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小説『人間失格』別格のメンヘラ

あらすじ

「恥の多い生涯を送って来ました」。そんな身もふたもない告白から男の手記は始まる。男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ち犯し、「失格」の判定を自らにくだす。でも、男が不在になると、彼を懐かしんで、ある女性は語るのだ。「とても素直で、よく気がきいて(中略)神様みたいないい子でした」と。ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う、太宰治、捨て身の問題作。

原作:太宰治


私小説。

純文学。

それは要するに愛着障害者が、自分の人生を救済するため、あるいは慰めるために自分の世界観と実感を物語にして綴ったものでしかない。

同じ境遇にある者には共感されるが、違う者たちからは反感を食らったり、異質な存在として危惧される。

書いても読んでも根本的には何も変わらない。

それでも『人間失格』を読んで太宰治を好きになった人は多いと思う。

彼は不安型の愛着障害だから、その要素がある人はみんな太宰とシンクロする。

「これはまるで自分だ!」

そんな感じで運命的な出会いを果たした気になっただろう。

僕も不安型の要素があるから太宰の書くものは好きだし共感する部分は多いから、気休め程度には面白かった。

ただ僕には不安型と混在して回避型の要素もあるから、ダメなわりに要領良く他者に依存する事が出来る不安型の太宰の生きづらさが羨ましかったりする。

太宰はその人間的弱さで人に愛され、人に頼って生きていく生存戦略を選んだ。

「恥の多い人生だった」と物語冒頭で懺悔しておきながら、最後に「とても素直で神様みたいにいい子だった」と自分を持ち上げて開き直る態度には、太宰の繊細さや卑屈さの底に潜む神経の図太さみたいなものも感じさせる。

僕たち愛着障害者は自分の境遇や心情を美化するのが得意だ。

芸術という行為を免罪符にして、世間の煩わしい物事から距離を置き、世の中を俯瞰しながらどうやって他人や社会を利用するか常に考えている。

『人間失格』という卑下は建前に過ぎず、内心は『人間別格』だと、世間を心底見下している。

世のため人のための行為などまっぴらゴメンだ。

僕も太宰も世間に利用されるだけのまともな人間になるつもりはない。

他者や社会を利用して、とことん享楽的に生きていきたい。

そのために自分語りのパフォーマンスを磨いている。

太宰はどんなにデタラメな生き方をしても、人は死んだ人間には寛容になる事を知っていたから、自殺して全てをチャラにした。

自殺というパフォーマンスで見事に社会的弱者を演じ切った太宰について、未だにみんながあれこれ語りたがる。

ネットを開けば太宰みたいな人間なんてゴロゴロいるのに、太宰だけは未だにみんなの人気者。

やっぱり別格のメンヘラなんだな、と思う。

その境遇がすごく羨ましい。