マッチングアプリ

今年の6月で32歳になった。とあるサイトでは男性の結婚適齢期は社会人4年目から30代前半と謳われているところから、今ちょうど適齢期に入っているらしい。

東北の田舎で実家暮らしをしている私の周りでは、所帯を持つ友人が多くなった。つい最近も6つ下のソフトボールチームの仲間から「結婚式出席してくれませんか?」というLINEがきたし、試合があれば、奥様と子供が旦那の勇姿を見届けるためにやってくる光景も珍しくなくなった。
そしてなによりも盆と正月、親戚が一堂に会する場での会話の序盤。あたかも季語のように「結婚はまだなの?」「いい相手いないの?」というジャブをその手の話にはノーガード戦法を取る私にお見舞いしてくる。そういう意味では都会より田舎のほうが結婚に対しての圧は強い。

その圧に押されてなのか、ただ1人で何かをすることに寂しいことに気づいてしまった。からかは別にして、32歳を機にマッチングアプリというものに手を出してみることにした。
結婚というハードルは今の自分にとっては高すぎるものだが、そもそも相手がいないとそこにはつながらないし、そことは別に何かしらの新しい交流を持つということは…悪くないことだよな!という誰にも見せることはない大義名分をかざし、そして自分に言い聞かせるように飛び込んでみた。のだが、

まず待ち受けていたのはプロフィール写真。そのサイトではなるべく自分と分かるものを載せてくださいとは書いてあるのだが、そもそも自分自身昔から写真に映ることが苦手で、あまり自分を映した写真がない。
しかしそういうことならば、少ない中でいいものを…も思うのだが、自意識に苛まれ、良いものがないと判断する。ということは慣れないというか初めての自撮りに自動的に挑むことになる。
手前味噌的に「好印象を受ける自撮り!」と書かれているようなサイトを見て、身嗜みを気にして、鏡の前に向かいはじめての自撮りをする。この時点で自意識過剰な自分のハートはガラスの破片と化した。
「こういうことになるのならば、写真撮っておけば良かった!」「今度からは積極的に写真に映ろう!」と今まで抱いていた写真に対する苦手意識はどこへやら。いとも簡単に自分が写真に映ることへの思いをひっくり返すことになるほど、プロフィール写真は手強いものであった。が、まだ安堵は出来ない。

プロフィール写真の次に待っているのは自己紹介文だ。率直に何を書いていいのか分からなくなるし、この文を書いて、読んでくれた人は好印象を持つのか…という余計な心配がフリックの手を止める。
くだけた文がいいのか?はたまたしっかりした文章がいいのか?…これだけ書くことに難儀したのは就活や転職時以来かもしれない。試験に対する面接官…もとい、この紹介文を見るであろうまだ見知らぬ女性によく思われようと自己アピールをしようと頭を動かし、推敲する。その感じもなんだが滑稽だなと今こうして書き残していてもそう思う。が、本当に一生懸命だったので仕方がない。

こうしてプロフィール写真や自己紹介文という険しい道を乗り越えて、ある程度勝負ができる状況になったところで待ち受けていたのはいいね!どころか足あとすらつかない無間地獄。
いいね!がどれだけついたかというと現状3ヶ月で5未満という体たらく。足あともまばら。しかしプロフィール写真や自己紹介文でメンタルが鍛えられた私も状況打破のためにアプローチはかける。だが、それも総スルー状態という惨状に終わってしまった。そうなるともうガラスの破片は跡形もない。

跡形もない姿で考えてみる。女性側のいいね!数をみてみると200や300、すごい時には500以上となっている場面も見た。
そして「自己紹介文をどう書いているか参考に!」ということで他の男性会員ページを見られるのだが、そこでスペック(学歴、年収etc…)が自分とはまるで違うことも気付いた。そこに広がるいいね!の数の圧倒的な差も。


そう考えるとマッチングアプリは女性がある程度選べる立場にいるという認識はあったが、それは半分正解で半分不正解で、正しくはスペック優位の環境であるとはっきりと理解した。
それと同時に、そりゃそんなに意気込みも意識もスペックも低い自分と比較すれば、納得できた。
同じ築年数で同じ値段でボロアパートと新築一軒家どちらを選ぶ?とするなら、モノ好き以外は新築一軒家を選ぶのではないか。自分だってそうする。
要するに、現状の自分は魅力に欠けているのだろう。

そんなマッチングアプリに振り回され、心を尽く折られ続けたボロアパートは肩肘張らずにゆるくやっていこうと心に誓うのでした。
ちょっとはよく見られたいという見栄とこれだけ振り回されると意地にもなる思いを抱え、少しずつ、なんとなく写真や文章を考え変化させながらマッチングアプリは続けていくのだろう。もちろん外面だけではなく内面も気をつけるべきだし、でもそれは自分が自分であるくらいの程度にして。

端にも棒にもかからない感じでも、そんなに背伸びをしなくても、この世界を探せ回れば「いるにはいる」のだ。きっと。
そんなことを思ったら、なんとなくスタバの横を通りすがるカップルも温かく見れる気がした。なんとなく、だけど。



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