猫が欲しいと思うとき

 ペットが欲しいと思ったことが数回ある。その時々で本気だった。結局は実現できていない。お陰様で犬と暮らしてみたいという将来の夢ができた。
私は完全に犬派だと思っていたが、結構猫を推された。人には好みがあるのになぁ…と思いつつ、猫をかわいく思えたきっかけがあった。

 職場の駐車場に真っ白な猫を見つけた時だった。最初に見かけた時、白猫はお腹丸出しで横にべろーんと長くなって寝ていた。猫も犬も飼ったこともなかったが、随分と無防備だなぁ、気持ち良さそうだなぁ…と思いながら見ていた。起きた。お座りの体勢でこちらをじっと見ているが白猫は逃げなかった。それだけですごく嬉しかった。首輪があったかどうか覚えていないが、毛並みがきれいな猫だった。今まで出会った動物はひとを見るとすぐ逃げて行ったから、白猫に受け入れてもらった気がした。
 それから毎日のように駐車場でキョロキョロと白猫を探したが、なかなか出会えなかった。なんとしてもまた会いたいとそわそわ思っていたのを自覚している。次にようやく会えた時は夜の駐車場で、車の下にいた。こちらを見ると外に出てきてじっと私を見ていた。やっと会えて嬉しかった。だが駐車場の赤いランプと共にファーフォーと音が鳴ると、一度びくっとしたがこちらのことはお構いないらしく、私を見なくなってしまった。私はだいぶ寂しくなった。これが自由気ままな猫の本性なのだろうか。
 寂しくなったことで、いつの間にかあの白猫の虜になっていたとこを再確認した。と同時に、寂しくなったことで、それまでの様に白猫にまた会いたいと思ってキョロキョロと駐車場を探すこともなくなった。そして、ペットと共に暮らす生活は、私にとっての非現実に戻っていった。
 そういえば、最初に犬を飼いたいと思った時は冬だった。2回目は猫も良いかと思ったがやっぱり冬だった。思い返せば、犬か猫を飼いたいと思うのはいつも冬だった。責任を持って飼えるかどうかも分からないのに。もふもふによって暖をとりたいのではないか?とも言われたが、これは正しいと思う。冬は何かと寒くなる。
 その次に猫を飼いたいと思ったのは、「ティファニーで朝食を」を観たときだった。映画には詳しくないが、古い雰囲気も聞き慣れない英語の発音も含めて心に響いて良かった。人間ってこんなにも美しいんだなぁ、とオードリーヘップバーンにみとれたりもした。この映画に出てきた猫が妙に聞き分けが良いのだが、それがまた良かった。恋を語る映画において、名もなき猫がハッピーエンドを演出する重要な役割を担っていたのである。この1月、やっぱり冬のことだった。
 書きながら気づいたのは、猫ってかなりの人身掌握術が身についているのではないか、ということだ。色恋沙汰とかいう、得体の知れないふわふわをもふもふが操っている。犬は主人に従うからなついてくれることがうれしくて、守りたいという母性本能がくすぐられるんだろう。メンズにも芽生えうる感覚だから、母性本能という表現はどうにか改善して欲しいと個人的には思う。猫に対する想いは、守ってあげたいとかいう類の感情とはちと違っている様に感じる。私自身、あの駐車場でキョロキョロと白猫を探したのは、得体の知れないふわふわと似た感覚だったと思っている。今となっては、楽しくて貴重な時間だった。

 ところであの白猫は、先日駐車場を通る道路の真ん中でお腹丸出しでべろーんと横になって、ごろごろと遊んでいた。車の気配を感じたのか慌ててしゅっと起き上がってこちらの方向を見たが、私はその様子をみてニヤニヤを堪えきれず楽しい気持ちになった。白猫が私を見ていたかどうかは分からない。元気そうで何より、轢かれるなよ。

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