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なぜ働いていると本を読めなくなってしまうのかを読んでの備忘録

この本では読者における日本のクロニクルと、読書を含めた文化的な趣味を行うにあたっての提言の2章に分けられている。



クロニクル


明治時代

農民時代と比べて長時間働くようになっていった。
石川啄木「最近はみんな忙しそうにしている、日本人はどんどんせっかちになっている」

活版印刷と読書の仕方の変化で多く読まれるようになった。
江戸時代以前:読者→朗読
明治時代以降:読書→黙読

しかしまだ読書はインテリ層の男性が中心の文化だった。

ベストセラー
西国立志編-修養を説くもの「環境に依らず自分の努力で導こう」海外の成功者のエピソード集
成功、実業之日本-ノンエリートの労働者階級向けの雑誌、明治後期に売れた↔︎インテリ層からは読まれていなかった。

大正時代

日露戦争後、国力向上のために全国で図書館が増設された。義務教育あとの識字率を下げないための読書。大学も増え、大学生の数も増えた。これにより読書人口は爆発的に増大した。再販売価格維持制度もこの頃できた。
三太郎の日記、こころが売れた。

「出家とその弟子」「地上」「死線をこえて」-大正の三大ベストセラー、どれも生活の貧しさや社会不安への内省がテーマ

労働者階級とエリートの間の階級、サラリーマンが誕生した。長時間労働や雇用主によって生活基盤を左右されやすい被雇用者。労働者階級と違うという見栄をはるために服飾費や交際費にお金をかけるものの物価高に苦しむ中間階級。
痴人の愛-サラリーマンが15歳の女性を自分好みに育て上げようとする物語、主人公は仕事をやめてから小説を読むようになった。

修養と教養
エリート中心:教養主義
労働者中心:修養主義

昭和戦前・戦後

大正12年の関東大震災から続く不況から市民は読書から遠かった。安く全集を買えてインテリアにもなる円本が功を奏した。サラリーマンは労働者階級と差をつけたい。けれど本を買うお金はないし、一つ一つ買うより全本の方が見栄えする。
インテリアとして「積読」されることも多かった円本だが、それは回りまわって、古本屋や親戚・知人間の貸し借りを経て、農村部で文学にはじめて触れる読者を多くつくり出していた。

現代日本文学全集-日本で初めての円本

大衆向け雑誌「キング」「平凡」が刊行。
その中に大衆向け小説、エンタメ小説が多数掲載された。

当時の価値観
休憩→新聞、雑誌、ラジオ、レコード、運動
読者→勉強、教養

1950年代

パチンコや競艇が娯楽として栄えた。そして手塚治虫が漫画を書き、ラジオでは紅白歌合戦が始まり、テレビ放送も開始。読書以外のエンタメが増えた頃。
この頃は学歴、教養が階級を決めていた。育ちのせいで中卒の人達の鬱屈は溜まっていた。そのため当時人気だったのが「葦」「人生手帖」などの人生雑誌だった。人生雑誌は学歴や教養を度外視した「教養」についてかたる特集が多かった。農村にいる勤労青年、女性の内面がそこで吐露された。サラリーマンより上の階級も教養を求めていた。紙の高騰により、全集や文庫本が普及した。

源氏鶏太のサラリーマン小説が人気だった。

1960年代

役に立つ新書が生まれた。英語力や記憶力のハウツー本。今で言う自己啓発書である。階級が低くても、時間がなくても、労働で生活が埋め尽くされても、それでも大丈夫なように設計された本。高度経済成長期の長時間労働は日本の読書文化を結果的に大衆に解放した。

1970年代

テレビが娯楽界の覇者になりつつあった時代。テレビによって原作小説やNHK大河の元の歴史小説が売れるテレセラーが誕生した。一方オイルショックにより文庫創刊に踏み切った。休日はテレビを見て、平日は電車通勤で文庫本を読むのがサラリーマンの娯楽のライフスタイルになった。労働力不足が60年代に比べ和らいでき、昇進制度ができ会社が自己啓発を奨励した。

坂の上の雲-時代背景に合致しつつ60年代の高度経済成長へのノスタルジーもあった。

1980年代

人口増加による売上刊数は増加。バブルもあり出版業界の売り上げはピーク。一世帯あたりの読書量は減っていった時期。

BIG tomorrow-ビジネス雑誌。「プレジデント」「will」はエリート向け雑誌。読心術や心理話法といったすぐ使える具体的なな知識を伝える内容。教養や小説の教訓から学ぶよりもっと即物的なもの。学歴よりもコミュ力、就職してからの企業内の昇進が注目されるようになった。

窓ぎわのトットちゃん、ノルウェイの森、サラダ記念日が大ベストセラー。どれも私、僕の物語。70年代は自分と社会の関係を結んでいるが80年代は自分から見た世界は今こうなっている。わかってくれていいし、君がわかってもらわなくていい。

学歴コンプレックスのあった女性達のカルチャーセンターブームの最盛期。重兼芳子の芥川賞受賞してさらに拍車がかかった。

1990年代

さくらももこ「そういう風にできている」
彼女は他の女性エッセイストと違い、誰でも読める。スピリチュアルがところどころで出てくるのが特徴。自分とは何か?生きる意味は?が流行っていた時代。テレビも雑誌も心理テストも流行っていた。

90年代半ばから内面から行動へ。
バブル崩壊、不景気、就職氷河期の突入。今までは大企業に誠意を持っていれば安心だったものが自分のキャリアは自己責任で作っていくものへ変化していく。

脳内革命-ポジティブ思考を心掛けると治癒力向上、老化防止になるという自己啓発書。
他人をほめる人けなす人、7つの習慣-ベストセラー。いずれにしても、内面や心持ちではなく行動に焦点を当てている。

政治の世界から経済の世界へ。
高度経済成長や司馬遼太郎が描いた日本の夢(仕事を頑張れば日本が成長し、社会が変わる)は終わり、仕事を頑張っても日本は成長しないし、社会は変わらない。経済の大きな波に乗れたか乗れないか、適合できるかどうかで成功が決まる。

2000年代

電車男-掲示板の人々が与えてくれる情報によって恋愛を成就していく。元々純愛ブームだった上、情報が電車男とエルメスのヒエラルキーを飛び越えられる存在であった。

インターネットによって情報化とグローバル化が一気に進んだ。読書はノイズが多い。インターネット的情報はノイズが少ない。


提言

過去においては「企業や政府といった組織から押し付けられた規律や命令によって、人々が支配されてしまうこと」が問題とされていたが、現代の問題はそこにはないのである。 SNSの発達によって、21世紀を生きる私たちにとっての問題は、新自由主義社会の能力主義が植えつけた、「もっとできるという名の、自己に内面化した肯定によって、人々が疲労してしまうこと」なのだ。

決して自分以外の外部に強制されているわけではない。自らで自らを競争に参加させ、そして自分で自分を疲弊してしまうのだ。

自由が何より優先すべきと言われた20世紀を経て、21世紀は自由によって私たちは鬱病を罹患することもある。

燃え尽き症候群、バーンアウトと言う言葉にも「密かな自画自賛」と「自分は悪くないという気分」が内包されている。
現代は市場が24時間働き続け、昼も夜もなく私達を誘惑して睡眠を削って消費することを求める社会。私たちは時間を奪い合われている。

トータルワーク社会に生きていること、そしてだからこそ本を読む気力が奪われてしまうことを、私たちはまず自覚すべきではないだろうか。

半身のコミットメントこそが新しい日本社会つまり「働きながら本を読める社会」をつくる。



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