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蛙化現象から考える男女の恋愛論

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。

「蛙化現象」という言葉をご存知だろうか?

元々は心理学者が2004年の論文で名付けた用語であったようだが、2023年には流行語大賞の7位となるくらいに、ニンゲンたちの間では交わされている言葉であるようだ。

既に言葉の意味を知っている人も多いと思うが、一応解説すると、「元々好きだった相手の言動が気になって気持ちが冷める」という意味の言葉である。

以前、とある女性YouTuberが「男性が会計のときに財布を出しているのを見たときに蛙化現象になる」と動画内で発言したことが、SNS上で若干炎上気味にバズっていた。

そこで私は、「蛙化現象」の言葉が流行っていることを知った。

そんな私はというと、恋愛で無惨にもフラれてきたことが圧倒的に多かったため、誰よりも「蛙化現象」の残酷さを理解している。一切自慢できない自負である。

なぜ、ニンゲンは「蛙化現象」を、炎上させるほどに嫌悪してしまうのか?

蛙化現象マエストロの私が心を抉って(えぐって)、蛙化現象から男女の恋愛論を考えてみたいと思う。

付き合っている相手に別れを切り出すときは、最もらしい理屈を述べることが多い。

一方で、会社を辞めるときに、退職者は退職理由を本音で述べないことが多いと言われているが、私はこの理論が恋愛にも通ずると思っている。

だって、「蛙化現象で嫌いになった」なんて相手に言えるわけないから。これを言った瞬間に、別れを切り出した自分が悪者になってしまう。

そのため、「双方が悪い」という結論になるよう、最もらしい理屈とともに、別れの言葉を告げるものだと私は思っている。

私は、初めて付き合っていた相手からフラれてしまったとき、相手が披露する別れの理由を鵜呑みしていた。

でも、これを鵜呑みすると、実際には相手が浮気していたという真実を知り、心が苦しくなった。

ただ、よく考えてみよう。そもそも、誰かと付き合うというのは、理屈で考えるものなのか。いや、結局は皆、感情を優位に決めているではないか。

相手と別れるというのも同じだ。理屈で判断するのは一部であって、「蛙化現象」をはじめとする感情的な面が大きいものだと思う。

冷静に考えればそうなのだが、当時の私だったら、「蛙化現象」なんてものは信じたくなかったであろう。

それは、「自分が生理的に無理な面を相手に醸し出している」ということを認めることになるからだ。

端的に言えば、「蛙化現象」を認めることは、巡り巡って自己否定することになるのだ。

つまり、「蛙化現象」を炎上させるほどに嫌悪してしまうニンゲンは、過去の失恋で心の傷が癒えておらず、自己否定でその傷を抉りたくないのだと思う。

では、「蛙化現象」を信じたくないニンゲンが考える「レンアイ」とは一体なんなのか?

言葉を濁さずいうと、それはきっと、常に相手の良い面だけをみて、常にポジティブな気持ちで一緒に居られて、常にお互いが好きな時間を一緒に共有して、常にお互いが隠し事をせずに、常に初体験のようなセックスができて…というものを「レンアイ」と定義しているのだろう。

私もそうだった。でも、その自身の欲望に塗れた「レンアイ」は「恋愛」でないと気づくのは、ずっと後のことだった…。

芸能人が熱愛報道や結婚報道されると、祝う声で各地が渋滞する。その反面、芸能人の破局報道や離婚報道にも、同じく声で渋滞が発生する。

自分とは関係のない他人に、なぜ、そこまで熱くなれるのか。

それは、ドラマとかに出演する芸能人たちが、「レンアイ」をしていると信じたいからだろう。リアルに「レンアイ」があると信じたいのだ。

だからこそ、芸能人が破局や離婚をすると、期待を裏切られてしまい声をあげてしまう。

ベストマザー賞をとった歴代の芸能人の離婚率が高いということで話題になったが、理想に溢れる「レンアイ」なんてものはリアルに存在しないのだ。

そもそも、理想に溢れる「レンアイ」は良いものなのか。

常に相手の良い面だけをみて、常にポジティブな気持ちで一緒に居られて、常にお互いが好きな時間を一緒に共有して、常にお互いが隠し事をせずに、常に初体験のようなセックスができて…

確かに、それだけ聞けば良いように聞こえる。でも、多分違う。

もしこれを実現するためには、四六時中、気を遣わないといけない。相手の地雷を踏み続けないようにする関係性に、幸せなどあるのだろうか。

そう気づいたとき、私は「レンアイ」を追うのはもうやめにした。

多分、恋愛というのは、そこまで良いものではないのだと思う。同じ人間同士で関わり合い続ける以上、相手の嫌な面が見えて「蛙化現象」が起きるのは、朝起きたら太陽が昇っているように当たり前のことなのだ。

だけど、それでも恋愛したいと、ニンゲンの遺伝子には刻まれている。

であるならば、100年の恋も冷めるような「蛙化現象」の存在を肯定して、自分が相手に馳せる感情の変化や、相手が自分に馳せる感情の変化を楽しむしかないのだ。

それが楽しめるようになったとき、ほどほどに幸せで、つまらない大人になった証左でもあるのだと思う。

これが私の、蛙化現象から考える男女の恋愛論である。

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