ガメラ 大怪獣空中決戦 1995年大映
ガメラ 大怪獣空中決戦
平成ガメラシリーズは、WOWOWで放映されたものを録画はしてありましたが、鑑賞したのは今回が初めて。
本作は、1995年の公開と言いますから、僕はすで36才になっていて、怪獣映画はもとより、映画鑑賞自体から一番遠ざかっていた頃ですね。
昭和ガメラには、熱狂した世代ですから、公開されたシリーズ7作は、全て映画館に見に行っています。
今この歳になっても、シリーズに登場した怪獣は、全て覚えていますね。
Wiki してみたら、マッハ文朱主演で、過去のフィルムを再編集して作られた「宇宙怪獣ガメラ」が、1980年に8作目として作られていますが、これだけは見ていません。
もちろん、怪獣スターとしては大先輩のゴジラも追っかけていましたが、親しみやすさとしては、ガメラの方に軍配が上がり、入れ込み方にも気合いが入っていました。
今でも、はっきりと覚えていますが、ガメラ・シリーズで、一番最初に見たのが、「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」でした。
とにかく、食い入るように、スクリーンに集中していたのを覚えています。
この映画は、「大魔神」シリーズや、「妖怪」シリーズと併映で、封切り館から、二番館、三番館へと下りてくるのですが、近くの映画館でこれがかかると、朝から晩まで繰り返し見ていた記憶です。
当時は、今のように入れ替え制ではありませんでしたから、一度入場料を支払って中に入ると、一日中いることができました。
何回見たのかは覚えていませんが、おそらく、繰り返し見た回数としては、ビートルズの三本の主演映画と並んで、今でも生涯のベスト5には、入るはずです。
昭和ガメラ・シリーズとしては、3作目となる作品でしたが、製作スタイルが、明らかにここから、「子供向け」に舵を切られていて、大映のこの作戦には見事に乗っけられた全国の大勢の子供の一人だったということですね。
シリーズは、映画産業斜陽の時代と重なり、どれだけ子供たちに支持されても、次第に製作費は削られていきましたから、その意味では、ガメラが子供たちのために、ギャオスと戦ったこの3作目あたりが、シリーズとしては頂点だったかもしれません。
平成ガメラの一作目となる本作を撮った金子修介監督は、1955年生まれで、僕よりも4歳年上。
昭和ガメラ・シリーズの第一作目「大怪獣ガメラ」が公開されたときには10歳ですから、間違いなく当時ガメラに熱狂していた子供たちの一人だったはずです。
さて、その怪獣少年が、30年経って、大人になってから、同じキャラクターで、怪獣映画を作ると、どんな映画になるのか。
これが興味のあるところでした。
まずは、のっけから、プルトニウムの輸送船を護衛する巡視船「のじま」の艦長役として、旧作で主演を演じていた本郷功次郎が出てきてニヤリ。
主役は、この時32歳の伊原剛志。
若き鳥類学者を演じるのは中山忍。この方の実姉は中山美穂です。
ガメラと心を通わせることのできる少女役で藤谷文子。
この人の父親は、あの空手俳優スティーブン・セガールです。
映画評論家の町山智浩のYouTube動画「アメリカの今を知るTV」は好きで、チャンネル登録をして結構見ているのですが、この動画で町山の相手役をしているのが「大人になっている」彼女なので、思わずニヤリ。
その彼女の父親役が、「太陽にほえろ」の殿下刑事でお馴染みだった小野寺昭。
いろいろな映画でちょくちょく見かける脇役俳優で螢雪次朗という役者が、長崎県系の刑事役で出演しているのですが、同じ名前が、30年前の旧作にもクレジットされていてビックリ。
しかし、よくよく見てみたら、前作にクレジットされていたのは、蛍雪太朗で、この人は、螢雪次朗の師匠にあたる人なのだそうです。
気になって、旧作もチェックしてみたら、なるほど、あの当時の大映映画の脇役として、見覚えのある役者でした。
結構豪華だなと思ったのが、ガメラとギャオスの動向を報道するニュース・キャスターの面々。
あの頃はまだテレビも見ていましたので、どの顔も見覚えのある「NNNニュース・プラス1」の当時の現役キャスターでした。
