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野性の呼び声 2020年アメリカ

先日、ディズニープラスで「ジャングルブック」を見たばかりでしたので、もしかして本作も、人間の出演者以外全てCGで作られているのかと思って見ていましたが、さすがにそうではないようです。
あの芸達者な動物たちの見事な演技は、全てモーション・キャプチャーで作られているのだそうです。
まあ、しかし犬好きな人にはたまらない作品かもしれません。
僕は、どちらかといえば、猫派なのですが、おそらく猫では映画にならなかったかもしれません。
猫たちは、基本的に自分勝手で、人間には媚びません。
ご主人意識も薄弱で、どれだけ「猫可愛がり」をしても、彼らには、単に餌をくれる人ぐらいにしか思われていないものです。
子猫のうちは、それなりに可愛いですが、大人になるにつれ、だんだんと可愛げがなくなってきますよね。
彼らに興味があるのは、餌の心配さえないのなら、自分にとって快適な場所を見つけて、そこでのんびりと過ごすことだけ。
個人的には、猫たちのそんなマイペースぶりが好きだったりするわけです。
しかし、犬は違います。
とにかく、人に懐くという習性では、圧倒的に彼らに分があります。
人間と上手にコミュニケーションを取るという技を巧に学習しながら、彼らは人間と共存することで、種として生き延びてきたわけです。
当然ながら、人間と相対する時には、さまざまな表情を駆使することも、彼らは覚えてきました。
まさか、本作の主人公バックのような、アカデミー賞ものの豊かすぎる表情は作れないでしょうが、もしかしたら、犬をペットとして溺愛している飼い主たちの多くは、自分の愛犬だって、バックに負けないくらいの表情を、自分だけには見せてくれていると心の片隅で思っているかもしれません。
実際に、あんな表情や演技のできる犬がいたら、ちょっと怖いはずなのですが、飼い主たちから見ればそうは映らないはず。
アニメであれば、考えなくてもいいことを、こういう実写で、映画を作ろうとするなら、やはり「やりすぎ」には気を使うでしょう。
ワンチャン映画の中には、特撮で、動物たちを、アニメ的なカリカチュアをした実写映画も、存在することは存在します。しかし当然のことながら、こういう映画は、例外なくコメディ映画になってしまいます。
しかし、そこはさすがに、ディズニー。
実写版という枠の中で、コメディにはならないギリギリのところで、動物たちの演技をクリエイトしています。
そこは、本作が取り入れているモーション・キャプチャー手法の威力でしょう。
犬が活躍する実写作品というのは、枚挙にいとまがありません。
僕の世代では、テレビドラマの「名犬ラッシー」がありましたし、映画で言えば、「名犬ウォン・トン・トン」なんてのもありました。
「南極物語」のタロー、ジローも感動的でしたし、犬が堂々主演する映画では、「ベンジー」も覚えています。
もちろん、これらの映画は、本作のような特殊映画技術は駆使せずに、比較的演技の才能がある犬たちを、調教師がさらに訓練して育て上げた名優犬たちがキャスティングされています。
ちょっと調べてみましたが、そんな犬が活躍する映画は、かなりありました。
意外と、最近の映画に多いんですね。
しかし、残念ながらそのほとんどを見ていません。
これには明確な理由が二つあります。
中学生の頃から、スケベ系の映画ばかり、漁るように見てきましたので、その経験から、犬が活躍する映画に、エッチなシーンがあるものはほぼないからと敬遠していたことが一つ。
そして、もう一つは、動物や子供の幼気なさや可愛さを意図的に演出して、観客を感動させようという手法は、映画づくりとしては邪道だろうと思っていたこと。
この二点です。
いやいや、誤解のないように言っておくますが、僕は決して犬が嫌いというわけではありません。
子供の頃には、家でジョンという柴犬も飼っていました。
しかし、このジョンは、交通事故で死亡。
僕の記憶にはないのですが、愛犬ジョンが突然いなくなったことで、当時の僕は相当に落ち込んだそうです。
もちろん、家族も同様。
それ以来、我が家では二度と犬を飼うことはなくなり、ずっと猫を飼うようになります。
