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アニメ映画『この世界のさらにいくつもの片隅に』意志薄弱でやり過ごす

あらすじ

1944年 (昭和19年)。広島市から海軍の街・呉に嫁いできた18歳のすず。夫・周作とその家族に囲まれ、戸惑いながらも嫁としての仕事をひとつずつ覚えていく。やがて戦況が悪化し、配給物資が次第に減る中、すずはさまざまな工夫を凝らして北條家の暮らしを懸命に守ろうとする。

監督:片渕須直 
キャスト:のん


人間は愚かな生き物だ。

戦争が起きる度にそんな思いが強くなる。

人類はこれまで何度も戦争を体験し、その悲惨さや残酷さを十分過ぎるほど味わって何度も反省して来たはずなのに、戦争は何度も起こる。

戦争を知らない世代に向けて何度戦争を語っても、懲りずにまた戦争する。

ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、中国の台湾有事の可能性も示唆されているような現状で、平和ボケした僕たち日本人にも戦争の気配が近づいて来た。

僕が歴史から学んだのは、人間は歴史から学ばないし、学べないという事。

過去の歴史を掘り返して、それを戦争の口実にしたりもする。

歴史を語れるのは時のインテリ層だけで、活用出来るのもインテリ層だけだ。

世界の片隅に生きている僕たちみたいな人間には歴史を語る資格なんてないし、語ったところで後世には残らない。

僕は人類も世界もただ法則的に動いていて、争っては共存し、破壊しては創造するサイクルを繰り返しているだけだと思っている。

戦争がどんなに理不尽でも法則なら仕方がない。

それがサイクルなら仕方がない、と納得している。

天災、戦争、疫病などの大局的な出来事に自分の人生が巻き込まれる時、僕はすずさんのように意志薄弱とした態度でこの世界の片隅に蹲り、ただやり過ごそうとするだろう。

戦争という現実から意識を遊離させて、悪い夢を見ているような気持ちで戦争という日常を生きると思う。

生存本能に従い、流れと運に身を任せるしかない。

すずさんのように不安と恐怖を思う存分味わって、希望を持たずに必要最低限な暮らしを維持して生きていくだろう。

そして平常時には得られない生の喜びを噛みしめると思う。

これは戦争体験者にだけ与えられた特権だ。

そして生き残ったら二度と戦争が起こらない事を祈り、その祈りを誰かに物語ると思う。

また繰り返す事を知りつつ、毎年終戦記念日が来たら、この世界の片隅で自分の戦争体験を誰かに語り続けると思う。