優しさを売りにするのは、もうやめた。
吾輩は猫を被ったニンゲンである。名前はぽん乃助という。
-あの人、優しくて好き。
ニンゲン界では、「優しい」ということが、その人の魅力を表す指標となっている。
-君って優しいね。
そんなことを言われただけで、嬉しなってしまうような単純なやつはいるのだろうか?
ほかでもない、私だ。
そんなある日、Twitterでこんな画像が回ってきた。
これを見た瞬間、自分の目どころか、全身が点になるような感覚になった。
改めて文面にしてみよう。
如何とも表現し難いけど、自分の中身が何もなくなるくらい、抉(えぐ)られた。
それは声に出さずとも、「自分は優しい」ということを心の中で誇らしく、売りにしていたからだろう。
さて、皆さんはリフレーミングという言葉を、ご存知だろうか?
有名な話だと、コップに半分注がれた水を見て、「半分“しか”入っていないと捉えるか、半分“も”入っている」と捉えるかで、面持ちが変わるというものである。
これは、人の性格の捉え方にも、適用されることがある。
例えば、ネット上でのリフレーミング表現を見てみると、「飽きっぽい(短所)」を「好奇心がある(長所)」と捉えたり、「無口(短所)」を「人の話をよく聞く(長所)」として捉えたりされている。
そして、「おっせかい(短所)」や「お人よし(短所)」を、「優しい(長所)」と捉えている事例もあった。
前回の記事では、「結果につながらない努力は、努力ではない」ということを綴った。
きっと、私の心の奥底には、「努力をしても他人を圧倒できるものはない」とか、「他人を圧倒できるまで努力できない」とか、そういう後ろめたさが埋もれているのだろう。要は、自信と根気がないのだ。
それを誰のせいにもできず、「優しい」を自称することで、自分の嫌いなところから必死に目を背けていたのだろう。
世の中を見てみると、何でもポジティブに捉えるニンゲンもいるが、一方で、何でもネガティブに捉えるニンゲンもいる。
そう考えると、「リフレーミング」をする人だけでなく、「逆リフレーミング」をする人もたくさんいるのだと思う。
例えば、面接の場などで「長所は何ですか?」と聞かれて、「優しいことです」と答えたら、何人が文面どおり捉えてくれるだろうか。
それこそ、「この人には何もない」と、逆リフレーミングをして解釈する人も多いだろう。それどころか、あたかも相手の深層心理を掴んだことを鼻にかける自称メンタリストも度々現れる。
世の中で生きていくにあたっては、こういう捻くれた面倒なニンゲンとうまくやれないと、それこそすぐに、自分の「優しさ」が簡単に瓦解する。
だったら、いっそのこと、「優しさ」を売りにするのはやめた。
他人の「優しさ」を買うのもやめた。
そもそも、「優しさ」は売買するような取引材料じゃないんだ。
「優しさ」はベースであって、それに何かが加わることによって、はじめて価値が生まれるものなんだ。
簡単に「優しさ」に逃げないことが、自分の弱さと向き合い、強さにつながることだと信じて…
過去の自分に、キャットファイトしてやろうじゃないか。
にゃーん!
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