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ルシアンの青春 1974年フランス・イタリア・西ドイツ合作

ルシアンの青春

本作公開当時、僕は中学生でしたが、確か「見たい映画リスト」には入っていたけれど、結局見逃していた一本でしたね。
ヨーロッパ映画というのは、アメリカ映画に比べて、比較的ヌードが拝めることが多かったので、マセガキだった自分としては、しっかりとチェックはしていました。
ルイ・マルは、なんと言っても、1958年の「死刑台のエレベーター」で有名な監督ですが、1970年代初めには「好奇心」という、かなり際どい映画も作ってくれていて、結構「期待」していた監督でした。
あの当時は、本作に関しては、時代背景もへったくれもなく、ただスチール写真から、少年と少女の淡い恋愛物語だとばかり思っていましたね。
当時、アニセイ・アリビナ主演の「フレンズ」という、かなり過激な青春映画もありましたので、本作には勝手にその線を期待していたのですが、結局見逃してしまっていた理由は、本作のヒロインであるオーロール・クレマンが、ちょいと線が細くて、僕好みのタイプではなかったからかもしれません。

ルシアンというのは、本作の主人公の名前です。
フランスの田舎町で暮らす17歳の少年です。
演じているのは、ピエール・ブレイズという、演技経験など全くなかった素人の少年です。
ルイ・マル監督は、訛り丸出しの、どこからどう見ても田舎の少年にしか見えない彼を、オーディションで大抜擢。
しかし、当の本人は、なりゆきでオーディションに連れてこられた、映画などほとんど見たことのないという本当にズブな素人の田舎の少年。
彼は、ルイ・マル監督さえも知らなかったと言います。
しかし、監督は、この少年に、一切の感情表現は求めませんでした。セリフの棒読みで結構、可笑しければ笑ってくれればいい。それ以外は、普段通りにしてくれていい。
監督は、そんな彼をそのまま映し取ることが、この映画のリアリティに繋がると計算していたようです。
フランスには、ロベルト・ブレッソンという名監督がいましたが、ちょうど彼のスタイルがこれでした。
俳優によるオーバーアクトを極端に嫌った彼は、自作品で使った俳優たちは、ほとんどがその映画限りの素人たち。
ブレッソン監督は、その素人たちを「俳優」とは呼ばずに、「モデル」と呼んでいたそうです。
しかし、それが彼の作品の絶妙なリアリティを生み、「スリ」「抵抗」といった緊張感あふれる作品を成功に導いていました。

さて、本作の舞台になるのは、1944年のフランス南部の田舎町です。
この頃のフランスは、ドイツのナチス党によって占領されていた屈辱の時代です。
フランス中部の都市ヴィシーに、一応自前の政府はありましたが、それは完全にナチスの傀儡政権でした。
僕の記憶にある映画としては、「パリは燃えているか」や「鉄路の戦い」「影の軍隊」など、フランスのレジスタンスが活躍する作品はすぐに浮かぶのですが、フランスのナチスを描いた映画となると、ちょっと思い浮かびません。

そうなんですね。

当時のフランスには、ナチスに対して抵抗をするレジスタンスだけではなく、いわゆるコラボラシオンと言われる対独協力行為を進んで行った人たちもいたわけです。
コラボラトゥールと呼ばれた人たちの中には、当時のファッション界で活躍していたココ・シャネルなどがいたことは有名です。
彼らは、当時のナチスの政策に忖度して、国内のユダヤ人などを、ナチスに密告したりしていたわけです。
ちなみに、ルイ・マル監督の少年時代がちょうどこのヴィシー政権時代。
彼は小学生の頃、クラスメイトの密告で、友人や先生たちが収容所に送られたというトラウマ経験を持っており、1985年に製作された「さようら子供たち」という作品では、そのことを映画の素材として取り上げています。
当時のフランスでは、フランス人によるナチス党民兵も組織されていて、これはミリスと呼ばれていました。
しかし、このコラボラシオンは、プライドの高いフランス人にとっては、完全なる黒歴史。
後に、ナチスによる残虐極まりないホロコーストが露見されると、出来れば、自分達はこれに加担していたという事実はなかったことにしたいという国民感情が暗黙のうちに醸成されていったようです。
しかし、心ある映画人は、やはりこのことはなかったことにはできないという思いで、このコラボラシオンを告発する作品が何本かは作られています。(当然ヒットはしなかったようですが)
そして、この「ルシアンの青春」も、そんな作品群の  一本だったわけです。
日本では、本作は反ナチ映画という面は伏せられて、戦時中のフランスを舞台にしたみずみずしい青春映画という扱いでしたが、本国フランスでは、本作はかなりの物議を醸したとのこと。