真山勇一や木村優子が、真面目な顔をして、「怪獣ガメラは、九州方面から・・」といったニュース原稿を読んでいるのはちょっとシュールでした。
大神いずみアナも出ていましたね。この方は、ジャイアンツの「クセモノ」元木選手と結婚した方です。
彼らは、この映画では、怪獣被害のニュースを伝えていましたが、ちょうどこの映画が封切りした年に発生した阪神淡路大震災では、実際に震災被害のニュース報道を「同じ顔をして」伝えることになったわけです。
さて、平成ガメラは、子供向けに切られていた舵を、再び大人の鑑賞にも耐えるように切り直しています。
旧作では、どちらかといえばマンガチックだった怪獣のフォルムも、リアルな生物的造形に寄せています。
設定もリブートされていて、本作の両怪獣の出自は、有史以前に海底に沈んだとされる古代大陸。
ギャオスに文明を破壊されるのを防ぐために、遺伝子の操作(?)をして、古代人たちが作り上げた守護神がガメラという設定です。
まずは、染色体の説明や、古代文明の碑文まで登場してきますから、許されるギリギリまで、怪獣の存在を科学的に説明をしようとしています。
自衛隊の撮影協力も得ていますので、実際の戦闘シーン以外の場面で登場する戦車やミサイル兵器は、本物です。
ただし、作戦を引っ張る鳥類学者が若い女性だったり(これに相当する役を演じたのは、「ゴジラ」では志村喬でしたし、「ガメラ」では船越英二でした)、政府から派遣された環境審議官が偉くマンガチックだったり、お遊びのカメオ出演がふんだんだったり(風吹ジュン、松尾貴史、夏木ゆたかなど)と、怪獣映画の元祖「ゴジラ」を習った、一作目の「大怪獣ガメラ」と比べれは、リアルな恐怖ホラー映画というカラーはだいぶ薄まっていて、全世代の客層の支持を得られるように万遍なく配慮されている感じでした。
映画は、製作費を削られていって、子供の目から見ても、次第にショボくなっていった昭和ガメラ・シリーズのイメージを払拭するように、そこそこの製作費はかけて、しっかりと作られたという印象ですが、このあたりは、ガメラ映画のファンだった金子監督に意地があったかもしれません。
映画はヒットしたので、製作費は無事回収し、評論家たちの評価は上々。平成ガメラはシリーズとなって、2作目、3作目が作られていきました。
三部作が終了したのちも、金子監督には、怪獣映画の本家本元東宝からもお声がかかり、「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」も監督していますから、子供の頃からの夢を見事に果たした映画監督として、「シン・ゴジラ」を監督した庵野秀明氏と並べて、特筆すべき存在かもしれません。
庵野監督は、「シン・ゴジラ」ではフルCGでゴジラを表現をしましたが、金子監督は、ミニチュアワークと着ぐるみをメインに多用して、往年の日本式特撮スタイルを踏襲しとていると言ってもいいでしょう。
怪獣映画としての最新作は、ハリウッド製の「ゴジラVSコング」で、個人的には未見ですが、予告編動画を見る限り、その特撮技術の進歩による迫力とスピード感は、本作と比べても圧倒的です。
しかし、怪獣特撮映画の魅力は、特撮技術だけで語られるのではないような気がします。
例え、特撮技術は未熟でも、そこには厳然として、怪獣映画の「味」というものは存在します。
東宝の特撮映画の屋台柱を、特技監督として活躍した円谷英二と共に支えた本多猪四郎の監督作品には、間違いなくそれがありましたし、ハリウッドがどれだけそれにリスペクトして、本家の何倍もの製作費をかけてゴジラを映画化しても、日本のファンを納得させるためには、何かが欠けていると思わされたものです。
こちらが、ほとんどの怪獣映画を、最も多感な少年時代に見ていたということは確かに大きかったかもしれません。
子供には理屈は通用しません。どれだけ科学的考証が行き届いていようと、ビジュアルが全てです。
旧作では、ガメラに救われた少年が、甲羅の上に乗って空を飛ぶと、映画館内で子供たちの歓声が湧きおこったのを覚えていますが、こんな映画体験が、果たして最近の怪獣映画や、本作の公開されたころの映画館で出来たかどうか。
