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エルサレムのアイヒマン ハンナ・アーレント

エルサレムのアイヒマン


 アドルフ・アイヒマンは、元ナチス親衛隊中佐で、ホロコーストに関与し、600万人とも言われるユダヤ人の強制収容所への輸送を指揮した人物です。
ナチスの敗戦が濃厚になると、親衛隊幹部たちは、それぞれに逃亡を企てますが、アイヒマンは一度アメリカ軍によって捕らえられています。
しかし、偽名を使って脱走を図り、ローマの修道士や、秘密組織オデッサ(映画「オデッサ・ファイル」を見たばかりなので記憶に鮮明)などの協力を得て、最終的には、アルゼンチンへの逃亡に成功します。
アイヒマンは、リカルド・クレメントと名前を変えて、職業を転々としますが、呼び寄せた家族をマークしていたモサド(イスラエル諜報特務庁)は、秘密裡に捜索を続け、ついに彼を特定することに成功し、1960年5月11日、ブエノスアイレス郊外で拘束します。
その後、アイヒマンは、アルゼンチンの国内法を無視した非合法的手段で、イスラエルへ連行されると、ベン=グリオン首相は、正式に身柄確保を世界に向けて公表。
アイヒマンは、ナチスの大物幹部としては、ニュールンベルグ裁判以降、初めて裁判の被告席に座り、イスラエルの審判を受けることになります。
1961年4月11日、裁判はエルサレムで始まりました。
彼が裁かれたのは、「人道に対する罪」「ユダヤ人に対する罪」「違法組織に所属していた罪」など15の犯罪。
8ヶ月に及び裁判は、テレビ・カメラによって記録され全世界に発信されます。(映画「アイヒマン・ショー」に詳しい)
この映像を見た世界中の人が戸惑ったのは、法廷のガラスに囲まれた被告席に座らされたアイヒマンの姿でした。
誰もがイメージしたのは、数え切れないユダヤ人を冷酷に殺害させた極悪非道の面構えをした大悪人でしたが、そこにあったのは、それとはほど遠い、いかにもしょぼくれた小役人のように貧相な男の姿でした。
裁判では、ホロコーストを生き延びた証人たちが、声を震わせて証言台に立ちましたが、それを聞いていたアイヒマンは、表情を崩すことなく、一貫して自分の無罪を主張します。

「ユダヤ人迫害については遺憾に思う。ただし、自分は権限のないただの管理職。あの組織の中では、上からの命令は絶対で、従うしかなかった。」

しかし、裁判の結果、起訴されたすべての罪において有罪が認められ、1961年12月、アイヒマンには死刑判決が下ります。
刑が執行されたのは、1962年5月。
死刑制度のなかったイスラエルにおいては、建国以来初めてとなる死刑執行でした。

この一部始終を、裁判の傍聴席に座って記録していたのが、自らもまたユダヤ人である哲学者のハンナ・アーレントでした。
その記録と彼女による分析が一冊になったものが本書「エルサレムのアイヒマン〜悪の陳腐さについての報告」です。
この本は、発表されると同時に多方面に大きな波紋を起こすことになります。
激しい批判を浴びることになった、その原因の一つは、副題の中にある「陳腐さ」という言葉でした。
ユダヤ人が、この言葉にビビットに反応します。
ホロコーストの生き残りや家族を虐殺された人々は、自分たちが味わされた地獄のような経験を「陳腐なもの」という安直な表現で片づけられたことに怒りを覚えたわけです。
そして、ホロコーストの中に潜む、人間の悪の本質を見つめていたハンナ・アーレントは、ユダヤ評議会の中にも、ホロコーストに加担した人たちはいたと本書で言及しますが、これが彼女への大バッシングの引き金になります。
今でいえば、大炎上ということでしょう。
このため彼女は、勤めていた大学からは辞職を勧告され、多くの友人たちを失うことになります。
しかし、それほどの犠牲を払ってもまでも、本書を通じて彼女が伝えたかった「悪の陳腐さ」の本当の意味とは何か。
この問題に真摯に向き合えば向き合うほど浮かび上がってくるのが、戦争という怪物が人間に突きつけてくる「根源悪」。
戦争という特殊な環境の中で、これに抗うための方法はあるのか。
21世紀になっても、ウクライナでは、ロシアによる侵略戦争が実行され、激化しています。
地球上に住む、誰にとっても、もはやこれは、他人事ではありません。
60年前、アイヒマン裁判を見つめたハンナ・アーレントの目に、戦争がどのように映ったかを真剣に考えて見る気になりました、

