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いのち


命は平等なのか?

本当に命は平等なのか?本当に命は大切なのか?実際に死に直面したことがないからそんなこと言えるんだと言う意見が聞こえてくるが、死に目に何度もあっている。とても悲しいし、つらい。けれどそれは僕の親しい人だから悲しいのであって親しくない人の死は申し訳ないけれど悲しくない。今この時を過ぎている間に地球上で誰かしら亡くなっているのは当たり前である。そもそも人間は突き詰めてみれば主観でしかものを見れないから、親しい人の命と親しくない人の命は平等ではないのである。命には平等なんてないのであるオケラだってアメンボだって同じ命?だったら親友殺して代わりにオケラやるよ。そう言う事だよ、命が平等なんて理想論ですらないんだよ。「命を平等に」の真逆を行ったヒトラーが歴史的な悲劇を起こしたから恐れて言えないけど皆薄々感じていないか?命は平等ではないって。

命は大切なのか?

命は大切なのか。本当に命は大切なのか?少々誤解を招く表現だったかもしれない。わかりやすくこう言おう。映画や漫画、メディアが描いているほど命は重く扱うべきなのか?命を重く扱った方が人の心を動かす作品が作れるものである。ドキュメンタリーだろうとアニメであろうと、ストーリーを伴う作品において人の死は人の心を動かすメソッドの1つである。だからストーリー中において人の死を重く扱うインセンティブがある。しかし現実の人の死なんて想像するよりあっけないものである。幸運にも現代の日本においてたいてい数の死は寿命と変わらない年齢で訪れる。

メディアさんまだのたまいます?

日本人の死生観を変革したほうがいいかもしれない。いや、死生観を変革すべきだ!ここ数年の感染症騒動でそう感じた。命は平等だ!命は大切だ!といまだのたまう人に問いたい。老人と若者の命を平等に扱ってしまったことであらたな不平等が生まれたし、目先の命を大切にしたため多くの命を犠牲にしてしまったのではないか?

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