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桜屋敷に行った子は。

「入ってみない? 桜屋敷」
イトコの美月ちゃんは言った。
もうちょいしたら六年生になる春休みだった。
 
『桜屋敷には近づかない』
この町の子だったらみんな知ってる。
桜屋敷は住宅街と畑の中にあった。
『景気のいい頃』やっていた旅館で、潰れて何年も経つのに建物はそのまま放置されていた。
時代劇のお城みたいなの木の門は固く閉ざされていて、周りはぐるっと高い白い壁が囲っている。その壁の上から桜の大木が枝を広げている。
春が来る度、壁の向こうからひらひらと淡い色の花びらを落とすのだ。
子どもなら、東の生け垣の隙間から入ることができた。
わたしが小学校に入学したころに、得意げな顔の上級生の女子から言われたのだ。
「桜屋敷には入っちゃいけない」
 
 『料亭だった頃に殺人事件があって、その幽霊が出る』
『ヤクザが麻薬を取引している』
『取り残された店主が人食いのバケモノになった』
飛び交っていた荒唐無稽なウワサを上げればきりが無い。
小学校の教室で、誰それが幽霊を見たとか、空き缶を捨てた奴が呪われたなんていう話で盛り上がるのだった。

今と比べると娯楽も少なかったんだと思う。
だから美月ちゃんがそう言い出すのも頷けた。
その頃の私たちはとにかくヒマだった。
お父さんが叔父さんと一緒にやっていた会社がうまくいかなくなって、わたしは中学受験をやめて、塾や書道の習い事も辞めてしまった。
その頃田舎の小学校では、中学受験なんかする子は宇宙人のように見られてた。

それがなくなった所でもう出来上がっている遊びのグループには入れない。
クラスの女子たちは下校時わたしを横目で見て『紗枝ちゃんってカワイソー』なんてクスクス笑って、それだけだった。
美月ちゃんはバスと電車を乗り継いで二時間かかる『進学校』から地元の高校に転校しなきゃいけなかった。

今思うと、私より学校できつい目にあってたんだと思う。
今日も学校を休んだ、クラスでもガラの悪い人と付き合ってる。と叔母さんがお母さんにグチを言ってたから。
わたしのお母さんは朝から仕事を掛け持ちして、洗濯や料理は叔母さんがパートの仕事の合間にやる。
 
わたしは宿題を終わらせて、冷蔵庫に貼ってある、ピンクのマジックで書いた『お手伝い表』に書いてあるおふろ掃除とか、お茶碗洗いを終わらせてしまうと何もやることが無くなってしまう。
お父さんの会社が大丈夫だったころ、買ってもらっていた少女マンガ雑誌も、欲しいと言い出せなかった。

だからわたしは美月ちゃんとこたつに入って、アニメやバラエティを見ながら、人気のアイドルには実は影武者がいるとか、あの漫画家はこの漫画家のアシスタントだったんだなんて、美月ちゃんが話すのに相槌を打っているのだった。

スーパーのゲームコーナー、コンビニ、書店、児童館や図書館。
そういう場所はすぐに『常連』の子たちに占領されてしまって、通りがかっても
『アイツなんでいんの?』『ここは私たちの場所なのに』って言われてしまうのだ。
「クラスの奴に会うから買い物行きたくないんだよね」と美月ちゃんも良く言っていた。
 
私と美月ちゃんが桜屋敷に忍び込んだ日は、暖かいけど小雨が降っていた。
日曜日だけど雨が降れば人通りはぐっと無くなる。
そのスキに、私達は伸び放題のツツジの間から、桜屋敷に侵入した。
 
雨に混じって桜の花びらが落ちていく。
桜屋敷の前のアスファルトは、まるで薄ピンク色の絨毯を広げたように花びらで埋まっていた。
生い茂った植木の間を通り抜けると、雫が私のカッパと、美月ちゃんのジャンパーをびしょ濡れにした。
 
「すごーい。絶対なんかお宝とかあるよー」
「美月ちゃん、帰ろうよお」
「紗枝ちゃんは怖がりなんだから。ただの古い旅館でしょ」
 
時代劇に出てくるお屋敷みたいで、芝生はまだ枯草の色だけど植木は綺麗なお饅頭型に刈り込まれている。
――ずっと昔に潰れたのに?
足を動かせないできょろきょろする私に塗れた桜の花びらが降り注ぐ。
見上げると、桜の大木。
 
学校に生えているどんな桜の期より大きくて、うすピンクの雲みたいな花は電灯も無いのに光ってるみたい。
桜屋敷なんだから当たり前だ。でもわたしには桜の木がわたし達をずっと見ている。
そんな風に思えたのだ。
 
