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はなむけ


「本当に呪いたい人がいたら、その人に自分の髪の毛が四本入ったお守りを渡すの。一番良いのは、おめでたい日にね」
「たとえば結婚式とか?」
「そゆこと。美希、呪いたい人いる?」
「いないよ! あ、でも理科の茂木先生は超ムカつく……」
きゃはは。
終業式の帰り道、私たちはおまじないとか呪いとか、最近得た知識を交換しあっていた。

呪いの話でジメジメした空気になったのを変えたのは、親友の真由子のほう。
「貝殻のおまじないって知ってる? 上は自分が、下は相手の筆箱に忍ばせるんだって。そうしたら両想いになれるらしいよ」
彼女から夏休み前に聞いた両思いのおまじない。四年生の頃から片思いをしている男子に、試してみてはどうかと教えてくれたのだ。

私は、夏休みの家族旅行で綺麗な貝殻を集めることにした。透き通るような青い海の広がる沖縄で、大好きな彼にあげる貝殻を見つける。
十個ほど拾った中で、特に綺麗な貝殻を厳選した。最終的に決めたのは、薄ピンクのなかに青や緑、薄紫の光がキラキラとオーロラのように輝く幻想的な貝殻。極め付けは、綺麗に上下が残っていたこと。

「見つかったら捨てられちゃうかな」
「大丈夫だよ! しっかり入れたらバレないって」
「そ、そうだよね!」
休み時間、私は大好きな男子──拓人の筆箱に貝殻を片方入れた。
小六の九月、卒業がじりじりと近づいていた、そんな日だった。

次の日、真由子が言いにくそうに「私見ちゃったんだけど」と教えてくれる。教室のゴミ箱の中に粉々に砕かれた貝殻が捨てられていた。
わんわん泣いた。わんわん、泣いた。
本当にゴミ箱の中には、あのピンク色のオーロラ模様がバラバラと無惨に捨てられていた。かわいそう、私の思い出、さようなら。
「拓人ってばほんとひどい、こんな粉々にしなくたっていいのに! 私言ってくる」
「いいの、私が入れたってバレちゃうし」
真由子は私の代わりにいっぱい怒ってくれた。
「ちょっと考えればおまじないって分かるはずなのにこんなことするなんて。美希にはもっといい人がいるよ、あんな男忘れよう!」

私は真由子の励ましのおかげですっかり事件を乗り越えていた。相変わらず拓人のことは好きだった。でもおまじないに頼らず想いを伝えようと、努力しようと気持ちを切り替えたのだ。
しかし、休み時間に頑張って話しかけたが、距離は大して縮まらない。
ラブレターを書いてみたし、バレンタインのチョコをこっそり机に入れたこともある。
でも、どちらも返事は来なかった。
名前も書いたのにおかしいなと思って、ああ失恋ってことかなと自分に言い聞かせる。それに三月に入ってから、拓人は急によそよそしくなったから。

失恋の痛みなどすっかり忘れかけていた卒業式の日、真由子にこっそり言われた。
「私、彼氏ができたんだ」
「わあ、おめでとう! 誰?」
「んー、ないしょ!」
「え〜教えてよ、私たち親友じゃんか」
「うん、そうだね。中学入ったら教えてあげる!」
しかし、ひとり私立中学に進学した私は真由子の彼氏をずっと知ることはなかった。


そのまま小学校の頃の記憶は彼方に葬り去った。恋の思い出も、親友との時間も、ゴミ箱の中身も、全て綺麗に。

十年経って、久しぶりに届いた真由子からの手紙は結婚式の招待状だった。
私は記された名前を見て、まぶたをパチパチと動かす。

「山西 真由子(旧姓 堀口)」

見慣れた名前を懐かしみ、同時に小学生の頃の記憶が鮮やかに蘇った。

──私たちは三月一日に入籍をし、このたび結婚式を挙げることになりました。つきましては、

文字を一つひとつ丁寧になぞって、その意味を飲み込んでいく。新婦と新郎の名前をじぃ、と見つめて、本当に結婚したんだと理解する。

なんて言葉をかけようか、せっかくだからはなむけの品を用意しようか。
私は出席の文字を丸で囲んだ。


「真由子、結婚おめでとう」
「久しぶりだね、美希ー! 急に呼んでごめんね、来てくれてありがとう」
十年ぶりに出会った真由子は、十二歳の頃の面影を残したまま、綺麗に美しく大人になっていた。
ゆっくり話したいからと、式の前にわざわざ控え室に呼んでくれたのだ。

