「自己承認欲求」という名の悪魔との付き合い方
吾輩は猫を被ったニンゲンである。名前はぽん乃助という。
-自己承認欲求を捨てよ。
SNSを見ていても、以前ほどではないが、自己承認欲求を否定する発信が流れることもある。
アドラー心理学の要点を伝えた『嫌われる勇気』がベストセラーとなって以来、こういうメッセージを発する人が増えたように思う。
私も、生きているとたまに思うことがある。
「自己承認欲求がなければ、どれだけ楽に生きられるのだろう」と。
でも、自己承認欲求は、悪魔のように付き纏ってくる。
私もそれに触発されて、自己承認欲求に否定的な意見を発していたこともあった。
ただ、冷静に考えてみれば、この行為自体は矛盾だらけだ。
本当に自己承認欲求を否定しているのであれば、インターネット上で自分のお気持ちを表明しないのだ。
私の周りでは、時代に取り残された様相で「SNS何それ美味しいの?」と語らう人がいる。
でもそれは、時代に取り残されているのではなく、時代の最先端なのかもしれない。自己承認欲求誘発ツールのSNSに触れないことが、ある種の自己承認欲求を否定する簡易的な手段だからだ。
さて、「自己承認欲求を捨てよ」とSNS上で発する人は、私の独断と偏見で、次の3パターンに分かれるように思う。
①自己承認欲求が既に満たされている人
②情報商材につなげる人
③それっぽいことを言って自己承認欲求を満たしたい人
①と②は、私からしたらどうだっていいと思ってる。
①の人は変わらずにそのまま生きていればいいわけだし、②の人は商売だと割り切っているのだから、放置してても勝手に幸せになる人だろう。
問題は③の人だ。結局、自己承認欲求を満たしたいのに、それをひたむきに隠して逆のことを言う。まるで、好きな女の子をいじめる男の子の構図じゃないか。
そんな人が、存在するのだろうか?
他でもない、私がそうなのだ。高らかに声をあげようじゃないか。
私は、今だって自己承認欲求という悪魔を祓うことができていない。だからこそ、noteというツールを使って自分のお気持ちを表明しているのだ。
SNSでは自己承認欲求という悪魔に、身だけでなく心も委ねてしまった人を見てきた。
自己承認欲求が原動力になれば、それでいいと思う人もいるだろう。そうした原動力で、輝いている人もいるじゃないか、と。
でも、その陰には、途中で心が折れてしまって闇堕ちし、嫉妬に塗れる人もたくさんいるのだ。
この嫉妬という感情は、人間のバグだと思う。
頑張って努力しようとする自分の気持ちを削ぎ、他人への攻撃意欲が高まり、それでいて自分の怒りの感情が消えない。それが嫉妬の正体だ。
プロゲーマーの第一人者である梅原大吾(ウメハラ)氏が、以前この嫉妬という感情に対して、こんなことを話していた。
私には、自己承認欲求という悪魔を祓う方法を持ち合わせていない。持ち合わせているのならば、早々にインターネットの舞台から立ち去っているはずだ。
だったら、私がこれから生きるための道は、自己承認欲求との共存ルートを探るしかないと覚悟を決めることとした。
馬謖を斬った諸葛亮の如く涙を流しつつ、承認欲求という存在を、私は認めることとしたい。
けれど、闇堕ちしないように、自分のスペックを大幅に上回る承認欲求は持たないようにする。
もし、承認欲求が暴走して嫉妬が溢れたら、「俺が悪い」と思って立ち止まるようにする。
猫が人間に対する態度のような達人の間合いで、私は、自己承認欲求という強大な悪魔に立ち向かうこととしたい。
にゃーん。
(P.S.)
5月から、「眠れない夜に寝ねがら聴ける┆安眠ラジオ」をYouTubeではじめました。
ぜひ、ご活用してやってください。
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