アイヒマンは、この裁判でユダヤ人の肉体的抹殺を命じた責任について追及されるたびに、忠誠と服従の誓いで拘束されていた自分は、命令に背くことは許されない立場だったので、一切の責任はないと判で押したように繰り返しました。
アーレントは、本書で、この男は「怪物」や「悪魔」などではなく 、単なる「道化」に過ぎないと断定しています。
裁判を傍聴した作家のハリー・ムリシュがこう言ったそうです。
「もしアイヒマンの上司がシュヴァイツァーだったら、病気の黒人を病院に運べという命令を忠実に果たしただろう」
ならば、アイヒマンは、一体どのように裁かれるべきだったのか。

本書により、ただ命令に実直にであったがゆえに、人類史上未曾有の犯罪に手を染めることになった哀れな小役人アイヒマンというイメージは、一人歩きを始めます。
本書の表紙にある彼の戸惑ったように口角をあげるその表情は、どこか滑稽であり、哀れさも感じさせます。
もちろん、そこには心証を少しでも良くしたいという彼の演技もあったでしょうが、概ね、法廷での彼の姿を見た多くの世界中の人たちは、そのイメージに引っ張られていくことになります。

しかし果たして、アイヒマンは、そんなに単純な人間だったのか。

ナチスが実行したユダヤ人迫害には、ユダヤ人に対する実際の憎悪よりも、国民共通の敵を作り上げることで、政権への支持を強固なものにするという、ヒットラーの政治的計算が大きかったことは確実です。
これは、現在にも続く、為政者にとっての不文律な政治的セオリーと言えます。
韓国の歴代の大統領もそうですし、反日感情を意識的に煽る中国共産党の手口もこれと同様でしょう。
ナチス高官たちに、そのことは、暗黙のうちに理解されていたのではないでしょうか。
しかし、一般市民を虐殺するという任務に実際自分の手を汚すのは嫌なもの。
誰もがやりたがらないこの任務を遂行することが、学歴のない自分が、党の中で出世していくためには一番の近道になることをアイヒマンは理解していました。
そして、この任務において、彼の能力は非凡でした。
この仕事ぶりが認められて彼は、最終的に、ナチス親衛隊において、中佐にまで出世します。
彼は単なる命令受領者というよりは、「企画力」と「創造性」に富む,ホロコーストを実行するにはうってつけの 役人として党内での評価を高めていきます。
ドイツの敗戦が濃厚になった時期になると、戦争犯罪により自分達が追及される事を恐れたヒムラーは、ユダヤ人の収容所輸送を中止するようにアイヒマンに指示を出します。
しかし、それにもかかわらずアイヒマンは、「従うしかない」はずの、上官からのこの命令を無視して、もはや無意味となっているはずのユダヤ人殲滅の手を緩めようとはしませんでした。
この時のアイヒマンには、冷静な理性は働いていなかったのかもはれません。
彼の名前は、自分達の虐殺を遂行したものとして、ユダヤ人たちの胸に深く刻まれます。

ナチ・ハンターの手を逃れて、彼は逃亡先のアルゼンチンで、慎重にその正体を隠しながら、職業を転々とします。
やがて、持ち前の器用さで、そこそこの生活を手に入れたアイヒマンは,次第に、無名のドイツ人移民として生活をすることにストレスを感じ始めていました。
彼はアルゼンチン内にある親ナチのコミュニティの中で、今一度、親衛隊現役時代の自分の仕事を誇示し、人々の脚光を浴び,自分の世界観を披歴するという機会に恵まれます。
人生における成功体験から、人は逃れられないもの。
しかし、これが結局、アイヒマンの命取りになります。
親ナチのペロン大統領政権下のアルゼンチンで、一般市民としての生活をしているうちに、アイヒマンは次第に用心深さを失っていきました。
こうした行動で人目につくことによって、彼は次第に モサドの目にとまることになっていくわけです。
終戦からは、すでに15年が経過していました。
彼がナチスの重要人物として、人々からの注目を集め、世間に復帰したいと願った虚栄心と名誉欲こそ、結果的には、自らを絞首刑に送ることになる決定的要因となったわけです。
アーレントは、裁判を通じて、彼を「道化」と断定しましたが、少なくとも、過剰な国家主義とその行動の原動力となっていた反ユダヤ主義は、彼の中には確実に存在し、これは決して過小評価するべきではないと述べています。
アイヒマンの犯罪に、どう向き合うべきが、ハンナ・アーレントは熟考します。

