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その瞬間、「逃げろ」と私は叫べるだろうか?

1923年9月1日。東京・神奈川を中心として、関東大震災が発生した。

この大震災が発生した9月1日は「防災の日」と定められており、関東大震災から100年となる今年は、例年以上に各メディアで防災について報道された。

その報道の中には、近年で未曾有の大災害となった東日本大震災を取り上げるものも多かった。

さて、東日本大震災による大川小学校の被災を、皆さんは聞いたことがあるだろうか?

津波により、大川小学校に在学する児童108名中74名・教員10名が亡くなった。在学する児童のうち7割が犠牲になったのは、大川小学校だけだった。

この被災は責任の所在が問われ、当事者以外が触れづらいテーマである。

-でも、地震に無縁ではいられない私だって、目を背けてはいけないことだ。

9月1日は、そんなことを考えながら過ごしていた。

現在、大川小学校は震災遺構となっており、私は2年前に訪問した。

2年前に高台から撮影した大川小学校(震災遺構)

メディアで報道される映像の印象がより際立ち、私は、校庭からすぐそばの高台を目の当たりにした。

我がごとのように、「なぜここに逃げられなかったのか?」という悔恨が募った。語り部を務める遺族にもお話を聞き、その無念を痛感した。

昨年は、東日本大震災をテーマとした『すずめの戸締まり』が上映され、改めてこの災害を考えるきっかけとなった。

いつもどおりの「行ってきます」と「行ってらっしゃい」。

でも、いつもどおりに「おかえり」は言えなかった。

数分、いや数秒でも早く、その場で「逃げろ」と叫ぶ人がいたら、ひとりでも多くの命が助かったのかもしれない。

SDGsのひとつに「住み続けられるまちづくりを」という綺麗なアイコンが掲げられているが、このアイコンでは伝わらない生々しい現実に立ち向かうことも求められているのだろうと私は思う。

いつもどおりの日常が、突然の大きな揺れによって崩れ去る。そこにいる多くの人が、放心状態になったり、パニック状態になったりしている。

-その瞬間、「逃げろ」と私は叫べるだろうか?

南海トラフ地震や首都直下地震など、いつ大地震が起きてもおかしくない今、未来のためにできることとして、私の胸に問い続けたい。

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