最近では、ほとんどテレビを見ることがなくなり、コテコテのYouTube視聴者になっていますが、アップされている動画で案外多いのが、愛犬などのペットを撮っている動画ですね。
飼い主の溺愛ぶりが顕著なものが多いのですが、これが案外視聴者数を稼いでおり、「いいね」ボタンも多かったりします。
当然、これは多少なりとも収入になったりしますので、アップされる動画も増える一方。
そんなペット自慢動画は、それまでは散歩の途中でのご挨拶ぐらいだったペット愛好家コミュニケーションを、世界規模に広げたという功績はあるでしょう。
とにかく、理屈抜きで「かわいい」ので、映画作品は見ないにせよ、こういう動画は、気がつけば見入っているということがちょくちょくあります。
何かとフラストレーションの溜まりがちな世の中です。
こういう、他愛ない動物たちの一挙手一投足に、癒されている人は、相当数にのぼると思われます。
そして、そういう人たちが映画館に足を運ぶことを想定して、本作も作られているのだということは容易に想像できます。
そんな、犬好きファンたちは、映画では「野生の呼び声」に呼応するバックに感動して拍手を送っても、よもや自分の飼っている犬が、野生に戻るなんてことは夢にも思っていないでしょうし、もちろん、望んでもいないはず。
YouTube の動画の中には、赤ちゃんと飼い犬が無邪気に戯れているような、心温まるものもたくさんあります。
もちろん、カメラを回している親たちは、その飼い犬が、赤ちゃんに噛み付くなんことは絶対にないという自信があるのでしょうが、見ているこちらとしては、どうしても、どこかにそんな一抹の不安もよぎりながら、ハラハラしてみていたりします。
生まれた犬を、専門家たちがブリーディングする過程で、その野生を除去し、人間には絶対に危害を加えないように調教された犬がペットとして購入されているのか、もしくは、ペットと家族同様の暮らしをしていく中で、自然に形成されていく信頼関係なのかは、実家を離れて以降は、ペットをまともに飼ったことのない僕にはちょっとわかりませんが、少なくとも、「飼い犬に噛まれる」というような事故は意外に伝わってきません。
人間には、従順に従うという本能が、飼い犬たちにはすでに、DNAレベルで仕込まれてしまっているからでしょうか。
もっとも、もしそんな事故が起きようものなら、その犬は間違いなく、すぐに保健所送りにされて、報道されることもなく、密かに処分されているのかもしれません。
野生の牙をむしり取られた動物たちは、いかに「野生の呼び声」があろうとも、自分の意志で、野生に戻ろうとすることは決してないように思えます。
彼らが人間社会から離れて、野生に戻されることになったとしても、彼らに待ち受ける運命は、おそらく、生きる術がわからずに、襲われて餌になるか、餓死するかの二つ。
バックのように、野生犬として生きる逞しさと、人間への情愛を併せ持つような犬は、やはりディズニー映画の中でしか存在し得ないファンタジーなのでしょう。

映画の中で、なぜか心に残ったシーンがひとつありました。
小屋で、仲良く並んで寝そべり、ハーモニカを吹いているソーントン(ハリソン・フォード)とバック。
ソーントンが吹いていたハーモニカを、バックに咥えさせると、ソーントンの弾いたメロディに合わせるようにバックが、ハーモニカで応えます。
ソーントンが、そのハーモニカを再度自分で吹こうとすると、咥えていたバックの口元から、ハーモニカに向けて、バックの涎がトローリと伝うんですね。
そして、それをさっと拭いて、口に咥えて演奏を続けるソーントン。
ほんの僅かなカットでしたが、これには唸ってしまいました。
おそらくこれは、絶対にアニメではやらないと思われる演出でしょう。
かといって、モーションピクチャーではない実写では、たとえ台本に書いてあったとしても、絶対に不可能なシーンでもあります。
こんなさりげないシーンで、作品にリアリティを持たせる技には、感心いたしました。

さて、いよいよ月末も近づいてきました。
一ヶ月限定と決めて入会したディズニープラスですが、あと何本見れますか。

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