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そして、シンエヴァンゲリオン

つい先日「序破Q」を一気に鑑賞して、還暦越えで、ようやくエヴァ入門を果たしましたが、なんとそれを見たAmazon プライムで、今年公開されたばかりのシンエヴァが早くも先行メディア配信。
こういうご時世なので、映画館には行くのは自粛しているので、ラインナップに登場するのを気長に待つつもりでしたが、こんなにも早く自宅で鑑賞できるとは正直驚きでした。
興行的な常識で言えば、劇場公開終了後に、Blu-rayやDVDが発売されて、ここでコアなファンたちの購入がひと段落した後で、来年くらいになってサブスク登場と踏んでいましたが、そこらあたりをすっ飛ばして、いきなりのメディア配信。
前作「Q」から8年近くも待たせてしまった完結編を、興行セオリーを無視しても、できるだけ多くのファンたちに、「じっくり」見てほしいという製作陣の心意気が伝わってきて嬉しい限りです。
映画を一回見ただけのにわかファンの老人には、この壮大なサーガや独特の世界観が消化仕切れずに、畑仕事をしながら、YouTubeに無数にアップされている熱烈なファンたちの考察動画を聴きながら、「ああ、そういうことなのか」と勉強しておりました。
エヴァを語るコアなファンたちは、みんなこの待ち焦がれた新作を見るためにほとんど複数回劇場に足を運んでいます。
そして、このメディア配信以降は、リモコン片手に、画面の細部にまで張り巡らされた、過去作からの伏線回収を何度もリピートして確認しながら鑑賞したはず。
さすがに、老人にはそこまでの「入れ込み」は出来ませんが、一度見ただけでも、その「凄さ」だけは、しっかりと実感できました。
世界に冠たる日本製アニメの、2021年現在での到達点は、しっかりと確認出来た気になっております。

とにかく、本作を見て感じたのは、アニメ放送以来26年かけて、広げに広げたこの風呂敷を、ここまでついてきてくれたファンたちに、如何にきちんと納得させる形で終わらせるかという庵野秀明監督の執念のようなモノですね。
中田敦彦の解説によれば、一番最初のアニメは、最終話の展開が物議を呼び、庵野監督は、このことで、かなり手厳しく視聴者から糾弾されたという苦い経験があったそうです。
エヴァはその後、このアニメの深夜再放送で火がつき、「旧劇場版」「新劇場版」とセルフリメイクが繰り返され、次第に国民的ビッグコンテンツになっていきました。
エヴァ人気の凄さは、これまでアニメに背を向けて来た老人にも届くところでしたが、ここまで興行的なビッグアイコンになれば、ウルトラマン・シリーズや、海の向こうの「スターウォーズ」同様、半永久的にリメイクが繰り返され、世代を超えて日本という市場で稼ぎ続けていくんだろうなと思っていましたが、それを潔しとせず、庵野監督は、自らが生み出したこの「ドル箱アニメ」を、自らの手で、しっかりと決着をつけるということに、今回はとことんこだわったんだということが、ヒシヒシと伝わってきます。
そして、この26年間フォローしてくれた、世界のどの国よりも、メチャクチャにアニメ・リテラシーの高いコアなファンたちを、消化不良にさせないで、きちんと納得させる大円団を用意するためには、どうしても8年の歳月が必要だったということでしょう。
前作の「Q」を見終わった時には、一体どうやって、このドラマを完結させるのだろうと、正直心配になっていました。
しかし、この監督のすごいところは、本作で2時間30分をかけて、単なるシリーズの「解決編」にしたのではないということ。
「ああ、それはそういうことだったのか」という答えだけを展開しても、観客にはエモーションは与えられないということを、庵野監督は熟知していました。
いわゆる「含み」です。
圧倒的な画面に展開されていたのは、もちろん過去作品の伏線の丁寧な回収もありますが、基本的にはその解答は、そのものズバリというよりは、かなり暗示的。
つまり、その答えは、鑑賞する一人一人の「思い入れ」に委ねるという姿勢です。
庵野監督は、シンエヴァを鑑賞してくれた全ての観客が、皆同じ感動をすることを決して望んではいないように思います。
映画を見て、それぞれがそれぞれのエヴァンゲリオンを、胸に抱いてくれればそれでいい。
本作は、そんな仕掛けに溢れていました。
YouTube に無数にアップされている考察動画は、熱を込めて自説を展開するYouTuberたちのものが多いのですが、そんな動画を、もしも庵野監督が見たら、きっとこういうのではないでしょうか。

