加していた。すると奉仕の現場で色んな教会の方から「洗礼おめでとう!」と声が掛かったので非常に感謝だった。
洗礼式を終えて私は実際にダンスチーム「Joyful」の一員になった。その最初の舞台が、そのバイブルキャンプのつくばダンス奉仕の時だった。
その時に踊ったのが上のダンス。簡単な振り付けだったので、参加者全員で踊ったのはいまだに記憶が鮮明である。
今日のnoteは先週と同じ雑記というまとめ方をした。聖句共有ではないので、私としては需要があるかどうかはわからないが、今までの信仰の歩みを少しずつ振り返っていきたいと思う。案外私の知人には聖句共有よりこういうのが気になる方も多いので、ここから何回かはこういう記事ばかりが出ると思うので、是非読みたい方はフォローやスキをお願いします。
聖句共有もしていくかもしれないので、次の聖句共有までは先週と今週の聖句共有マガジンで復習してください。
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