アニメ映画『紅の豚』醜い大人になった呪い
あらすじ
飛行艇を操る空賊が横行していた、第一次大戦後のイタリアはアドリア海。賞金稼ぎの飛行艇乗りであるポルコ・ロッソは、空賊たちには天敵の存在。自分の顔を魔法で豚に変えてしまったポルコを何とかやっつけたいと一計を案じた空賊たちは、アメリカからスゴ腕の飛行艇乗りを呼び寄せ、彼に一騎打ちを迫る。
監督:宮崎駿
宮さんが本当になりたかったものはアニメーターではなく、飛行機乗りだったという話を聞いた事がある。
それが本当であれば、ジブリ作品に飛空艇や戦闘機がたくさん登場するのは、宮さんが空想の中で夢だった飛行機乗りを楽しみたいからなんだろう。
宮さんに限らず、男には戦争に対する本能的な憧れがあると僕は思っていて、人と争う事が嫌いな僕でも、戦争物やアクション映画を観ると血が騒ぎ、祖国や愛する家族、戦場の仲間のために戦う男の姿に感動して、「自分もそういう男でありたい」と願ったりする。
『紅の豚』は僕の兄が一番好きなジブリアニメで、実家にいる時、よく観ていた。
兄も戦争ごっこが好きな人だったから、小さい頃から戦争物の映画に熱中して、戦車や戦闘機のプラモデルを作り、モデルガンなどのミリタリーグッズを集めては、友達とサバイバルゲームを楽しんでいた。
そして高校卒業後に自衛隊に入隊して、念願の軍人になった。
空挺部隊に所属し、パラシュートを着けて空を飛び、実弾を撃って、戦争で人を殺すための訓練をして来た。
ただ兄もポルコみたいに争い事が嫌いで穏やかな性格だから、実際戦争になったら、良心の呵責で敵を殺せないと思う。
家族を守るために渋々戦場に行くとは思うけど、あくまでも兄が自衛隊に入ったのは、真剣に戦争ごっこがしたかったからだ。
本能的に戦争が好きなはずである男たちが、いざ戦争になった時にひより、祖国や家族、仲間のために戦わなかったとしたら、ひどい劣等感を背負う事になるだろう。
そのひどい劣等感を隠すために、プライドだけはやたらと高い醜い大人になる。
「飛ばない豚はただの豚だ」
「良いヤツはみんな戦場に行って死んだ」
そうジーナに吐露するポルコの心情には、ジーナを愛した男たちは、みんな彼女を守るために戦場に行って死に、本物の男、本物の飛空艇乗りになったという負い目がある。
自分だけがのうのうと生き伸び、戦争ごっこという賞金稼ぎでをカッコつけている。
ポルコが豚になってしまったのは、そういう男としての恥と醜さを自覚しているからだと、僕は思った。
豚の姿になった呪いがかかっているのではなく、自分を醜い豚だと思い込んでいる呪い。
それは醜い大人になってしまった自分自身への罰、醜い大人になった自分を戒めるために、自分でかけた呪いだ。
豚になってしまえば、どれだけプライドを保つためにカッコつけても、カッコつかない。
醜い大人になってしまったポルコの自覚や恥じらいの心情は、宮さん自身の心情でもあり、どんなに凄いアニメを作っても、夢だった飛行機乗りにならず、アニメーターになって空想ばかりしている自分は所詮凡庸で醜い大人なのだと、自戒を込めてこのアニメを制作したのかもしれない。
杉田俊介氏著『宮崎駿論~神々と子供たちの物語』によると、宮さんは幼少期の戦争体験で、あるトラウマを抱えている。
宮さんの父親の一族は軍需工場を経営していたらしく、戦争中に「宮崎飛行機」という、末端の軍事工場をフル回転させて儲けていた。
宮さんの叔父が社長で、父親が工場長。
父親は日中戦争の時に一度兵隊として徴兵されたにもかかわらず、部隊が中国へ行く直前に、
「女房、赤ん坊をおいてはいけません、残らせてください」と、部隊長に申し出て、戦地に行かずに済んだ。
部隊長は、ずっと可愛がって来たそんな部下の態度があまりにも情けなかったらしく、2時間くらい泣いて説教をしたと、本書には記されていた。
家族思いではあっても、男としては情けない父親の事情のおかげで宮さんが生まれ、フィオたちが働く女性ばかりの工場のような風景が日常的にある暮らしの中で育つ。
宮さんの戦闘機好きな趣向は、自分が過ごした幼少期の原風景に対する親しみがあるからだと思う。
そんなある日、宮崎一家が空襲の戦火を逃れるために車で移動している途中、「一緒に乗せてください!」と頼んで来た母親と子供がいた。
あいにく車は定員オーバーだったので、宮さんの父親はその母親と子供を救えなかったらしく、その出来事が宮さんに大きな精神的ショックを与え、暗い子供時代を過ごす事になった。
宮さんには戦争体験で傷ついた被害者意識と共に、戦車や戦闘機、戦記物の物語などが好きでたまらない趣向があり、それに加えて自分たち一族は「戦争を逃れ、戦争を利用して儲けた人間たちだ」という、加害者意識と罪悪感もある。
宮さんはそんな曖昧な気持ちを引きずったまま大人になってしまった。
戦争に行かず戦争ごっこばかりして満足しているポルコのような劣等感とプライドが宮さんの中にもあって、それがストイックにアニメを作り続ける原動力にもなっている。
宮さんは、いつもジブリのスタッフに「子供のためにアニメを作れ!」と、言い聞かせて来た。
『紅の豚』はそんな宮さんが、「自分のために作ってしまった!」と、後悔している作品らしく、アニメを私的な所有物にしてしまった呪いを自分にかけてしまった出来事でもあったようだ。
自分が醜い大人である自覚がある人は、みんなそうやって自分に呪いをかけ、それを解消するために何かに打ち込むのかもしれない。
醜くてて愚かでも僕は宮さんが飛行機乗りにならず、アニメーターとしてその類い稀な創造性を発揮してくれた事に感謝しているし、兄がこれから先の人生で戦場へ行く事なく、平和に戦争ごっこを続けてくれる事を願っている。
宮崎駿監督作品はどの作品も好きで、本当に面白い。