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アナベラ 死霊館の人形 2014年アメリカ

映画は一本ヒットすると、やはり作り手としては、「柳の下のドジョウ」は、何匹も狙いたいものでしょう。映画界全体がそんな体質になって来てしまいました。
それには、ファン気質というものが、昔に比べてかなりマニアックになり、熱量も高くなってきたという背景があるのかもしれません。
本作は、「死霊館」シリーズのスピンオフ作品。
このスピンオフという響きだけでも、ちょっと「語りたい」系のファンたちにとっては、多少の鮮度劣化は承知の上でも見てしまうのでしょう。
かくゆうこちらも、関連作品となると、他にまだ見たい作品はあっても、やはり優先的に見てしまいます。
この辺の商売感覚は、第一作のヒットを飛ばしたジェームズ・ワンという人にはあるようで、本作では自分は製作に回って、監督はジョン・R・レオッティという人に譲っています。

しかしシリーズとはいっても、そこは映画ですから、どの作品から見始めても、単体で楽しめるようには作られています。
ギネスブックに冠たる映画シリーズの不動のNo. 1である「男はつらいよ」シリーズは、一応全作品見てはいますが、僕が見た順番はバラバラ。
でも、定年退職後には、007シリーズ、ハリー・ポッター、スター・ウォーズなどの有名シリーズは、一応製作順に見直しました。
やはり、シリーズものは出来る限り製作年順で見たいというのが映画マニアとしての本音です。
映画にはヒット・シリーズが数多ありますが、今まで衛星放送で撮り溜めた映画のシリーズものでも、不思議なもので、コレクションし始めてしまうと、その中の一本だけでも欠けているともういやなんですね。
ないところは飛ばしてみようかという気にはならないものです。
やはり、シリーズ全作品が揃うまでは、DVDチェストで眠ることになります。
これがかなり悩ましいコレクター気質。
しかし、今回の作品は、スピンオフを含めたシリーズ全作品が、最新作を除いて、Amazon プライムに全て揃っていました。
これは、このシリーズを一度見始めてしまった以上、残り作品すべて、順番に見ておかなければいけないという気に勝手にさせられて閉まっている状態です。

本作は、一作目の「死霊館」の冒頭シーンを、スピンオフとして完全に流用する展開です。
悪霊(悪魔)に取り憑かれるのは、アナベラというアンティック人形。
本シリーズで主役のウォーレン夫妻は、本作には登場しませんが、この人形のための霊現象に悩まされた2人の女の子が、本作の冒頭には登場します。
そして、一作目では、ウォーレン氏の地下収集室で、アナベラ人形は、ガラスケースに入って不気味に陳列されていましたが、そこへ至るまでの前日譚が本作で語られるということになります。
実話をもとにした本シリーズ一作目は、1970年という舞台設定でしたが、本作も概ね同時期のお話です。
これが、本シリーズ同様実話だとは、Wiki には書かれていませんでしたが、本作のヒロインであるミアが妊婦であるということと、カルト宗教に洗脳された殺人鬼夫婦に、襲われるという展開は、1969年に全米を震撼させたマンソン・ファミリーによる女優シャロン・テート惨殺事件がベースになっていることは明らかです。
シャロン・テートは、当時ロマン・ポランスキーと結婚しており、妊娠8ヶ月で、その腹部をメッタ刺しにされて殺されています。
同じロマン・ポランスキーが監督した「ローズマリーの赤ちゃん」や、つい最近見た「クワイエット・プレイス」もそうでしたが、ヒロインを妊婦の設定にすると、それだけでハラハラ感が増すという効用もあって、ホラー映画との相性は非常によろしく、数多くの映画で見かけます。
妊婦だけに限らず、盲目とか、車椅子とか、声が出せないなど、さまざまなハンディ・キャップのあるキャラクターがホラー映画には、好んで恣意的に使われますが、個人的には、恐怖を盛り上げる手法としての妊婦という設定は、生理的にあまり好みではありません。

それから人形です。
これも、ホラー映画では好んで使われてきた小道具(本作では主役か)です。
これは昔から思っていたことですが、ホラー映画における人形の扱い方で、監督の力量がわかるかもしれないというもの。
どういうことかというと、ホラー演出において、人形を動かすか動かさないか問題ですね。
人形ホラーシリーズの代表作といえば「チャイルド・プレイ」。
シリーズにおいて、チャッキー人形は、サイコキラーとして徹底的に動いて演技します。
大映映画の「大魔神」よろしく、悪魔に乗り移られれば、その表情まで完全に「取り憑かれ」メイクになります。
しかし、本作のアナベラの表情は、どれだけ意味ありげにカメラが寄っても、目玉がギロリと動いたりり、歩いて移動するシーンは最後の最後までありませんでした。
アナベラ人形は、実際にはちょこちょこと移動しているのですが、その「動く」シーンは映画の中では、一切ないという演出で、気が付いたら動いていたということで恐怖を盛り上げようとしたわけです。
要するにどちらの方が、怖いのかという話ですが、これは人それぞれ。
これも個人的ではありますが、私見を言えば、人形は動かさないで、より深い恐怖を演出できたら、監督としての技量は明らかにそちらの方が上ということ。
おそらく、演出力のある監督ほど、人形は動かさないと思うわけです。
さて、本作においてはどうか。
うーん、これはちょっと微妙なところでしたね。
もしかして、ジェームズ・ワン監督だったら、人形に何か特別な動きでも仕込んだ上で、本作よりも、アクティブにゾッとする映像を作ってきたかもしれません。
あの監督は、どこか、新しいことやりたがり屋の雰囲気があります。
反対にヒッチコックなら人形は直接動かさないで、周囲の何か小道具を使ってゾッとさせる演出を考えそう。
要するに、本作はホラー映画としては、かなりオーソドックスだなという印象でした。
いわゆる「普通に怖い」というやつで、恐怖を映画を見るときには、こちらが期待してしまう今まで見たことのない新鮮な恐怖演出というものは特にはありませんでした。
そうそう、一つだけビックリする演出もありましたが、あれはチラリとYouTubeで見てしまった予告編でそっくり使われていました。
えーっ、それを予告編で使ってしまうのか。

しかし、この後まだAmazonプライムに2本あるアナベラ・シリーズは続けて見てしまいそうです。

さて、人形は動くか、動かないか。
そんなホラー映画の楽しみ方もあります。

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