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12月20日

タウン誌か何かの校正をした夢をみた。臨時に頼まれたらしい。校正といってもほとんどがイラスト化された広告で、連絡先まで書き込んであるのですることといってなく、すぐに終わった。事務室にもどってみると既にスタフのほとんどは帰っていた。せっかくなので残った連中とビールで乾杯したが、埃っぽい部屋でグラスに塵芥が入り込んでくる。密封された部屋を換気すると爽やかな風が入り込んできた。そこで目が覚めた。午前2時半だった。
きのう校正作業ができなかった悔いが、こんな夢の契機になったのだろうか。ちゃんと終えたところので目覚めたのは褒めてやりたい。
同学年のダチどもは、夜中に目覚めるのに閉口するとこぼしている。さいわいにしてそんな気になることはまずない。書いたり読んだり、ネットをしたりしているうちに、また寝てしまうからだ。ダチのように夜中にいたたまれなさと向き合っていれば、その「ぼんやりとした不安」が創作の契機にもなるのかもしれないが、残念ながら悩みをうまく悩めないところがある。
きのう一昨日とドキュメンタリーで見たジェーン・ディディオンは、もちまえの文才が認められてコラムを書くようになってから、身の回りに「ネタを漁る」のが日課になっていたようだ。その意識が彼女に時代の前髪をつかませたのだろ。一方でその潜在意識が引き寄せたかのように愛する旦那と養女とを立て続けに喪うという経験をすることになった。そのグリーフの長い闇のなかで、彼女は話題作を書いた。ディディオンは死を無に帰することと捉えているようで、おかしな言い方ではあるが「書くしかないほどの絶望的な喪失感を味わうことができた」のだろう
まわりの知人・関係者がひとり、またひとりと死にはじめたとき、あいつさえ生きていてくれればと拠り所にしていた無二の親友を失ったとき、おもいのほか喪失感が希薄だったことにショックを受けたものだった。「先に行っとけよ、またあっちで会おうぜ」が最後の別れの挨拶。また会えると思っていれば、彼我の魂の救済にも本気にはなれないということか、一度はやつの物語りを書こうと試みたが、頓挫したままだ。
読書しながら睡魔を待って4時ごろ二度寝。6時に目覚める。「8月6日のバット」校正。いつもとは漢字の用法を変えているため、意外に手間取る。マンハッタンズのグローブス監督の挨拶が彼らしくなかったので、ぞんざいな物言いに変える。
昼から陽が射してきたのに誘われて久々に農園で作業。じゃがいもの茎が枯れていたのですべて収穫した。
何週間か前にネットで購入したコロナの特効薬といわれる錠剤がようやく届いた。なんとタイから郵送されてきた。日本の製薬事情はタイより劣っているのかよ、とひとり苦笑。


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