 「これ(ナチの犯罪)はもはや法の枠にはおさまらない犯罪で,その途方もない恐ろしさはまさにそこにあるのではないか。この犯罪には,それに見合う重さの刑罰がない。つまりこの罪は,刑事上のすべての罪とはちがって,いっさいの法秩序を超え,それを打ち砕いてしま う。」

アーレントが、アイヒマン裁判を通じて抱いていた疑問は、悪の根源へと深く掘り下げられていきます。
ナチスの犯罪は、果たして、裁判という枠の中で裁くことのできる犯罪なのか。
ナチのしたことは、もはや「犯罪」として把握することは不可能なものではないのか。
なぜなら,あらゆる刑法上の 罪を桁違いに上回るような罪というのは,かつて歴史上では逆に、紙一重のさで、偉業へと変貌してしまう側面があるからです。
アレクサンダー大王の東方遠征しかり、アメリカ西部開拓時代の、原住民虐殺しかりです。
歴史上に名を残す、権力者たちの多くは、実は虐殺者たちでもありました。
アイヒマンは、公判時にこう言い残したと言われています。

「1人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない。」

すぐにチャップリンのあの映画を思い出しました。「殺人狂時代」です。ムッシュ・ベルドゥは、ラストで処刑に向かう前にこう言います。

「1人殺せば犯罪者で、100万人殺せば英雄になる。数は殺人を神聖にする。」

アイヒマンの問われたユダヤ人虐殺の罪は、実際には全て彼の執務室で行われたものです。
至近距離からライフルで、ユダヤ人の後頭部を撃ち抜いていた現場の兵士と、その行為を指示するために実際には目の前の書類に捺印行為だけをしていたアイヒマン、そのアイヒマンに「ユダヤ人最終計画」を指示した親衛隊高官、そして総統アドルフ・ヒットラー。
殺されたユダヤ人の無念は、一体誰に向けられるべきなのか。
この罪を、正当に背負うべき人間は誰なのか。
アーレントの指摘するように、ナチスに同胞を売ったユダヤ評議会は、この土俵に乗らなくてもいいのか。
戦争を通じて論じられる悪は、その根源を辿れば辿るほど、敵味方の枠さえ越え、複雑に絡み合っていきます。
戦争の最も恐ろしい点は、一度始まってしまえば、敵味方関係なく、これに関わるすべての人を、根こそぎ犯罪者にしてしまうことかもしれません。
現代の犯罪は、あのモーゼの十戒で予想されていたものより、はるかに多種多様になってしまいました。
ナチズ ムとボルシェニズム(スターリニズム)という二つの全体主義体制の中で, 悪や人間の苦しみは従来の尺度では測れないものに変質してしまったと言えます。
古代中国において、荀子は「性悪説」を唱え、孟子は「性善説」を唱えました。
いずれにしても、人間の持つ元々の資質を変質させるのは環境です。
ハンナ・アーレントは、悪の凡庸性を提示し、人間は、そういう環境に置かれれば、誰でもアイヒマンになり得ることを示唆しました。
もちろん、ユダヤ人でさえもです。
これは、当時の彼らには、到底受け入れることのできないものでした。
アーレントは、多くのユダヤ人たちからも批判を受けることになります。

