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野球はじめます

『やりませんか、野球を』
『いえ…今は…それどころじゃなくて…』
現在の職場に入社した時は、断わってもそれなりに需要はあったようで、向こうが食い下がることはなかった。
当時のチームには補欠がたくさんいて、レギュラーが仕事などで出られなくても、補欠たちで間に合ってて試合に困ることもなかった。
ところがギッチョンチョンで、世の中の流れで人の入れ替わりもあってチームは現在は存亡の危機に晒されている。
そんな時に声がかかってしまった。
『お前のせいで負けた』って言われるのが嫌。
補欠もおらず、試合も助っ人を駆り出さねばならぬチームだとはいえ、社内野球大会では三連覇がかかってる。
そんなチームに転がり込んじゃって良いのだろうか。
『いてくれるだけでもかまいませんから….』
そこまで言われたらとちょいと上から目線ではあったが、無下には出来ない。
加入した。
居るだけでも良いと言われても何もしないでいるのも気が引ける。
練習日には極力顔を出し、参加してみることにした。

何十年ぶりの野球。
小学校の頃のいわゆる少年野球で挫折した。
親にスパイクまで買ってもらったのに辞めてしまった。
勘所をつかんで当たりが出始めて、飛距離も伸び始めた頃、チームの総監督さんの目に留まる。
この総監督さん、かなりの手腕の持主らしくて、地元の中学校を経由して名門高校へ送り出すのにしっかりとした基礎を叩き込んでくれてたようだった。
ある日、フリーバッティングでホームランを叩き込んだ。
それが総監督さんや6年生が中心のAチームの人たちの目に留まる。
『凄いじゃないか!』と直々に褒められて、上級生たちも『お前、いいぞ』と。
それが同級生たちには面白くなかったらしい。
当時の私はレギュラーではなくて、補欠にもなれなくて、試合の日はただ見てるだけの要員でしかなかった。
不幸なことに固定された守備のポジションもなかったが、誰もやりたがらないし、コーチたちは置き所に困ってて、『コイツにやらせるか…』とキャッチャーに落ち着かせようとしていた頃だった。
そんな時に『イジメ』が起きる。
『こいつが俺たちを脅かす』とレギュラー9人がモチベーションを下げる。
9人固定で勝ち続けて来た実績が揺らぐのは、彼らからすれば面白くもないし脅威でもある。
『野球楽しくないから辞めたい…』と父母に直訴した時の落胆した顔は今でも忘れない。
ことに母は自称だが、日本で何番目かの高校野球部の女性マネージャーだったこともあって、いつか我が子が甲子園へ連れて行ってくれるのではないかという淡い期待を打ち砕くことになる。
他のチームへ移籍という選択肢は親は用意しなかった。
『他へ行っても同じ』というのもあっただろうから。
『中学や高校でいつか取り戻そう』というこちらの期待は、理不尽な上下関係やヤンキー体質や暴力を目の当たりにして、絶対に踏み入れることのない領域だと悟らされる。
野球はヤンキーのスポーツ、不良のスポーツだと。
恨み辛みが積もり積もって幾星霜。
そんな時に『いるだけでもいいですから…』と声がかかった。

『いよいよ実戦で試す時が来たか…』
時々、バッティングセンターで気晴らしに打ってた。
真似から始めた『神主打法』を。
どの打法が空振りが少なくて当たりが大きいいかの命題を設けた。
いろんな選手の打ち方を試して行く中で、『この打ち方ならば…』と行き当たったのだが、本家本元は『素人が真似する打ち方じゃない』という。
だが、試していく中でどうしても、神主打法が一番打てちゃってるから始末が悪いのだ。
だったら毒食らわば皿までである。
そして守備。
これがネックだった。
ソフトボールは普通に投げられるのに、野球のボールくらいの大きさの物が投げられない。
だからキャッチボールが普通に出来ない。
砲丸投げの感覚が邪魔してるだけでもなさそうで根は深い。
とにかく壁あてから始めないといけない状態。
それでも、ノックとかではソツなく捕球してるから周囲も困ってた。
だが、良くも悪くも『居てくれないと困る状態』にある。
そしてありがたいのが、そんな状態だと見捨てられるが、『ぼちぼち参りましょ』でいてくれたこと。
中学や高校や体育会系体質ではないこと。
これらが『野球』ならば、私が転がり込んだのは『草野球』だし、『ベースボール』なんだろうなという気がする。
当時は楽しくなくて辞めたのに、今は楽しいから次もそのまた次もって思ってる。
本当は楽しいものなのかもしれないと。
それがわかるのに40年かかるとは思わなかったが。

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