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映画『星の子』信じている間は救われる

あらすじ

大好きな父と母の愛情を一身に浴びて育った中学3年生のちひろ。両親は病弱だった彼女を救いたい一心で神秘の力を宿しているという水にすがり、次第に「あやしい宗教」にのめり込んでいった。たとえ親友が疑念を口にしても、ちひろの心が揺らぐことはなかった。

監督:大森立嗣
キャスト:芦田愛菜


「カルト宗教にハマる人たちの気持ちが分からない」

宗教の詐欺ビジネスが話題になると、そんな事を言う人がいる。

「なぜあんなおかしなものに騙されるの?」

教祖の祈りが込められた奇跡の水や、邪気を払う壺など。

見た目にはごく普通の水や壺でしかないものが、教団が提唱するあの世の論理を纏い、法外な値段で信者たちに勧められる。

信者たちはその奇跡を信じ、有り難がって買い求め、不確かな効果を実感する。

この社会の常識や慣習から大きく逸脱しているスピリチュアル系の論理や行動の中には確かにおかしなものもある。

認知に歪みがある障害でもない限り、多くの人はみんなそのおかしさや怪しさに気づく。

でも自分ではどうする事も出来ない大きな悩みや問題を抱えている時に、この世で頼りになるはずの行政や医学が匙を投げ、もう打つ手がない、と諦めたかけた最中、唯一親身になって寄り添ってくれたものがスピリチュアル的なものだったら、人はその奇跡に縋りたくなると思う。

僕の父親がまさにそんな感じで、現代医療に末期癌で3年の余命しかない事を宣告された時、それを覆す理屈を並べてくれる民間療法や神仏の力による解決を模索するようになっていった。

これまで特に気を遣わなかった食生活が、玄米と菜食中心のメニューに変わり、毎朝先祖の仏壇に向かって般若心経を唱える。

そんな父親の姿はとても穏やかであると同時に、多少不安げに見えたりもした。

もともとオカルトやスピリチュアルな類いに関心が薄い人だったから、民間療法や神仏に頼ってはみたものの、やはり信じ切れなかったのかもしれない。

そんな父親に奇跡は起こらず、医者が宣告した余命どおり、3年で忠実にこの世を去った。

でもちひろの家族には、僕の父親には起こらなかった奇跡が起きる。

ちひろの両親が難病に苦しむ我が娘に与え続けた『金星のめぐみ』。

その効果によるものか、それとも偶然的に現れた他の要因なのか定かではないけど、ちひろの難病は奇跡的に回復し、それをきっかけに両親の信仰心は増していく。

奇跡を目の当たりにした両親の下で、ちひろ自身もその奇跡の力を信じている。

ただ家庭と教団から一歩外の世界に出てみると、教団と世間一般との間には大きな価値観のズレがある事もちひろはなんとなく感じている。

そしてちひろたち家族は、教団が推奨する幸福観とは裏腹に、その暮らしぶりを徐々に衰退させ、親族とも疎遠になっていく。

自分に起こった奇跡がきっかけで始まった信仰により、常に穏やかで幸福であるはずの家族が壊れていく矛盾。

ちひろはその事にどこか責任を感じていて、自分たち家族の幸福は自分の信仰心次第で決定するんじゃないか?と、何かを決意したようなラストを迎える。

星の子。

自分が本当にそうであれば家族は救われる。

自分が信じてあげれば家族は救われる。

ちひろに対する両親の愛情。

そしてその愛情にしっかり応えようとするちひろの愛情。

目には見えないそういう感情が物語の中に静かに揺蕩っている気がして、僕はそれこそがスピリチュアルの本質であると理解した。