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料理コンプレックスの呪いから解放されたい

ただの塩鮭を「サーモンソテー」と呼び
野菜を焼いただけのものを「夏野菜のグリル」と言い張り、たかだか3品くらいしか並んでいない食卓写真をドヤ顔でインスタにアップできる、インスタグラマーどもが羨ましい。

私だってそんな、
焼いたり煮たりしただけの何の手の込んでないものを、写真加工の技術と言い回しの力だけで、自信満々にアップできる人になりたかった。うそ、なりたくない。厳密にはそれになりたいわけじゃないけど、ただし何の躊躇もなくそれができる人たちが、心底うらやましい。私にはそれができないから。なぜできないのか。「私と料理の関係」には、呪いが満ちているからだ。


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このnoteは、
長年「料理コンプレックスの呪い」から逃げ続けていた私が、
料理家 有賀薫さんによる『料理嫌いをカウンセンリングするための35の質問』というワークで呪いと向き合えたことにより、はじめて書く事ができたnoteです。この呪いの行き末となるイベントお知らせは、このnoteの最後に記載しています。
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「手際も悪いし盛り付けも下手」と言われて育った

私の母はめちゃくちゃに料理が上手い。
実家ではいつも7.8品の料理が山盛りで食卓に並んでいた。
栄養士の資格も持っているし、そもそも手際が良い。
手作りのお菓子もよく作ってくれたし、ちゃんと蒸し器で焼売を作るような人だった。
家族でレストランに行き、美味しい食べ物に出会えば母はすぐそれを家で再現したりもした。
母の料理は友達にも評判で、味だけでなくその品数にも毎度驚かれたけど、我が家ではそれが日常だった。
母とどれだけ不仲な時期でも、晩ご飯は楽しみだった。

ただ。
料理を手伝うたび、私は馬鹿にされた。
母自身は馬鹿にしているつもりはあまりなかったのかもしれないのだけど、何事もハッキリいう人なので「何にそんな時間かかってるの」「そんな切り方で火通らないでしょ」「そんな盛り付けで誰が食べるの」(いややっぱりひどいよね)などと日常的に言われるたび『私は料理が下手なんだ』という烙印が強く押されていった。
そんな風にして積み重なった「料理コンプレックス」というものは厄介で、簡単には消えない。

自炊料理は見せたくないもの

就職と同時に上京し一人暮らしをはじめた私は「自分はどうせ料理が下手だから」と決めつけほぼ自炊をしなかった。ほとんど毎日外食で、たまに家で何かを食べようとすれば適当に豚肉を焼いて、サニーレタスで巻いて食べるだけ。

彼氏は常にいたが「料理を振る舞った」という記憶はほぼない。
歌が苦手な人がわざわざASAYANオーディションに出るわけがないのと同じく、自分が作ったご飯を人前に出すなんて有り得ない。
彼氏や友達とは、外食かデリバリー、あるいは鍋。

2つ転機が訪れた。
1つは、ルームシェアをしたこと。
2つめはキッチンのある会社に入ったこと。

これらは思い出としてはめちゃくちゃ楽しいのだが、私の「料理コンプレックスの歴史」上に限って言えば、悪い意味での転機とも言える。

まずルームシェアは男女四人、新井薬師の4LDKではじまった。男子のうちの一人が、いわゆる「カレーをスパイスから作るタイプの人」だった。(バーナーを持っていて、鰹を炙って出してくれたりもした)
本当においしかった。だからこそはじめて彼の料理を口にしたとき私は「料理できないキャラ」に徹すると固く誓った。

これ、
料理コンプレックスあるあるな気がするのだけど……私たちは「料理が得意な人」に出会うと、過剰なほど「料理できないキャラ」を演じきる。中途半端に何か作ってアラを指摘され傷つかないための、精神的自衛だ。はじめから白旗をあげておけば、期待もされないから傷つく機会も減る。

本当のところ私は、野菜は切れるし簡単な炒め物だってできるし、今思えば母の影響もあって、少しは料理ができたと思う。だけど、実際よりも何もできない風を装って生活した。

〈包丁の使い方も自信がないし、得意料理もない。誕生日ケーキすら切れない。屋上でバーベキューする時はお買い物係。食材の処理には関わらない〉……そんなモードで過ごしていると、ごくたまに私が料理の手伝いをするときは、みんな手厚くサポートしてくれたり、優しく手順を教えてくれたりした。できないのが当たり前として扱われるのは楽だった。