もちろん、観客全体の、映画鑑賞リテラシーが向上していることは言うまでもありません。
そんな観客たちに、2000円程度のお金を払わせて、映画館に呼び込むために、映画製作は日々進歩を遂げ、スケールアップしていきます。
今回、還暦を超えた年齢で、50年以上も前に見てワクワクさせられたガメラ映画の、27年前のリメイクを鑑賞したとういうわけですから、一歩も二歩も引いた見方になってしまうのはやむを得ないところ。
少年の頃の熱量は、正直持てません。
少なくとも、旧作と比べて、何を語っても、映画の評価を公平にジャッジできる気はしません。
ですから、興味があるのは、本作公開当時に、この映画を見た少年たちが、遡って旧作昭和ガメラを見て、どういう反応を示すかですね。
昭和ガメラを見て、「ちゃちい」と思うのか、「カワイイ」と思うのか、「怖い」と思うのか。
その彼らも、今はもうすでに40歳前後の立派な大人ですから、そんな彼らが最新のマーベル映画と見比べて、30年前の特撮映画には、「味」があったなんていうのかどうか。
ただ、はっきりと言えることは、怪獣特撮映画平均鑑賞年齢は、今の方が確実に上がっているだろうということです。
僕らが、昭和ガメラに興奮している頃の映画館には、子供の保護者以外の大人はいませんでした。
大人たちは、やはり自分が見たい映画を見るときは、家に子供を置いて「座頭市」や「眠狂四郎」を見にいっていましたね。
そして、どれだけ熱狂しても、僕らの世代には、確実に怪獣映画を卒業した年齢というのはありました。
しかし、今の40歳から下の世代は、子供の頃に興奮した怪獣映画にも、特撮ヒーローにも、ガンダムやエヴァンゲリオンからは、いくつになっても一向に足を洗う気配はなさそうだということに驚いてしまいます。
彼らは、スーツにネクタイの仕事帰りに、バーに寄って一杯やりながら、嬉しそうに登場メカや綾波レイ、ワンピースの最新作の話をしているわけです。
僕は少年時代は、おおよその怪獣たちのブロフィールは暗記していて、「怪獣博士」として名を売っていましたが、それが許されたのも中学生の頃まで。
高校生にもなると、こういうキャラは、女子からは「幼い」とか「キモい」とかいう対象にされて、健全な思春期を送るのには弊害も多くなってくるため、自ら封印したものです。
しかし、こういうオタクキャラは、今では、ルックスや、サッカー部、バスケット部でレギュラーといった男としてのモテ条件として肩を並べる存在に大躍進しています。
時代は確実に変わりました。
そして、怪獣オタクやアニメオタクは、それがそのまま大人になってまでも通用するキャラになるに至って、これを製作をする側のクゥオリティは、これに応えるために、嫌でも向上せざるを得ないという好循環を産んでいるような気がします。
こうなってくると、早々と、怪獣映画やアニメを卒業してしまっている身としては、もうついていけません。
「なるほど、なるほど」と、首を縦にふりながら、これらを何度も繰り返し鑑賞しているような自信たっぷりにのツワモノYouTuberの解説する動画を見ながら、感心するしかないわけです。
しかし、それは置いておいても、僕らの世代が子供の頃に胸躍らせた怪獣映画に、そのリメイクによって新しい世代のファンが生まれているというのは嬉しいものです。
そんな、彼らに、「昔のガメラはね・・」なんて、オリジナル世代自慢をしても野暮というもの。
この平成ガメラの成功を支えたのは、オリジナル・ファンたちの、ガメラに対する愛着と同時に、新しい時代のガメラ・ファンの誕生でもあったでしょう。
本作のエンドクレジットには、当時の人気バンド「爆風スランプ」の演奏する「神話」というロック・ナンバーが流れますが、待て待て、ここで流れるなら、やはり、ひばり児童合唱団による「ガメラ・マーチ」だろうと思いつつ、還暦を超えた百姓は、花冷えの野菜畑で、あの頃完全に暗記したその歌を口ずさみながら、今日も野良仕事に精を出すことにいたします。
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