お盆の挨拶代わりの何か。

気づけば35歳の夏である。
noteをはじめてはや3年。ここまで書いた本数は9本。
この文章が映えある10本目となる。

3年で10本というと少ない。圧倒的に少ない。
1年で約3本ペース。これが許されるのは大作家先生くらいではないだろうか。
(好き勝手やってるから別にいいのだけれども)

ここ3年はコロナ禍というのもあり、いろいろと制限がかかった日々が続いた。
そういった中でもちろんやりたいこともできなかったし、制限が解ければ、あれやろうこれやろうと思い描いた。
だが、しかし制限が明けた今、何にもやってない自分がいる。
いや、詳しくはやってはいるんだけど、前より腰が上がらないな自分・・・と感じている日々が続く。

時間が解決するとよく言うけど、自意識の波に飲まれることは以前よりはなくなった。
自意識で何かストップをかけることもなくない。
ならこの腰の重さはなんなのだろうか。

個人的に思うに、体力がなくなっているんだろうなと思った。
やりたいこと。何か大きいことに挑もうとすると、当然の如く体力を使う。そこは基本だ。
だが、そこに体力を使うのなら、別のところや仕事に使いたいと脳みそが身体に働きかけてるんじゃないのかなと最近感じている。
日頃の仕事やタスクをこなしながら、やりたいことを進める力が自分には今ないのだろう。

昔は金がなくとも、やりたいことがあれば休まずに、いろんな所に吹っ飛んでいったし、毎週のように東京にいた気もする。
その日々が懐かしくも感じるくらい、隙あれば休みたい気持ちが頭の中に浮かんでくる。これはちょっとまずい気がする。
35歳でこういうことだと、人生100年時代と言われる今、残りの65年生きられないだろう。

ただ今こうやって書いてる中で感じたのは、もっと未来のことを考えるべきでもあるのだろうな。
今のためだけでもなく、未来のことを考えながら動く。
やりたいこと、やらなきゃいけないことの中には未来につながることもあるから、その未来のことも目を背きたいと心のなかにあるから、無意識にそういう行動をとっているんだろう自分は。

こういう事態を鑑みて、このお盆から体を動かすことにした。
体力をつけることが今の自分にも未来の自分にも大事なことだと感じたからだ。
やるべきこととやりたいこと。
日頃の現実と並ばせながら、遂行するには今の自分には体力も先を見据える能力も足りない。
筋肉がその2つの能力を伸ばすのではないかと期待しながら、久しぶりに体幹トレーニングを始めた。わかっていたがきつい。ただ少し清々しい。

お盆が明けたら、未来につながるやるべきことと決断がすることが少しある。
もっと頑張らないとな。自分。

松岡

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