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隣にいないという事。

例えば人はずっとそばにいた人がいなくなる事で
ぽっかり穴が空いたりしばらく無気力になったり、
涙もろくなったり悲しくて街を歩いても色味のない灰色の世界が広がる時がある。

私にとってポパイは17年間も連れ添った相棒で
私の酸いも甘いも全部知ってる。
言葉は交わさなくても何となく空気を読んでサッと寄り添ってくれたりしたし、それを私もしてた。

ポパイは長生きしてる方の老犬だったし、ある程度死は覚悟してたり、私は先代の犬のお別れも経験してるからちゃんと理解してるつもりだった。

ポパイが息を引き取るまで強く自分を正してたし、
犬と暮らす、犬を看取る事が初めての小田(夫)にも強くいて欲しくて自分をピっとさせてた。

だけど、最初の3日間は結構しんどくて1人になるとうわっと涙出てきたし、タオル必要なほどおいおい泣いたし、それがしばらく続いた。

ポパイがいなくなった事も寂しかったんだけど、
ポパイを愛してくれた人々の優しさや声がけを思うとさらに泣けてきた。

けど4日目の朝になんか不思議とフワっとそういうのが抜けてむしろこれからは私が、出かけようがなにしようがピッタリと一緒にいれるっていう感覚になった。

今はまさにそれでむしろ最強になった感覚。

ロスとかそういうのじゃなくて友達のわんこと遊んでるとめちゃくちゃ楽しいし犬の映像みると幸せな気持ちになるしなんだこれって感じ。
悲しいとかじゃない。

なんかポパイが私の中に入って操作してる感じ。

たぶんまだ家の中にいるんだろうな。

また犬と暮らしたかったらお迎えしてもいいよ、って言われてハッと気づいた。

ポパイじゃなきゃ意味がないもんな、犬と暮らしたい欲しい、とかでなくて、私はポパイと暮らしたかったんだって事に気づいた。

相変わらず夢の中ではしれーっとしてるポパイだけど私のめっちゃ強靭なチームメイトになってくれたみたいで、

爽快に私は夏を快走している。


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