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太陽の季節 1956年日活

太陽の季節

元東京都知事と言った方が一番通りが良さそうですが、石原慎太郎氏が2月1日に亡くなりました。
享年89歳と言いますから、昭和天皇と同じ年齢で亡くなられたということになります。
その石原氏が、1955年に発表して、芥川賞を取った短編が、「太陽の季節」でした。
これが文壇デビュー作と言いますから、石原慎太郎氏は、のっけから大ホームランをかっ飛ばした新進作家だったわけです。
一橋大学在学中だった石原氏は、23歳でしたね。
この原作を、日活がその翌年に映画化したのが本作です。
主演は、長門裕之。相手役が南田洋子。
そして、なんといっても、本作が銀幕デビューとなる石原裕次郎が出演しています。
これは、本作の映画化にあたって、石原慎太郎が、プロデューサーの水の江滝子女史に強くプッシュして実現したのだそうです。
慎太郎氏自身も、ワンシーンだけ出演していました。2人が絡むシーンはありませんでしたが、事実上の石原兄弟初共演映画ですね。
後の石原裕次郎の大活躍は、万人の知るところですが、本作では主人公の所属する拳闘部の学生役。
スラリと背も高くて、やはり目立ちます。
長門裕之も、この頃は、後のオヤジ・キャラのイメージはなく、日活の看板スターとして、スラリと鼻筋の通った正統派二枚目を演じています。
しかし、本作で共演した石原裕次郎はじめ、弟の津川雅彦や、小林旭、岡田真澄といった若手スターたちの台頭によって人気をさらわれ、残念ながら彼は二枚目路線からは脱落の憂き目に。
しかし、その後は、渋い演技派として、キャリアを積んでいくことになります。
今村昌平監督の「豚と軍艦」や、吉田喜重監督の「秋津温泉」などでは印象的な演技を見せてくれました。
そんな彼が、まだ無名ではあるにせよ、天下の石原裕次郎を脇役に従えて、当時すでにスター女優だった南田洋子と共演した本作は、キャリアの中では、やはり光り輝くことになる一本だったでしょう。
後に、共演の南田洋子と結婚することになるのも本作が縁。彼の映画人生の中では、やはりに特別な一本だったと思います。
ちなみに当時の日活の看板スターたちは、この2人だけでなく、やたらと職場結婚をしています。
石原裕次郎と結婚したのが、当時人気絶頂だった北原三枝でしたし、藤竜也が結婚したのは清純スターの芦川いずみ。小林旭も、結婚には至りませんでしたが、浅丘ルリ子と同棲しています。
当時の映画スターたちは、とにかく大忙しで、プライベートな時間などほとんど取れないほど撮影に追いまくられていて、事実上、共演相手ぐらいしか付き合うことが出来なかったというのが実情だったようです。
それは、日活製作陣もよく理解していて、下手に外で遊ばれるよりは、その方が撮影もスムーズに行くこともあり、そんなスター同士の職場恋愛を、会社ぐるみで積極的に応援していたとのこと。

さて、本作は芥川賞受賞作品とはいえ、道徳的にはかなり不謹慎な内容でした。
つきあう女を、兄弟がお金でやり取りするシーンやら、男性性器で、障子に穴を開けるシーンなどもありました。
今なら、当たり前にAV作品に出てきそうです。
この当時流行した「太陽族」は、もちろん本作のタイトルから名付けられたもの。
湘南海岸あたりを根城にする、上流階級の無軌道で奔放な不良青年男女たちです。
昭和30年といえば、戦後10年となる年です。
「もはや戦後ではない」というのは、1956年の経済白書の序文に書かれた名文句ですから、ちょうど同じ時期。
そんな世相を反映して、まずは裕福なブルジョワジーたちが、うざったい倫理観やら道徳やらを無視して、自由を謳歌し始めたわけです。
そんな若者たちの生態を、若者ど真ん中にいた石原慎太郎が短編小説にして、戦争世代へカウンター・パンチを食らわしたのが本作ということになりますが、本作に出てくるエピソードの元ネタを、慎太郎氏に提供したのは、他ならぬ弟の裕次郎だったとのこと。
ガリ勉の文学青年だった慎太郎に対して、自由奔放な慶応ボーイだった弟は、何かと眩しい存在だったのでしょう。
その後、政治家に転身して、福田政権下では環境庁長官、竹下内閣では運輸大臣も務め、後に東京都知事を四期に渡って務めた石原氏ですが、弟裕次郎に対するコンプレックスは生涯持ち続けていたと思われます。
彼が都知事に立候補したときには、石原軍団が総出で応援をしていましたが、自分が当選するためには、弟の威光を借りるしかないという判断もあったのでしょう。兄貴としてのプライドは封印せざるを得なかったのかもしれません。
僕は読んでいませんが、1996年には、裕二郎を題材にした「弟」という本を執筆していますので、その辺りの葛藤は、それを読めばわかるかもしれません。
それが、この人のキャラクター形成にどう影響したのかは知る由もありませんが、とにかくこの人は、政治家としては、歯に衣を着せずズバズバとものをいう方でした。
タカ派として有名な方でしたが、ソニーの盛田会長と共同執筆をした「NOと言える日本人」などは、何事につけても弱腰な日本人にとっては、なかなか溜飲がさがる一冊でした。
しかし、その反面、何かと暴言も多く、物議を醸し出した発言は数知れず。
「(ALS)は、前世の悪業の報いでかかる病気」
「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄」
「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア」
「不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している。」
こう並べてみると、慎太郎氏の人格に、厳然と横たわっているのは、どうやら、自分は特別な存在であることを前提にした、差別意識のようです。
個人的な見解で申し上げておきますが、差別意識というものは、どんな綺麗事で繕おうとも、誰の心の中にもDNAレベルで、あるものだと思っています。
ですから、それを封印するために必要なものは、理性であり、知性です。
芥川賞作家の石原氏に、これがないとは言いませんが、しかし、それを上回っていたのが、若くして成功した特権意識と、日本中から愛された弟裕次郎への、非常に屈折したコンプレックス。
そして、彼の言動に対して、「石原節」などとお茶を濁してきたマスコミのひよった姿勢にも問題がありました。
ここにも、大スター裕次郎の威光は及んでいたのだと思われます。
彼の中には、普通なら封印するべき本音を、空気も読まずに、公式の場でも言い放ってしまえることが、自分だけには許される政治家としての力量なのだと勘違いしていた節があるように思えます。
環境庁長官時代には、水俣病患者に対する「ニセ患者」発言で、患者に対して土下座して陳謝したなんてこともありました。
問題なのは、彼が私人ではなく、常に公人として、これらの言動を繰り返してきたということ。
ここに、石原慎太郎という人の最大の奢りがあったように思います。
彼のプライベートの様子は、知るべくもありませんが、仮にこの人が、政治家ではなく、一文化人としての生涯を送っていたとしたら、案外チャーミングな爺様になっていたかもしれません。
「死人に鞭打つ」気はありませんが、彼のこれまでの差別発言をないことにして、追悼ムードの中で、当たり障りのない美辞麗句を並べる輩には、毅然と「Noと言える日本人」でありたいとは思います。

そんなこんなも含めて、石原慎太郎氏の逝去に際し、改めまして、心よりご冥福をお祈りいたします。
弟裕次郎と、あちらで再会されたら、仲良く酒でも酌み交わされますように。

ところで、本作主演の長門裕之ですが、やはりこれだけはどうしても言っておきたい。
「桑田佳祐に、あなたの血筋は混じってませんか?」

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