「あなたは、ユダヤ人をも批判するのか。」
「自分がユダヤ人であることを嫌うユダヤ人がアイヒマン寄りの本を出した」
「ナチズムの擁護ではないか」

映画「アイヒマン・ショー」で印象的なシーンがありました。
テレビ・ディレクターが、スタッフに向けてこう言います。
「この映像を通じて、誰もが、アイヒマンになる可能性があることを、全世界の人にしっかり伝えたい。」
これに対して、強制収容所から生き延びてきたスタッフの1人が、ディレクターの言葉を制します。
「いえ、我々ユダユ人は違います。我々は決して、アイヒマンになることはありません。絶対に!」
このスタッフの言葉に、理屈で片付けられるようなものでない感情的な重みがあることは理解できます。
ならば、果たして、そんなユダヤ人たちの国家へ連れてこられて、裁かれるアイヒマンに、彼らは、法的な正しいジャッジを下せるものなのか。
そう考えると、アイヒマン裁判は、残念ながら、彼がアルゼンチンで拘束された瞬間に、すでに「死刑」ありきの裁判になることは確定していたと思えます。
これを前提に、裁判というショーが、その行為を正当化する手続きとして、世界に向けて発信されたと考えることはできると思います。
もし仮に、この裁判において、アイヒマンに、死刑以外の判決が下されたとしたら、おそらくイスラエルのユダヤ人たちは承知していなかったでしょう。
ナチスの蛮行を、世界中の人に認識させる。
そのことを全世界に訴えるために、エルサレムにおいて、アイヒマン裁判は公開され、テレビによる報道も許可されたはずです。
実際に、この裁判が全世界に中継されることで、ナチスのホロコーストは、現実に起こっていた事件として、初めて世界の常識となります。
その意味では、この裁判のもたらした、歴史的意義は大きかったといえます。
しかし、逆の意味で考えれば、この裁判は、全世界周知の中で、ホロコーストに関与した一個の歯車に過ぎない小役人に、正式な手続きのもとで死刑判決を言い渡すことを目的とした、出来レースであったという側面は、否定できないかもしれません。
これは、ある意味では、全ての戦争裁判に共通していることです。
ナチスの指導者たちのほとんどは、敗戦の時点で自決していたり、すでにニュールンベルグ裁判で絞首刑になっていますので、それから15年が経過した1960年になって、法廷に引っ張り出されることになったアイヒマンには、それでも熱量を失うことのなかったユダヤ人たちの憎悪の、格好のスケープゴートになったという側面はあったかもしれません。
あの裁判での、アイヒマンの困惑した表情には、「なんで、俺だけが言われなきゃいけない」という理不尽さを噛み殺している思いが滲み出ていたようにも見えました。
東京裁判やニュールンベルグ裁判は、勝者が敗者を裁いた裁判でしたが、このアイヒマン裁判は、被害者が加害者を裁いたものであったと言う事実は忘れてはならないと思います。
ハンナ・アーレントも、本書でアイヒマン裁判の正当性には言及しています。
果たして、イスラエルという国家に、彼を裁く権利があったのか。

アーレントにとって重要な関心は、事実上「罰することも赦すこともできない」アイヒマンの犯罪を、現実の法廷がいかに裁くかということでした
そして、彼女はイスラエル国家による裁判の正当性を、最終的には認めています。
彼女は、アイヒマンの犯罪行為をこう説明します。

アイヒマンは自らの頭で考えることをやめ、思考停止した状態で権威(ナチス)に従った。
自分が何百万人ものユダヤ人をガス室に送っているという事実からは目を背けたまま、組織での出世という極めて世俗的な動機から行動した。
アイヒマンは、冷酷な極悪人でも精神異常者でもなかったが、彼にその自覚があろうとなかろうと、「人類の多様性に対する罪」は負うべきである。
多様な民族が共存するこの世界で、特定の民族をこの世から消し去ろうとしたナチス(およびその中心的役割を果たしたアイヒマン)は、多様性を脅かす犯罪者集団であった。
ナチス・全体主義の正体は、実は極めて世俗的で、自己保身的な「陳腐な存在」であるアイヒマンのような人々の集まりであったことが、この裁判では明らかになった。
問題なのは、そのような「陳腐な存在」の集団であっても、人類史に汚点を残す、ジェノサイドの遂行が起こりうるという事実である。

