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大和王権の氏姓制度を少し調べたメモ1

最近、とあるラノベにはまり、それに影響されて無性に歴史系ファンタジー小説を書きたい衝動に駆られてます。聖徳太子が登場する飛鳥時代前後を舞台にしたい感じです。

この辺りの時代って、少し遡るだけで、神話とつながる家系とかたくさん出てくるんで、意外とファンタジー要素満載な時代なんですよね。家系ごとに特殊な能力を持った豪族たちがいたとかいう設定にして、歴史的な出来事をそういうファンタジー要素を込めた文脈で再構築したら面白いんじゃないか、とワクワクしているところです。

本当に書くことになるかは、さておき、意欲に任せて調べ物をしてるので、備忘的な用途でメモ記事を作ります。

飛鳥時代以前の当時は、各地に豪族が割拠した時代で、大和王権によってようやく統一的な国家体制ができた段階です。その時の権力者というと、蘇我氏とか物部氏とかいう豪族です。

蘇我氏は大臣(おおおみ)、物部氏は大連(おおむらじ)という姓(かばね)を持っていました。有力な家系の氏族は姓を持っていて、それ故に氏姓制度と呼ばれていたということは学校で習った記憶がありますが、じゃあ大臣、大連のほかにどのような姓があったかとか、その姓は何の役職なのかとか、ほとんど知らないのが今の私です。

姓の名前にしても、そもそも「大」とついているけどつかないのはあるのか、とか、そういえば、乙巳の変(大化の改新)の中臣鎌足(なかとみのかまたり)の名前って、大臣の「大」の下位にあたる「中」の「臣」なのか、(多分違うはずですが)とか、いろいろ気になることがあります。

今回は、氏姓制度にどういう姓があって、大体どういう性質のものだったのか、まとめていこうと思います。

ソースは基本ウィキペディアです。より興味がわいたら深掘りするかもですが、まずは撫でる程度で。

臣(おみ)

大臣の蘇我氏で有名な姓です。大化の改新以前、「蘇我氏が物部氏を滅ぼした」という内容で学校で習ったのを覚えています。大化の改新で忙殺されたのは、蘇我入鹿と蘇我蝦夷。臣の筆頭を大臣といいます。

では、臣とはいったいどのような姓なのでしょうか。

臣を称する氏族には、

蘇我(葛城県蘇我里:現在の奈良県橿原市曽我町あたり)
巨勢
(大和国高市郡巨勢郷:現在の奈良県御所市古瀬)
(大和国平群県紀里:現在の奈良県生駒郡平群町上庄付近)
平群(大和国平群郡平群郷:現在の奈良県生駒郡平群町)
葛城(大和葛城地方:現在の奈良県御所市・葛城市)
波多(各地に地名が残る)
阿部(拠点不明?、後の安倍晴明を輩出する家系、「あべ」の字は途中で変わる)
穂積(大和国山辺郡穂積邑および十市郡保津邑)

などがあるようです。少なくとも波多から上の士族は、武内宿禰を祖とし、多分、蘇我氏が本家で、他は分家という位置づけのようです。

結局のところ、「臣」という姓の役割が何なのかはよく分かりませんでした。大和王権の最有力豪族で、大王を補佐した執政ということくらいしか書かれてません。

連(むらじ)

筆頭の大連、物部氏でで知られる姓です。蘇我氏に敗れて以降、教科書レベルの歴史舞台では登場しなくなるので、何者だったかほとんど知りません。臣に次ぐ地位だったようです。

連を称する氏族には、

物部(大和国山辺郡・河内国渋川郡)
大伴(摂津国住吉郡)
中臣(京都市山科区中臣町付近の山階、後の藤原氏)
土師(大阪府藤井寺市、三ツ塚古墳を含めた道明寺一帯)
弓削(詳細不明、大阪、岡山に地名の痕跡がある)
尾張(詳細不明だが多分尾張地方)

などがあるようです。臣と比べると特殊技能を持った氏族がいるようです。現場技術者といったところでしょうか。臣との力関係を見るに、権力の中枢は、技術者ではない人間が握っていたということかな、という実態が垣間見えます。

あと、中臣鎌足の一族の中臣は、なんと「臣」ではなく「連」の系統でした。


結構長くなってきたので、今回は一旦ここで区切ります。また、時間がある時にまとめようと思います。

次は、伴造、国造、百八十部、県主を調べていきます。

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