「いまさら、それを蒸し返してくれるなよ。ムッシュ・ルイ・マルさん。」

どうやら、多くのフランス人は、古傷をつつかれて、あまりいい気がしなかったと言うのが本音だったようです。
本作には、この辺りのフランス人の屈折したやや自虐的な感情が上手く出ているシーンがありました。
実家に居場所を失ってしまったルシアン少年は、フランスのナチス党に拾われて、背後の政治情勢や、ユダヤ人の存在なども全く知らないまま、ナチス党員としての教育を受けることになるわけです。
ルシアンのピストル練習の的になったポスターに描いてあったのは、当時のヴィシー政権の首相ペタンでしたね。そんなルシアンは、何にも知らないまま、ユダヤ人の娘に恋をしてしまいます。
この危険極まりない恋を、彼女の父親は当然のことながら、猛反対します。
この父親は、結局ナチスに、その身分を知られることとなり、強制収容所送りになってしまうのですが、ルシアンに対してはこう言ってます。

「わかってはいても、私はなぜか君を憎むことができないんだよ。」

ある意味で、これはこの作品の重要なテーマを秘めたセリフでした。
ルイ・マル監督が、この作品に込めたメッセージは、実は「悪の凡庸性」だったんですね。
これは、つい先日読んだ、哲学者ハンナ・アレントが書いた「エルサレムのアイヒマン」に出てくる有名なキラーワードです。
つまり、悪というものは、根源的・悪魔的なものではなく、思考や判断を停止し外的規範に盲従した人々によって行われた陳腐なものだというものです。
本作の主人公ルシアンの場合は、けっして「思考や判断を停止した」訳ではなく、はなからその知見を持っていない純朴な田舎の少年だったわけですが、外的規範に対して、無知蒙昧であったと言うことは、思考停止と結局は同じこと。
ルイ・マル監督は、少年の「悪の凡庸性」を、カメラの名手トニーノ・デリ・コリの手による美しい田園風景と、まるで自然と一体化しているようなピエール・ブレイズの素朴な演技で見事に表見し切ったと言っていいと思います。
ウサギをライフルで撃ち殺したり、鶏を捕まえてしめたり、山で小動物(野うさぎ?)を捕まえて、そのまま丸焼きにしたりと、ギョッとするシーンも多く、今なら動物愛護団体からクレームも必至でしょうが、彼は普段の生活の延長で、それを楽ししそうに、ごく自然にやってのけます。
この辺りの「普通の田舎の少年」感は、とても既存の俳優では出せないものであり、確かに「悪の凡庸性」のリアリティは、そんな彼だからこそ出せた味だったのかもしれません。

少女を連行しようとするナチス兵を射殺して、ルシアンは、少女と老祖母と共に、宛のない逃避行に出ますが、廃墟となった山小屋で生活を始める三人を、ルイ・マル監督は決して悲劇的には描きません。
「うん、こんな暮らしも悪くない」と幸せそうに微笑んでいるルシアンの姿を淡々と映していきます。
そして、字幕によって、捕まったルシアンが、その後レジスタンス側の裁判で、死刑判決を受けて処刑されたことを知らせて、映画は終わます。
ラストの字幕で、主人公の未来を知らせると言う演出は、ジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」で最初に使われた手法。
本編との対比があって初めて成立する演出ですが、ルシアンたちが捕まるシーンや、処刑されるシーンをあえて観客に見せなかったのは、この映画の印象を爽やかなものにしました。
ちなみに、ユダヤ人だった父親が、娘につけた名前がフランス。
切ない父親の思いが伝わってくるようでしたね。

ナチス党によって辛酸を舐めさせられた、当時の多くのフランス国民たちの、コラボラトゥール達に対する怒りは、パリ開放後に爆発して、ナチス将校と通じていた女性たちは、丸坊主にされて大通りを歩かされたりするなど、かなり過激でした。
「マレーナ」では、「イタリアの宝石」と謳われた美人女優のモニカ・ベルッチが、実際に髪を刈られてまで、その役を演じていました。そんな衝撃的なシーンからも、当時のフランス人の心情は伝わってきたものですが、この「ルシアンの青春」のような静かな映画からも、決して「怒り」だけではない、フランス人の複雑な心情は、十分に伝わって来ました。

もしも、若きモニカ・ベルッチが、フランスを演じてくれていたとしたら、あの当時、おそらく本作を見逃すことは、絶対になかったと思われます。
しかし惜しい。
1974年当時の彼女は、まだ10歳!

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