「はい、あなたがそう思うなら、それでいいと思います。」

これは、大傑作を世に残した全ての監督たちに共通する姿勢でもあります。
解答をドーンというよりも、ウーンと考えさせる映画に名作が多いのは、映画ファンならば周知の事実。
シリーズ完結編として、映画はちゃんと終わらせながらも、その答えは、鑑賞する人それぞれの判断に委ねる。何も押し付けない。
そんな、観客一人一人の全ての想いに、応えられるように、映画は丁寧に作られています。
それが出来たのは、庵野監督自身が、この壮大なシリーズを生み出した「送り手」というよりも、あくまでも、最後の最後まで、このエヴァンゲリオンを愛しているファンの一人としての目線を見失わなかったからかもしれません。

僕と庵野監督は、ほぼ同世代で、「鉄人28号」や「ウルトラマン」「ガメラ」にハマった辺りまでは、ほぼ同じ少年時代を過ごしています。
僕もかなりの「ロボット・怪獣オタク」ではありましたが、まだこの頃には「オタク」というワードはありませんでした。
「宇宙戦艦ヤマト」の時代くらいになると、ぼちぼちと「オタク」という言葉が世の中で使われ出してきた記憶です。
しかし、当時のオタクといえば、かなりレイシズム感いっぱいのネガティブな使われ方をしていました。
それは、肌で感じていたので、基本オタクであることによる差別的扱いを避ける為、オタクの本性はひた隠して、ネクラと言われないように、務めておチャラケ・キャラを演じていました。
いわゆる「隠れオタク」です。
そうこうしているうちに、いつの間にかアニメ怪獣からは次第に離れ、興味の方も、ウケのいい音楽の方にシフトしていきます。
しかし、庵野監督は、「仮面ライダー」やウルトラマン以降のウルトラ・シリーズなどをマニアックに鑑賞し続け、その後も、ひたすらオタク道を邁進。
学生時代には、それが高じて、自主怪獣映画を作ったりしながら、やがてジブリに入社。
宮崎駿氏の薫陶を受けた後、自ら「エヴァンゲリオン」のアニメを制作するに至ります。
オタクの王道を、なんの迷いも、てらいも、躊躇もなく突き進んだ庵野監督は、気がつけば、このエヴァ・シリーズで、熱烈なファンたちを巻き込み、彼らごとオタクたちの地位をググッと引き上げてしまいました。
今や、アニメ・オタクであることを隠す人はほとんどなく、彼らは堂々とそれを自分のストロング・ポイントとしてアピールし、大人になっても、その熱さを決して恥じることはありません。
そして、そんなオタクたちに支られて来たアニメだけが、今や全てが落ち目の日本の中で、いまだに世界からリスペクトされる数少ない文化になっているわけです。
世の中の空気にひよって、そっと「隠れオタク」に成り下がった、根性なしとしては、これはちょっと感慨深いものがあります。

そんな「オタクの王様」ともいうべき、庵野監督は、今や日本の財産といってもいい存在ですが、松本人志との対談ドキュメンタリーで、「ウルトラマン」の中の「遊星から来た兄弟」に登場したザラブ星人と「ニセウルトラマン」のシーンを、子供のように目を輝かせながら、細部に渡るまで嬉しそうに解説していました。これは、見ていて思わずニンマリ。
あの回は、確かに面白かった。まさにこの人の原点こそ、ここにあると確信しました。
そういう細かく積み重ねられて来た庵野監督の「いい」や「面白い」のこだわりが、凝縮され、昇華して、全て詰め込まれたのが本作「シンエヴァンゲリオン」なのかもしれません。

新劇場版全4作全てに共通していたことは、最初はエヴァに搭乗拒否していた碇シンジが、再びエヴァに乗ることを決意するまでの心の葛藤でした。
シリーズの根底に込められていた「テーゼ」は、「喪失感をどう克服し、そこからどう前へ進むか」だと個人的には、まとめてみました。
もちろん、還暦過ぎの一老人の感想ですが、図らずもそれは、ほんの2年前なら予期もしなかったウィルス感染パンデミックの今の世の中で、様々な喪失感を抱えた人たちにも、十分に訴えかけるメッセージにもなっていると感心しきり。

そんな感想でもよろしいでしょうかと、もし庵野監督に尋ねれば、おそらく彼はこう言うのかもしれません。

「はい。それでもいいと思います。」

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