田舎の未来に思うこと

新聞の投稿欄。
 新聞を読む習慣がなくなってはや数年。ネットニュースで十分だろうと思っていたが、そうでもなかった。新聞には新聞の良さがあったことを先日実感した。ネットニュースは、見たいニュースを見るとそれに関連するニュースを自動で選んでくれるから、見たくないニュースの本文を目にすることはなかなかない。一方、新聞は見出しに引き続いて本文がだーっと書いてある。見ようと思っていない記事が目に入るので、思いがけず新たな発見ができる。自分の殻の外から得た刺激は楽しく、考えるきっかけにもなって楽しいものだ。
 今回気になったのは、投稿欄。地方紙を見て前々から思っていたことは、投稿者は高齢者が圧倒的に多いこと。次に10代だが、かつては若者専用の枠が設けられていた様に思う。問題なのは、生産年齢世代の投稿が圧倒的に少ないように感じる現状だ。社会を回す世代の訴えはあまりにも多いが、とてもじゃないがあの短い文章には収まりきらない。内容も、ほとんどが会社や社会に対する不満だから紙面的に暗くなってしまう。大体にして忙しくて、投稿しようとする時間や手間など確保できないだろう。この世代の犠牲や努力によって全ての世代が生活できているというのに。

 実際に投稿された内容はこうだ。一言一句は覚えていないが、覚えている限りで書き出してみる。

投稿の例を漠然と その1


 80代後半男性、無職。
 お正月に息子さんらと温泉に行ったとのこと。骨が弱っているから転ばないように日頃から気をつけておられたそうだが、転んでしまわれた。息子さんは明日消防に連絡する、とおっしゃられた。そして翌日は休日。息子さんに連れられて投稿者さんがやってきたのは消防ではなくて病院、息子さんが休日の当番病院を探してきたのだと。投稿者さんは、息子さんの機転の利き具合と優しさに一度ならず涙がでる(ほど嬉しい)思いだった。という投稿。
 この年齢の方に職業を書かせる必要性とは何なのだろうか。それにしても、この短文によくぞここまで突っ込みどころを盛り込めたものだ。御高齢の投稿者さんが転ばないように気をつけてさえいれば転倒を防ぐことができるという発想自体が厳しいものがある。それ以上に、息子さんがなぜ翌日まで待てるほど緊急性がないと判断したのに消防に連絡しようと思ったのか、休日に当番病院を探すのは当たり前田のクラッ...皆まで言うのはよそう。この投稿は息子さんの優しさを読者に伝えたいのかもしれないが、全くもって投稿者さんのリハビリだろうよ。

投稿の例を漠然と その2 女子高生


 高齢者の自動車免許返納問題について。高齢者の免許返納は安全性を確保するために必要だと議論がある。しかし女子高生のご自宅周辺では高齢者が多く、車以外の移動手段を確保することが難しい。バスの往来はたまにしかなく、日用品の買い物は移動販売でしかまかなえない。女子高生ご自身も駅までの送迎をおばあさまに依頼することもあり、おばあさまが運転できないとご自身も移動できなくなって死活問題である。地方在住の高齢者に対して免許返納とか言って安易に移動手段を奪うでない、という様な主張。
 女子高生よ、意見を述べたことがまず素晴らしい。内容を否定するつもりはない。この議論に対しては確かに様々な意見がある。世間の多くは昨今の上級国民をはじめとした度重なる高齢ドライバーの行いを受けて、「高齢者は運転免許を返納すべき」という意見が主流である。代わりの交通手段を確保する必要があるという意見もある。正解のない問題はこの世の中にあふれている。今回だってそうだろう。だから女子高生よ、自分で考えた意見だけが全てではないということをこれからぜひ学んで頂きたい。今の時点で分かっていないのはおかしい、とは言わないしむしろ普通だ。おそらくはあなたが生きてきた10数年の時間の先でぶち当たり、学ぶにしかるべき課題だからだ。

たくさんの意見があるということ


 自分の意見と別の意見を持つ人がいて、その意見は自分の意見と同様多くのひとから支持されている可能性があるということ。自分の意見を認めさせたければ、まず他者の意見を吟味する必要がある。敵を知るのだ。時にはその正当性を認めて相手方に伝える必要がある。公平に考えることができることを分かってもらえれば他者から信頼してもらいやすくなるし、良い意見は取り入れていかなければ改善など望めないからだ。
 正解の存在しない問題に対し、皆で協力して結論を出さなければならない瞬間はたくさんある。女子高生よ、繰り返すが意見を述べることは素晴らしいことだ。ご自身の意見と違う意見があることを、今の投稿を拝見する限りご存じだと思うが、これからも意識して欲しい。そして冷静に向き合って尊重できる大人になって欲しい。大人の中には他人の立場を尊重できないのがたくさんいる。そんな風にはならないで欲しい。だからお願いだ、大人になるまでの間、どうかグレ(タ)ないで。

投稿者という集団


 新聞における投稿者という集団を考えるにあたって、バイアスがかかっている可能性を指摘したい。年齢がU字カーブを描くその現象は、印象だが昔と変わらないように思う。比較的若い世代はネットの使い手としてSNSを活用しているのかとも思うが、であれば若い世代の投稿が昔よりも減っていてもおかしくない。電波の飛ぶ量と投稿に相関はないと推測する。あえて新聞を選ぶひともいるだろう。実際に、「投稿を初めてうん十年、これからもがんばりまーす」というおじさまもいた。ラジオにおけるはがき職人といったところか。ラジオ好きと新聞好きは、おそらくエンタメ好きの比較的若かったひとはラジオ、社会派を目指したりハイカラについて行かない高齢者が選ぶのが新聞、といったように棲み分けていたのだろう。全国紙だとどうなのか?読者数が多いほど、投稿者の候補も増えるはずである。全国紙の方が意見の内容に幅を見いだせるのかもしれない。今度見てみよう。投稿された内容の選択に対するバイアスがあったかどうかは、知り得ない。しかし、公平に選抜されたものと期待したい。

結局言いたいこと


 地方紙における投稿は、高齢者のリハビリの場であり若々しい未熟な意見であふれている。大人が感心できるような投稿が少ない現状に、田舎の未来に対して不安を感じる。新聞社側も、質の低い投稿を載せないという勇気ある決断をしてはもらえないものだろうか。しかし、バイアスについて考えた結果、選択の余地がない程この手の投稿しか寄せられていないのではないかと察する。表現の自由は保たれていると信じている。

 教育レベルの低さが根本的な問題だろう。高齢者社会になることは目に見えているのだから、人口の多くを占める様になる高齢者にも秩序を持って欲しいものだが、尊敬できる高齢者は貴重な存在だ。明るい未来はこのような田舎体質に頼っていては望めない。都会も本質は変わらないのかもしれない。優秀な人材や上昇志向があって公平な社会は望めないのだろうか。結局は我々自身が自ら考えて行動し、少しずつでも努力を続けていく必要があるのだろうか。

最後に


 もう一つ投稿を書き留めておきたい。
 消費税増税に触れて、税金を上げても経済は活発にならないからやめてくれ、という趣旨の投稿。ある国は保険加入が任意で健康さえも自らが負担する一方、ある北欧の国は収入の約半分が税金だが社会保障が充実している。国内では増税に理解を示す国民の割合が増えてきて、つまりは社会保障は充実させろ、税金は上げるな、という矛盾した主張をする日本人がようやく減ってきている現代である。何を言おうと自由なのが投稿欄かもしれないが、どうしても言わせて欲しい。
投稿者は、53歳男性、無職。

どうしたことか。

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