いつか消える「若さ」という武器を代償に、私は何を得たのだろうか?
吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。
仕事帰り、普段の帰り道。駅を降りて私の家に着くまでに、一際明るい道がある。
そこには、キャバクラやガールズバーに誘う女性たちが、寒さに凍えるのを堪え、行き交う男性を見るや否や声をかけている。
学生っぽい子もいれば、社会人だろうなという子もいて、境遇も様々だろう。
その中で、私はひとり、覚えてしまう子がいた。
決して好みというわけじゃない。けれど、スマホで暇つぶしをしている子が多い中、その子だけはスマホを一切いじらず、真剣に客引きをしていた。
風貌を見るに、学生ではなく、社会人になってから5年くらいはこの業界にいるのだろう。
私は思った。「若さ」という武器はいつか消える。この残酷な真実を知りつつ、彼女はなぜここで、働き続けるのだろうか?
会社で働いていれば、歳をとっても、スキルを身につけたり、人とのつながりを得たり、昇給したりする。
けれど、女が色恋を売り、それをお金で買う男が集うこの場では、「若さ」という武器を失った女性は生きられなくなる。
そして、いつか消える「若さ」という武器を代償に、彼女は何を得るのだろうか?
彼女には、未来があるのだろうか?
ところで、ここで私にふと疑問が浮かんだ。
そんな私自身は、「若さ」という武器を代償に、得たものはあっただろうか?
今日も心を抉って(えぐって)、考えることにした。
◇
私が社会人になったばかりの20代の頃、「平成生まれとか若すぎ!」と色んなところで言われた。
-失敗できるのは若いうちだけだから、どんどん挑戦しなさい。
あぁ、耳が痛い。そんなことは、言われなくても、もう分かってる。
でも、私には挑戦する余裕なんて、あるはずもなかった。
だって、入社早々、「無能な新人社員」という烙印が押されてしまったから。
職場という小さな箱の中では、一度無能の烙印が押されると、人権なんてものはなくなる。
挑戦どころか、まともな仕事も任せてもらえない。書類を作るだけでも、真っ赤になって返ってくる。挙句には、3秒も話す権利が与えられない。
Facebookに映る同世代の友だちは、若くして経営者になっている人もいた。子どもを抱き上げる立派な親になっている人もいた。
でも、私だけは周りに置いていかれ、取り残されたような気がした。
今思えば、他人とは5年遅れで、やっと人並みに仕事と向き合っていたように思う。
そして、30代という大台に乗ってから幾分か時間が経ってしまった。
子どもの頃、30歳といえば立派な大人だと大人だと思っていたけど、自分から見る30歳の自分は、あまりに小さかった。
たまに「若い」と言われることがあっても、実際には若くないということを理解する年頃だ。
世間では、30代がいちばんの働き盛りと言われる。私だって世間の波に攫われ、一生懸命働いている…はずだった。
ただ、実際には、転職活動に明け暮れていたのだった。
キャリアへの不安が募り、他人よりも5年遅れで積み上げた微々たる成果を提げ、戦っていた。
でも、現実は厳しいものだ。微々たる成果では、書類選考すら通らない。気づけば、応募した会社が50社にものぼっていた。
最初は良い顔をしていた転職エージェントも、書類が通らないと見るや、連絡が返ってくるのが遅くなり、最後には見放されてしまった。
-学生の就活の頃より、苦労しているじゃないか。
ふと頭に、学生の就活で苦労した記憶が蘇り、それと比較して面接にもたどり着けない今の私があまりに惨めに感じ、すっかり心が折れてしまっていた。
私は、いつか消える「若さ」という武器を代償に、私は何も得たものなど無かったのだった。
その悲惨な現実を、私は知ってしまったのであった。
◇
転職活動でうだつが上がらないけど、いつもの帰り道は同じだった。
今日も、客引きを一生懸命しているあの女の子がいた。
「いつも頑張ってるね。寒くない?」
しびれを切らしてしまい、慣れない声つきで、彼女にそう話しかけていた。
「一杯どうですか?」
ついつい、ついて行ってしまった。
そこに本物の恋や希望などあるはずもないと分かりつつ、苦悩していた私は、判断能力が消えていた。
客席につくと冷静になり、安めのお酒を頼みつつ、当たり障りのない会話をしていた。
会話の中で、嘘か真かは分からないけれど、彼女は25歳と自称していた。これが本当だとしても、「若さ」が最大の武器であるこの世界では、高齢の部類に入るのだろう。
私はどうしても、彼女にあのことを聞きたかった。失礼すぎるのは承知のうえで、私は口を開いた。
「どうして、この仕事続けてるの?いつまでも続けられる仕事じゃないと思うけど。」
私は、彼女がこの質問に苦悩すると思った。いや、自分と重ねて、苦悩する彼女を見たかったのかもしれない。
でも、彼女から返ってきた言葉は、意外なものであった。
「わかんない。でも私、人に尽くすことが好きで、感謝されると嬉しいの。」
彼女の目に嘘はなかった。輝いていた。
-いつか消える「若さ」という武器を代償に、彼女は何を得るのだろうか?
私は浅はかだった。なぜ私は、彼女のことを憐んでいたのだろう。
彼女のことを1ミリも知らないくせに、勝手に自分と重ねて、彼女の境遇を暗いものだと想像した私が恥ずかしくなった。
彼女は、「若さ」を切り売りしていたんじゃない。彼女は若いときにしかできないことを、一生懸命挑戦していたのだ。
私は店を後にすることにした。彼女のドリンク代を含めて、6,000円を支払った。
初回限定割引とか言ってたけど、1時間で6,000円というのは良い商売だ。でも私は、お金で代えられないような感銘を受けた。
私は再起して、転職活動をもう少し頑張ることにした。転職エージェントに見放された私は、新しいエージェントに頼ることは諦め、企業に直接応募をし始めた。
そして、面接まで辿り着いた会社があった。運命の悪戯なのか、その会社は新卒のときには一番入社したかったけど、書類も通らなかった会社であった。
私は真っ先に、彼女の姿が頭に浮かんだ。たぶん、彼女だったら…。
私は、過去を忘れて、必死に今を生きることにした。
面接まで時間がなかったけど、想定される質問を200個くらい用意して、すべて答えられるようにした。
そして、YouTubeに投稿されている圧迫面接の動画を見続けることで、緊張しても堂々と答えられる精神を作り上げた。
でも、私の目の前には、やはり試練が立ちはだかった。
最終面接では想像以上に厳格な雰囲気で、想定外の質問ばかりだったのだ。
もっと、うまく答えられたのに…
東京から大阪に帰る新幹線の中で、まったく意味のない後悔を想起していたら、一瞬で2時間半が経ってしまった。
大抵、最終面接が終わった日に、内定となった場合は連絡をもらえるものだ。でも、スマホが鳴ることは無かった。
次の会社の選考に向けて準備しようと気持ちを切り替えようとしたけど、無理だった。
ただ、肉体的にも精神的にも疲れていた私に、幸いにも眠気が訪れた。
そして、朝。鳴り響くスマホのアラームを消すと、内定のメールが入っていた。
夢だと思ったけど、現実らしい。どうやら、必死に今を生きた私が、運命に打ち勝ったらしい。
不器用な私は入社してから、もっと苦労することになるだろうけど、一旦は転職活動という山を越えることができた。
もう、あの店に行くことはないだろう。もう、あの子に話しかけることはないだろう。
でも、彼女に届くはずもないこの場所で、感謝を伝えることにしたい。
ありがとうございました。
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