今年の8・6に思ったこと

また8月6日がやってきた。
地元、中国新聞の社説のテーマはもちろん〝ヒロシマ〟で、「核抑止の神話 打ち破れ」の見出しを掲げて論わ展開していた。

その内容を一部かいつまんで紹介してみたい。

〈以下、要約〉

先の1月22日に核兵器禁止条約が発効するに至るまで、ふたつの考え方がせめぎあってきた。
ひとつは原爆を落とした側の考え方で、破壊力の大きさしか見ようとはせずに、放射線による被害の実態などは過少評価してきた。
もうひとつは、放射線による被害も含めて、警告を発する立場である。

この対立は原爆投下直後から始まっていた。
米国政府が原爆被害の実態を隠そうとしていた一方で、これを明らかにしようと努めた人たちがいた。

その一人が米国のジャーナリストのジョン・ハーシーである。
彼は原爆投下後の9か月余り後の広島を訪れ、6人に被爆体験を聞き書きしたルポ『ヒロシマ』を世に問うた。
その記事を掲載した雑誌ニューヨーカーは発売と同時に30万部を売り尽くし、書籍化された『ヒロシマ』は主要言語で翻訳され世界各国で刊行されている。
同著は今日に至るまで世評高く、米国のニューヨーク大学での選考では20世紀のジャーナリズムの活動ベストワンにもなっている。

〈要約、以上〉

ハーシー「ヒロシマ」

ハーシーの『ヒロシマ』は、世界で初めて使用された原爆の顛末を知れる本として、情報に飢えていた世界で飛ぶように売れ、瞬く間に〝ヒロシマ〟を語る《聖典》の地位を獲得する。
その地位は先の選考が示すように、今日に至るまで変わってはいない。

しかし、実際にこの著書に触れてみると、どこか釈然としない読後感が残る。
ハーシーが意図的に構成したのか、たまたま偶然にそうなったのか、取材した6人は原爆には遭遇したものの、家族の中に原爆で死亡したものはなかった。ご本人たちもとくに健康被害はなく、心的後遺症にひどく悩んでいる様子も描写はされていない。
どちらかといえば、淡々とというか、まるで他人事のような語り口なのに違和感すら覚えたものだった。

ハーシーに先駆けてヒロシマに潜入したオーストリア人記者のバーチェットが「広島では毒(放射能)のために毎日バタバタと人が死んでいる」と世界に報じていたにも関わらず、ハーシーは巧妙に放射能被害ははぐらかしいた。

「こんなのがヒロシマだと思われてはかなわんな」
被爆者ではないが、ツッコミが足りない書きっぷりにいきどおったほどだった。

ハーシーが米軍やGHQの規制を潜り抜けヒロシマをいかに書いたのか、その背景に迫った本『ヒロシマを暴いた男』が出版されて全米で話題になっていると社説はいう。
まだその著書を読んだわけではないが、ハーシーは米軍の許可を得て、米軍の施設を拠点にして取材をしていたのだというし、米軍の思惑を超えて真実を暴露できたとも思えない。
また彼の履歴を概観すれば、どうやら従軍記者のようなことをしていたようでもあり、「原爆の破壊力を語りながら放射能被害には触れていない」彼のスタンスは、先の分類でいえば「原爆を落とした側の考え方」に近いともいえそうだ。

このような著作を広島のメディアがことさら持ち上げ賞賛している現状を突きつけられるにつけ、自分の見識不足と非力は棚にあげて核兵器禁止が実効性を持つのはたやすくなさそうだ、とプチ悲観的になってしまうのだ。


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