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強さと優しさって何だろう

先日、とある人から
「あなたは強さと優しさとは何かを教えることになるでしょう」
と言われた。そんなん俺もまだ分かりきってはないんだけどな〜って思いながらも、優しさとは何か?を人一倍考えてきたことは間違いないなとは思った。

だから今日は強さと優しさについて僕が考えていることを書いてみようと思う。


僕は小学校の頃から"いつもニコニコしていて優しい人"と何度も言われてきた。でも、それを言われる度に
いったい自分のどのあたりが優しいのか全く分からないと思っていた。
むしろ自分の中では、誰かに嫌われたくなくて優しくしているだけで自分を守っているだけなのに。と思っていた。

当時の僕は"変わった人"と言われるのが怖くて、普通の人を装っていた。
変な人と見られることや嫌われることを極端に恐れて人に優しくしようとしていた部分があった。

優しく見せかけているだけで本当は自分が1番優しくないのに。

そう思っているときに、優しさについて同じように悩んでいる様子が詠われているBUMP OF CHICKENの「ひとりごと」という曲に出会った。


ーーーーーー

"ねぇ 優しさってなんだと思う 僕少し解ってきたよ
きっとさ 君に渡そうとしたら 粉々になるよ

ねぇ 君のために生きたって 僕のためになっちゃうんだ
本当さ 僕が笑いたくて 君を笑わせてるだけなんだ ごめんね

人に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ
優しくなんかない そうなりたい なりかたが解らない

ねぇ 心の中に無いよ 僕のためのものしかないよ
そうじゃないものを 渡したいけど 渡したい僕がいる

ねぇ 優しさってなんだと思う さっきより解ってきたよ
きっとさ 君の知らないうちに 君から貰ったよ 覚えはないでしょう"

ーーーーー
BUMP OF CHICKEN ひとりごとより


この曲は僕に、優しさとは何かを教えてくれた大事な曲。

優しくしようとして優しく"する"優しさは、優しさを渡したい自分がいて結局は「相手のために」ではなく
「自分のため」であるということ。
「誰かのため」と思っている間の優しさは、その優しさに相手がこたえてくれなかったときにポキッと折れてしまいやすい。
これだけやっているのにどうして?どうして自分だけ?となりやすい。 

一方で、「自分のため」とわり切っている人はそう簡単には折れない。
だって根本が"自分のため"だから、自分が満足できるように自分が動いている限りはどのような反応があろうとも関係がないのだ。


優しさとは、優しくすることを目標してできるものではなく、自分のためと
わりきって自分の本心に優しく素直に接したその先に自ずと生まれるものである。

僕は中学時代から弓道をしていたのだが、弓道では"優勝したい"、"中(あ)てたい"という気持ちが雑念となり、そのような雑念があればあるほどなぜか返って中たらなくなる。中てることや優勝することに固執せず、自分の満足のいく射に集中したとき、自ずと結果がついてくる。

幸せや優しさもきっとこれと同じなのではないかと思う。幸せも優しさもなろうと思ってなるものではなく、なりたいと思う自分の欲望を捨てたとき、気づいたら到達しているものだと思う。

優しくなることを捨てたときの優しさこそが、しなやかな強さを兼ね備えた真の優しさなのではないか。そのことは自然界を生きる生き物たちも教えてくれる。


自然界に生きるものたちは皆、誰かのためにと思って生きているのだろうか。

私たちの生活で出る排水から育つ微生物たち。
その微生物を食べて育つ小魚たち。
その小魚を食べて大きくなるサケ。
サケは最期に川を必死に泳いでのぼり、産卵する。
命を繋ぐことを全うしたサケたちは死んでいくが、そのサケに含まれる養分で森の木たちは大きくなる。
大きくなって倒れた木が僕たちの家となり薪となり、僕たちの暮らしにあたたかみをくれる。


皆、誰かのために優しくしようなどと思って生きてはいないと思う。

ただ、自分の"生きる"を全うしているだけ。

自分の"生きる"を全うすることが何かの役に立ち、意図しないところで優しさをお裾分けしている。

もしかしたら、自分勝手に生きたら世界が壊れてしまうのではないかと心配する人もいるかもしれない。ところが、アイヌに伝わる文化でこんな言葉がある。


"天から役目なしにおろされたものは一つもない。"

僕たちはきっと、自分の"生きる"を全うすることそれ自体が誰かにとっての優しさに繋がるようになっているのだ。

だから大丈夫。安心して自分の声をきいてただ、"生きる"を全うすればいい。僕たちの生命は根源的なところでは、誰かを傷つけるためだけには生きていないはずだ。それはこの世界に生きるありとあらゆる動物・植物・微生物たちが教えてくれている。


僕にとっての対話は自分の声をきき"生きる"を全うすることであり、自分という生命と対話できている状態こそがしなやかな強さを持った優しい生き方だと思う。

なんてことを思ったひとりごと。

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