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あのろくでもない一年

 今年がはじまってもう半月も過ぎようとしている。正月休みはおろか、3連休まで終わってしまった。それなのに、あのろくでもなかった一年を振り返ろうとしているとは何事だろう。

 昨年は本当にろくでもなかった。新型ウイルスの問題以前に個人的な問題が山積みだった。日本という社会では、頑張りたくても頑張れないし新しいフィールドに挑戦することもできない。社会は閉鎖的で組織の中では個人は虐げられるだけなのだから、この国はもう発展しないだろうと悟った。さらに新型ウイルスに追い打ちをかけられて、小旅行を繰り返そうと思っていた目論見はもろくも崩れ去った。新天地を探そうにもできずに終わり、明るい兆しは見つけられなかった。

 一年の締めに、大みそかにだし巻き卵を焼こうと思った。めずらしく自信がある料理だったから、味も見た目も美しく仕上げて納得して、今年最後に良い思い出を残そうと考えた。しかし、この目論見もまたもろかった。今まで見たことがないくらいぼろっぼろの仕上がりになってしまったのが写真からも見て取れる。原因はフライパンの劣化だと思われる。確かに、数日前に余った白身だけで卵焼きを焼こうとしてボロボロにくっついていたが、この時は白身の特性だと思っていた。だがそうではなかったらしい。よりによって安パイだと期待し過ぎていただし巻き卵に、一年の悪を忘れ去りたいこのタイミングで数少ない自信を失くす事態が起こるとは。あに点々と伸ばし棒をくっつけて、自宅にしては大きな声で叫んでしまった。やっぱりろくでもない一年だった。右も左も膝から崩れて肩も落ちた。

 昨年良かったことはなんだろうか。あるには違いない。焼き鳥がおいしかったこと、ほぼドアが開いていて楽しくお話できる飲み屋を知ったこと。犬という仲間を得たことは何にも替えがたく、そうだ紅白歌合戦も良かった。探せば良いこともあるんだけれど、わざわざ探さないと見つけられない。毎日犬と触れ合って楽しんでいるというのに。

 今年になってからも、きっとろくでもない日々が続くのだろうと思う。無性にオムライスが食べたくて出かけたのだが、酸味が強いケチャップライスには鶏肉がひとかけらしか入っていなかった。久しぶりに作ったナポリタンはまずくはないけど美味しくもなかった。買い換えた卵焼き用のフライパンは中央が凸にゆがんで熱伝導も悪く表面がすぐ冷める。さらにまた、新型ウイルスの感染再拡大という闇が迫ってきた。お一人様として微力ながらも飲食とカラオケの経済を救うことができる機会を、確実に意義があると思える自信を、一律の外出自粛と時短営業によって奪われてしまった。皆が正しく恐れて行動すれば良いものを、出来ない人間がいるから敵に塩を送っているではないか。100人近い規模の年越しパーティを開く高齢者など話にならない、やるなら姥捨山でやれば良いものを。ろくでもなさは人間が作っている。そして、ろくでもない人間は世間ではびこることができる。人にやさしくない人が幸せになるのが世の常なのだ、どこまでもろくでもない。 

 誰だ、一年が大みそかに終わると決めたのは。勝手に区切るんじゃないよ、年が変わっても何が変わるもんか。

 こんなことを考えながら、昨年の出来事を思い出した。ある日、広大なスーパーの駐車場の端っこに、ピンクの大きい箱を積んだ軽トラが止まっていた。配達を終えたのか、休憩か、やたらと目立っていた。ピンクの壁には目の大きな女の子が一緒に働こう♪とか言っていて、バニラだかイチゴだか、かわいい絵もフレーズも描かれていた。そこにあるひとつの言葉が目を引いた。

「お金大好き♡」

ああ、生きてるんだな。生きるってこういうことなんだな。

そう思って、あきれた様にはははっと笑ってしまった。あきれたのは自分自身に対して。生きるってこういうことだな、と思いながらしばらく続いた。

 つい先日、またピンクの箱を載せた軽トラックを見かけた。しかしそれはリフォーム会社が宣伝のために走らせていたであろう車だった。とても紛らわしい見た目だったので、これを見て誰がリフォームを依頼したいと思うだろうか疑問に思った。しかし、こちらもまた生きている。生きるとはこういうことだ。

 昨年、一度だけ入ったお店のオムライスはデミグラスソースがかかっているタイプだったけれどとてもおいしかった。今年、思い立って初めて鍋で炊いたご飯はものすごく美味しかった。もう十分どころか贅沢な人生ではないか、今年だって新しいおいしいご飯に出会えるかもしれないのだから。

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