ウェディングドレス姿の真由子は茶色く染めた髪の毛を後ろで結え、長いベールを後頭部につけている。チュールをたっぷりあしらった白いドレスが、よく手入れされた肌をより一層美しく輝かせていた。
「真由子、ほんときれい……すっごい素敵だよ」
「ありがとう! 美希も相変わらず可愛い」
真由子はにっこり笑って、私の方を見る。
変わらない。小学生の頃と何も変わらない。私を見つめた茶目っ気のある目。
十年の空白を埋めるように、そんなものなかったかのように私たちは思い出話に花を咲かせた。

久しぶりの再会を喜んだとき、後ろから男性の声が聞こえた。
「あれ、美希? 久しぶり」
拓人だった。私の小六の時の思い人、初恋の相手。
「わあ、久しぶりだね! 元気してた?」
白いタキシード姿に身を包んだ彼は、今日の主役。新郎。
「まさか真由子と拓人が十年も付き合ってたなんてびっくり」
「えへへ。あのとき内緒にしたまま連絡取れなくなっちゃって、結局言えずじまいだったの、ごめんね」
真由子の笑顔を見て、右の瞼がピクピクと動いた。
「ううん、私の方こそ連絡できなかったから」
拓人がゆっくり真由子に近づいて、肩を抱く。

ああ、そう。本当なの。
頭の中に新郎新婦の名前が繰り返される。
招待状を受け取ったあのとき、私は状況が理解できなくて卒業アルバムまで開いた。
山西拓人、と名前を見つけて大きく息を吸う。紛れもなく、私の好きだった彼だ。初恋の相手、あのとき貝殻を送った相手。
山西 拓人 山西 真由子と書かれた差出人の名前は、間違いなく結婚した事実を物語っていた。

「告白したのはどっち?」
質問すると、拓人が照れ臭そうに鼻をかいた。
「俺なんだけど……実は小六のときに筆箱に貝殻を入れられるっていう、なんか気持ち悪い嫌がらせされたことがあって」
「そうそう、あの時はやってたおまじないだったんだけど、色がなんかいやらしくって気持ち悪いよねって話してたよね」
「そう。そしたら真由子が黙って砕いてくれてさ。それ見て一瞬で惚れた、かっこいいこいつ〜って思って」
真由子は笑う。私が入れた貝殻だと知っているはずなのに、笑う。
何も覚えていないのか。記憶を塗り替えているのだろうか。
「そのあともラブレターとか、バレンタインにはチョコが引き出しに入れられることがあってさ。その度に真由子が捨ててくれて」
──ストーカーだったのかな、名前は知らないけれど。
呟く拓人を黙って見つめる。

ああ、そう。私の名前は見ていなかったんだね。きっと内容もろくに見ていない。
そう。
そうなの。
そうだったの。

「二人ともお似合いだし……何より十年も続くなんて、運命だったんだね」
私は引きつる顔を紛らわすようにわざと口角を上げた。目を細め、幸せを噛み締めるようにした。それは精一杯の演技だった。親友としてのせめてもの演技。
ここで真実を口にしたって良いことなんて何もない。式を控えた二人だ。ぐっと飲み込んだ方が良い過去もある。私が言わずにいれば、あの過去は無かったことになるのだから。
何より真由子の中で、あの一連の私の片想いは無かったことにされている。その記憶だけがぽっかり抜けている。
そんな二人に、私からのはなむけを送ろう。
「これ良かったら結婚祝い。今渡すしかタイミングないよなぁと思って」
私は紙袋から大きな箱を取り出す。
招待状を受け取ってから、陶芸教室に通って作った大きな花器。
あの日の貝殻と同じ、薄いピンク色
「玄関とかに合うかなと思って、どうかな」
「わあ、すっごい素敵! こんなの探してたの……嬉しい、ありがとう!」
何も知らない真由子が、ツヤツヤとひかる花器を指で撫でた。
「この黒い線がおしゃれね。モダンな感じが出ててさりげない」
花器に埋め込まれた細く長い黒い線を指さす。繊細なラインが花器を一周ぐるりと取り囲み、ピンク色にアクセントを加えていた。
それは、その線の正体は。ちょうど私の四本の。
「大事に使ってね。幸せになれるおまじないかけといたから」
「わあ、嬉しいなぁ! ね、拓人」
おう、と同じ顔で笑う二人を見て心底思った。

どうかその花器で呪われてくれますように。

私からあなたへのはなむけは、死ぬまで続く呪いのプレゼント。

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