固まっているわたしを尻目に美月ちゃんはずんずん建物の方に向かっていく。
庭に面したガラス戸はスッと開いた。カギはかかっていなかった。
美月ちゃんが叫んだ。
「紗枝ちゃん! 見てよ!」
 
教室を二つ繋げた広さの部屋。
旅館をやってた頃は、たくさんの人が集まる宴会場だったんだろう。敷かれた畳、その上に。
 
一枚の畳にはバッグとお財布が10個くらい積み上げられていた。形も大きさも違うけどみんなピカピカした革製品。
お母さんが売ってしまった大切なバッグにみたいな奴だった。
 
もう一枚の畳には、発売されたばかりのゲーム機とゲームソフト。コントローラーのコードがとぐろを巻いた蛇みたいに見えた。
その横の畳にはその頃人気だったマンガの単行本が全巻セットで並べられている。
べつの畳にはカラフルな洋服。
 
異様だった。畳一枚一枚に小さな山を作って種類別におもちゃや服、アクセサリーや家電が置かれている。
――ヤクザが麻薬の取引を・・・
大声で叫びそうになった。部屋の奥のフスマが開いて、怖い人が出てきたら?
 
「美月ちゃん、帰ろうよ!」
さっきと同じセリフを私はもっと大きな声で言った。
「すっごい! これ発売されたばっかの奴! こっちのは十万はするのに!」
 
「きっとやくざとか、ドロボーとか悪い人のだよ!」
「だいじょうぶだよ! 紗枝ちゃん」
にっと美月ちゃんは笑った。
「一個くらいなら大丈夫だって」
 
美月ちゃんは雨で塗れて色が変わったジャンパーを脱ぐと
フロシキみたいに広げて、大広間をスキップするみたいに動き回ると、色んなものを取っていった。
ゲームソフト、マンガの最新巻、人気キャラのぬいぐるみ。
私はこわくて怖くて、全身の血が下の方にに下がっていって、足ががくがくする。
よくマンガに出てくるシーンのように、美月ちゃんを突き飛ばしたり、腕を引っ張ったりして『やめて!』言えれば良かったのかもしれない。
でもわたしにはできない。
 
「ごめんね紗枝ちゃん、帰ろう!」
ジャンパーの包みを抱えた美月ちゃんは今まで見たこと無いくらい嬉しそうだった。
 
その後、美月ちゃんはいなくなった。
小さな町にお巡りさんが増え、当然桜屋敷も捜索されたが手掛かりは何もなし。
・・・あの畳の上の物はどこに行ったんだろう?
美月ちゃんの『カレシ』だった男は、警察でかなり厳しい取り調べをされたらしい。
 
叔父さんは誘拐だ!と騒いだが警察の調べで美月ちゃんは自発的に家を出たと断定された。
高校でも唯一美月ちゃんと話していたクラスメイトが、『私は進学しないから』というのを聞いた。『夏休みにはいないかも』とも言っていたと。
 
極めつけは隣町のゲームショップの人が、美月ちゃんが最新のゲームソフトを売りに来ていたと証言した。
保護者が署名とハンコを押さなきゃいけない『買取同意書』は露骨に女の子の丸文字で怪しいと思ったそうだ。
 
 
 
家の商売が潰れて苦しい思いをしていた女の子が、金持ちの男と出会って一緒に逃げた。
それがこの町で出回った、美月ちゃんがいなくなった理由。
まあ仕方ないよね。大人はみんな言っていた。
高校を卒業する前にこの町を出て行ってしまう子は少なくない。
 
――親の仕事が傾いたんなら、バイトでもなんでもすればいいのに。
――援助交際とかしてたんじゃないの?
当時は今より『子供は親を助けて当然』みたいな空気が強く、非難のまなざしはいなくなった美月ちゃん一人に向けられていった。
 
 
叔母さんと叔父さんは毎日すごい喧嘩をしていたが、『美月が戻ってきた時のために』と離婚を思いとどまったそうだ。
 
私は周囲から『懐いていた従姉がいなくなった可哀そうな子』という目で見られた。
思えば美月ちゃんがいなくなってから、私に声をかけてくれる子もできて、お父さんとお母さんは、『美月ちゃんはどこかで元気にやっているよ』と私の頭を撫でながら言って。
そのまま私は小学校を卒業して、中学生になり、高校生になった。
 
 
 
