風に秘した想い
君待つと 吾が戀居れば 我がやどの 簾動かし 秋の風吹く
巻4の488 額田王
一般訳
あなたのおでましを、いまかいまかと恋こがれて待っていると、戸口の簾を動かして秋の風が吹いたのだった。
原文は下記のとおり。
君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹
上の句の頭に「君」「吾」「我」と人称代名詞を並べて、視覚的なリズムをつくっています。そして同じ私をあらわす音を「あ」と「わ」とつづけて独特の躍動感がある。
このリズムが風の動きとなって移動し、戸口の簾を動かす。絵画的というよりも、映像的な光景が浮かんできます。
「吾」は「戀」というこころのありようにかけ、「我」は「屋戸」という物理的な空間にかけるという使い分けが面白い。
この歌を、一般的には下記のように読みくだしています。
君待つと わが戀ひをれば わが屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く
これでは「私」が平べったいものとして重複するだけでイメージが停滞してしまう。前記のような味わいをしれば、「そりゃーないよ」と、つい叫んでしまう。額田王の恨みつらみが漏れ聞こえてきそうです。
ところで、この歌は額田王が天智天皇を思ってつくった恋の歌とされています。ふたりの恋にはすきま風が吹いていたのでしょうか、簾をゆらしたのは秋の風。淋しさのなかに恋のたそがれといったものをおもってしまいます。
天智天皇と大津皇子。ふたりをめぐる三角関係のなかで、額田王は大津皇子のもとを離れ天智の後宮に入っています。恋の勝敗の軍配は天智天皇にあがったことになりますが、その後のかの女の心境はどうだったのか、興味はつきません。
ここでかの女が風に感じたのは、現実的な肉体ではなく想念の存在。天智天皇ではなく、後宮には来ることができない大津皇子の存在だったと見ても面白いかもしれません。
スピリチャル訳
いつ私のもとを訪れてくれるのかと恋焦がれ待ちに待っているのです。ふっと戸口の簾が動いたので「ああ、あなたが来てくれたのにちがいない」と、こころときめかせたのだけれど、秋の風が吹きすぎただけだった。
もしかすると、もうここには来ることができないあのひと(大津皇子)の想いが飛んできて、すだれを動かしたのだろうか。
(禁無断転載)
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