ジョーカー

なんにも予定がない…というか行動が制限された虚無に等しくただただ長く苦痛なお盆が明け、また働く日々が始まった。
が、そこに一つ仕事場に異変が起こった。

会社設立以来、長年にわたり休みなく一筋で働き、現在では私の相棒的存在であるパートさんが体調を崩し、しばらくの間休養することになり、その間パートさんが担当している場所に私が対応して行くことになった。
だが、事はうまく運ばなかった。

隣で2〜3年は仕事を見てきたし、それなりにどうすればいいかは教えていただいたし、分かっているはずだった。
けども見るのと、やるのでは当然のように違いがあった。いや、ありすぎた。
同じやり方でも何かが違うのか。うまく仕上げられないし、慣れない作業で確認に時間を要した。
そして、気づけば大量の仕事の山が積み上がっていた。いとも簡単に。

積み上がった山との対峙に四苦八苦するのを尻目に次の作業のパートが早くしろと催促する地獄が待っていた。
まず、休養による担当変更やそれによる遅れは報告を受けているにも関わらず、まるで、親鳥に食べ物を求め、ピーチクパーチク鳴く雛鳥のように執拗なそれは焦る私を余計苛立たせた。
その雛鳥は休んでいるパートさんと同じくらいの長さ働いている経験があるはずで、誰かが休んでいないケースというのは今回が初めてではないはずだし、私たちの作業も熟知している。
なので、消化できていないと判断していたのならば手伝えることも可能だったはずだ。

しかし、手を差し伸べることはなく、たまに言葉の内容と語気を強めるだけの代わり映えのない響かない叱咤という名の催促をし続ける姿に呆れてものも言えない気分になった。
そして、そこにいる「だけ」で頭を動かさず、誰かにやってもらうことばかり考えて、ここまで来た人なんだなと、ちょっとした哀れみと達観の境地に至った。

それと同時に、誰かが欠けているのにも関わらず、状況を確認しに来ることを欠けている間一度となく、自分の仕事と喫煙所を行ったり来たりしていたチーフという人間も信用できない人だということを確信した。

私が今やっている仕事を少なくともその2人は下に見ている尊大な怪獣に見えた。
仕事を長くやり続け、歳を取るといつかこうなってしまうのであろうか?少し未来へ一抹の不安も覚えた。

そんな人たちを横目に見やりながらも仕事を進めるなかで、休んでいたパートさんの仕事ぶりは凄かったんだなと再確認できた。
自分たちが勝手に作り上げた立場の上下だけの見方で、態度を変えるような人たちを相手によくぞ長年仕事をしてきたなとある意味尊敬できるし、何故出来たのだろうか考えてみた。

パートさんは日々謝っていた。
尊大な振る舞いばかりをする人間が多い仕事場で一番低姿勢を保った人だと思う。
尊大な人間同士がぶつかると、引くことができず、妙に険悪になったり、引きずることも少なくない。実際そういう場面に出くわし、気まずい空気に耐えられないこともあった。

だが、低姿勢の極みであるパートさんは口ぐせのように「ごめんなさい」と言う。
ただの確認で聞いたことにと言葉の締めのように「ごめんねー」と優しい声で言う。
そんなことで言わなくてもいいのにと思うほどだ。

しかし、その言葉は尊大な人間であればあるほど効果はあったようだ。
その結果として、つけ上がり、尊大のモンスターを生み出す要因にはなっているのかもしれないが、「ごめんなさい」の一言でたいていの衝突は一瞬で抑えられる。
そして長年、低姿勢を保つ姿は周りの人に愛されることにも繋がっているようだ。
変に派閥がある(らしい)中でも、分け隔てなく付き合いがあり、私の元に「(パートさんの名前)さん大丈夫なの?」と様子を聞きにくる人が多かった。

知らず知らずのうちに、低姿勢で人当たりのいいパートさんは「ごめんなさい」という最強のジョーカーの使い手と化していたのだと思うと、ある意味納得できた。

休養明け、申し訳なさそうな顔をしながら缶コーヒー片手に「ごめんねー」というジョーカーを出してきた。
それを笑顔で受け取りながら、まだまだ元気に一緒に仕事ができればいいなと思っている。


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