自分の使った「陳腐」という表現がこれほどまでに人々の反感を呼び起こすとは,恐らくアーレントは予想もしていなかったと思われます。
 「陳腐」に籠められた彼女の本意は,ナチ犯罪は「人間の判断の可能性を絶するものであり、我々の法的な制度の枠組みを吹き飛ばすものである」 という意味で使われています。
さらに言えば、「陳腐な悪」の対局にあるものは、「根源悪」、もしくはもっと悪魔的で、荘厳なホロコーストを説明するのにふさわしい「巨大悪」と言うようなものだったのでしょう。
自分達の虐殺を実行した、ナチスという集団にそれを求めたユダヤ人たちは、この裁判によって、世界にそれを理解してもらおうと必死でした。
しかし、アーレントは、本書において、アイヒマンを徹底的に陳腐な小心者として描きました。
それは、数百万人のユダヤ人の虐殺を指揮した、冷酷な極悪人、悪魔といったイメージとは決定的に異なるものだったのです。
アイヒマンの犯罪に、人間の理解を超えるような次元の悪魔的動機があったとは、誰にも思えなかったはずです。
実行された犯罪の巨大さに対して、実行した個人の動機が、あまりに瑣末で陳腐であったことが、逆に全体主義というシステムの恐ろしさを物語っていることを、彼女は指摘します。
そして、今日の社会では,平凡な小悪人が同時に大量殺人者となりうる可能性を示唆します。
ナチの時代よりも、格段に技術が進歩し、比べ物にならないほど情報化が進んだ今日の社会において、保身、出世欲、忖度などの卑小な動機で悪が作動し、それが予想もつかない結果をもたらす場面を、我々はここ数年で、何度か目撃していてます。
ハンナ・アーレントが、60年前に目撃した、「陳腐な悪」「ありふれた悪」は、自ら思考を停止してしまうことで、権力に飲み込まれ、それは、やがてとんでもない怪物になると言うことを、我々は肝に銘じておかなくてはいけないかもしれません。

ウクライナとロシアの戦争は、その長期化に伴って、凄惨を極めてきています。
ウクライナのマリャル国防次官が2日「キーウ(キエフ)州全域が侵略者から解放された」と宣言しました。
しかし、およそ1カ月にわたってロシア軍が占拠していたブチャでは、民間人とみられる服を着た遺体が路上に多数見つかっています。
中には、両手を縛られた遺体や、買い物袋を握ったままの遺体もあるといいます。
ビル内の部屋では、拷問が行われたとを物語るように、切り刻まれた、子供たちの遺体が散乱されていたと言います。
これらは、ウクライナによる報告ではなく、現地に入ったメディアの目に映った惨劇でした。
確かに、虐殺の規模は、80年前のホロコーストに比べれば、まだ小さなものです。
しかし、その犠牲者の数値が、罪の大きさに比例するものとは思えません。
その実行を指示したという限りにおいて、プーチンとヒットラーは同罪です。
ロシアのトップとして、プーチンが指示した命令がどんなものであったかは、知る由もありません。
もちろん彼自身が、虐殺の実行を指示したのではないのかもしれません。
しかし、それが軍隊という命令系統を伝わって、現場の兵士に届くまでに、どう変質したか。
その過程には、幾つもの「陳腐な悪」があった可能性はあるでしょう。
プーチンの側近は、保身のために命令を伝え、現場の指揮官は名誉欲のために侵攻を指示し、兵士たちは略奪目的で、市民を虐殺するわけです。
もし、その責任を問われた場合、彼らはどの立場であっても、その責任を回避する言い逃れを用意できます。
「自分は命令に従っただけ。」
そして、それは、トップのプーチンでさえも同じこと。きっと彼はこう言います。
「俺は、そんな命令をした覚えはない。」
そうなると、虐殺の責任が問われる時、それは、一体誰に向けられるべきものなのか。
失われる命の大きさと比べれば、その言い訳の一つ一つは、例え、プーチンが述べる戦争理由でさえ、とても陳腐なものにしてしまいます。

戦争が犯す最大の罪は、それを俯瞰する立場から見れば、結局のところ、それに関わるすべての人を、犯罪者にしてしまうことかもしれません。
それは、実戦にたずさわるすべての兵士だけではありません。
これを伝えるメディアも、一歩間違えれば、犯罪者になってしまう可能性はありますし、犠牲者でさえも、その可能性と無縁ではありません。
もちろん、この戦争を見守る世界中の人々にとっても、これは同様。
自分とは関係ないと思っている無関心が、この戦争においては、すでに犯罪行為なのかもしれません。

もちろん、その一つ一つは、とても「凡庸」で、「陳腐」なことなのですが。


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