「――君、亡くなったって」
お母さんがそんな事を言ったのは新年度の朝だった。
桜が例年より早く満開。というニュースに被せるように。
 
私はこの小さな町の役場に就職して、この時期はやたら忙しくしていた。
 
「え、誰が?」
「あんたは覚えてないか。ホラ、美月ちゃんの彼氏だって言われてた」
「ああ、あの人」
「あんたには言わなかったけどね、警察はあの子が美月ちゃんに何かしたんじゃないかって・・・相当疑われたらしいよ」
私はお箸を置く。もうお味噌汁は飲み終わった。
「いい歳なのにフリーターでね、暴走族みたいなことまだやてったって」
「ふーん」
 
その理由も私は知っている。高校でできた友人が彼の近所に住んでいたのだ。
彼は『いなくなった彼女を探す』と言ってバイクであちこち回っていたそうだ。
――マンガかドラマみたいだよねぇ!
『いなくなった彼女』が私の従姉だと知らない(私の苗字はこの町ではありふれている)友人は目を輝かせた。
――美月とは一緒に街を出る約束だった。アイツが一人で出ていくワケない!――
彼は警察や周囲の人にそう言っていた、とも。
 
「美月ちゃんも生きてたらもう31歳か・・・どこかで元気にやってるといいわね・・・」
「きっと元気でいるよ」
お茶を一口飲みこんでから、私は明るい声を出して言った。
 
 
美月ちゃんがこの家を出ようとしてる事くらい、わたしはとっくに知っていた。
『これだけはお嫁に行っても絶対持って行くの!』と言ってたおばあちゃんに貰ったサンゴのネックレス。
お年玉やお小遣いを貯めていた寄せ木細工の箱。
そういうものが大きなスポーツバッグの中に仕舞われて行くのだ。
美月ちゃんのお気に入りの服と一緒に。
バイクの音がしてから、美月ちゃんが玄関に出て誰かと話している声も、いつも布団の中で聞いていた。
 
 
 
 
あの頃はおばあちゃんが家にいた。
5年生の秋に亡くなってしまったけど。
「あそこ、まだあるのかい? ホラ、潰れた料亭で桜が咲いてる・・・」
「『さくらやしき』のこと?」
ランドセルに教科書を詰めていた私は、顔を輝かせたんだろう。
上級生から桜屋敷の話を聞いたばかりだったから。
おばあちゃんは60年くらい? この町に住んでいるのだ。桜屋敷の話も詳しく知ってる! それを明日学校で話せば、人気者になれる!
そんな考えで頭の中はいっぱいだった。
おばあちゃんは私の肩に両手を置くと、ゆっくり引き寄せた。
「あの家に入ってもいいが、何も持ち出しちゃいけない」
おばあちゃんは今まで見た事が無い、こわい顔をしていた。
聞いたことが無い低い声だった。
いつも時代劇を見て喜んでいるおばあちゃんとは別の人みたい。
「おばあちゃんに約束しなさい。入ってもいいけど、花でも、小石でもなんでも、家に持って帰ってきちゃ駄目だって」
 
「・・・わかった」
「わかった? 紗枝はいい子だね」
 
 
 
 
美月ちゃんは駆け落ちのためのお金が少しでも欲しくて、桜屋敷に行ったんだろう。
その頃、古い家の中から、お宝の骨とう品を探す、という番組が流行っていたから。
私を連れて行ったのは、もし見つかっても私がいれば、『年下の従妹と一緒に心霊スポットを覗きに来た』で済むから。
 
美月ちゃんは私を捨てて出ていくのだ。それが許せなかった。
思えば高校生の駆け落ち計画など、母か叔母に『美月ちゃんの様子がおかしい』とでも言えばよかったのだ。
それも頭に浮かんだが、わたしはその考えを振り払った。
――あの男のひとがいなくなっても、美月ちゃんはわたしと一緒にいてくれる美月ちゃんじゃなくなる。
 
だから私は桜屋敷から色んなものを持ち出す美月ちゃんを止めなかった。
これは私だけが知っていればいい。
 
 
「おはようございます」
「おはよう。今日は桜が綺麗ねえ」
「ほんと、お花見のシーズンですね」
 
近所の奥さんに私は笑顔で声をかける。
奥さんの視線の先には桜屋敷。
道路が整備され、郊外型のショッピングセンターができてから、この町の人口も増えた。
いなくなった美月ちゃんのことも、桜屋敷のこわい話も知らない住民も増えた。
 
わたしだけが知っていればいい。
 
くるくると踊るように、淡いピンクの花びらが落ちていく。
それを見ている私の顔は、多分微笑で歪んでいる。
 
《終》


あとがき

pixivの投稿企画

『スキイチpixiv特別企画「桜ストーリー」」に投稿した話です。

pixivの審査期間が終わりましたので、季節外れですがnoteで公開します。

『姉のような少女への執着』『閉塞感しかない田舎町』の要素が多く、ホラーというにはあまり怖くないですね。精進していきたいと思います。


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