たまに家の中に誰もいないとき、共用スペースで野菜やお肉を炒め、逃げるように自分の部屋に持ち込んで食べた。料理というより、最低限の栄養摂取という感じだった。

ルームシェアが終わるころ。
忘れられない出来事があった。
シェアメイトのひとりがギャルの友達を連れてきて、その子が私たちに料理を作ってくれることになったのだ。偏見だが、ほぼ金髪でネイルも長く、料理なんて最も苦手そうな雰囲気の子だったのに、彼女が作ったのは唐揚げだった。そこで私は絶句した。絶句しながら、どうか不味くあってくれと願ったけどめちゃくちゃ美味しかった。

揚げ物なんて挑戦しようと思ったことすらなかった。なんかもう決定的な屈辱?絶望?なんだかよくわからない気持ちのなか無言で完食したのを覚えてる。そのときハッキリ「果てしないな」と思った。

この果てしなさはどこに続くの

私が「果てしないな」と思った瞬間はあと1度ある。二度目の転機である、キッチンのある会社に入ったあとのこと。

その会社はデザイナーズマンションの一室にあり、お昼は社員4人のうちの誰かが作ってみんなで食べることになっていた。そこで一緒に働いていた大好きなN先輩は、料理を作るのが好きで、しかも手際もよくて、ご飯はいつも土鍋で炊いてくれた。とても性格が良くて、私をバカにしたりしなかった。

先輩は無添加素材にこだわる人で、うちの母の料理とは違いかなりシンプルだったけど美味しく、素材の味を生かすという方向性を知った。
そこでも過剰なまでの「料理できないキャラ」に徹していた私だが、さすがに会社で私だけ作らないわけにもいかないので、野菜の下処理など毎回教わりながら週2、3回は作った。そこではじめて、自分の作ったものを他人に食べてもらうことに少しだけ慣れていった。(ただし社外の人にに振る舞うのはハードルが高すぎて無理だったけど)

「果てしないな」と思った瞬間の話に進む。
ある日、そのN先輩と、先輩の旦那さんと、三人でご飯を食べに行った夜。
旦那さんがN先輩と結婚しようと思った瞬間について語ってくれた。その内容が「酔っ払ってはじめてコイツの家にいったとき、朝、味噌汁を出汁から取って作ってくれたんだよね」だった。ハイ、その言葉を聞いた瞬間。またしても私は、絶句しながらハッキリと「果てしないな」と思ったのだ。美味しいお味噌汁を出汁からなんて、作れんのよ……。

ちゃんとシーンを覚えてるのはその2回だけど、振り返れば私が料理に関して抱く絶望文言はいつも「果てしないな」だったように思う。「やっぱ無理だな」とかいう完全な諦めじゃないのだ。遠いどこかになんらかのゴールを見据えているがゆえの「果てしないな」なのだ。

どこを見据え続けてるかなんてわかってる。「母の料理」だ。私はあの、食卓いっぱいの、家族みんなが顔を明るくゆるませ手を伸ばす最強の料理達を、いつか超える、いや、超えなければならない、と、どこかで思い続けているのだ。その戦いに呪われてる。そしてその戦いから逃げ続けている。だから料理コンプレックスから逃れられない。適当な料理をSNSにあげるなんて、間違っても、できない。できない。


少しづつ開放に近づいたここ数年

ただ20代後半、
結婚を機に私の料理コンプレックスは一瞬だけ薄らいだことがある。
ルームシェアを辞めた私は「食にこだわりのない夫」と結婚した。その後すぐ妊娠。つわりがひどすぎて料理が作れなかったので、なんとなく、夫に料理を作る機会もそんなになかった。
休日、たまに朝ごはんなどは作ってみたりしたけど、料理へのハードルが高くない夫はすべて喜んで食べてくれた。夫に料理を出すことだけは、恥ずかしいことではなくなってきた。

子供を産んでからすぐ、
川崎にある夫の実家で、夫の両親と同居した。
そこで救いだったのが、夫のお母さんがそんなに料理が得意な人ではないこと。いや作ってくれるものは美味しいのだけど「料理作るのが苦手」「作るのぜんぜん好きじゃないの」と公言していて、その年代の人に珍しく積極的にお惣菜を取り入れるタイプだったから私はかなり救われた。しかも同居から約半年経ったころ、仕事を引退したお義父さんが料理教室に通い、毎日晩ご飯を作ってくれることになった。

それにより私は晩ご飯作りから解放され、料理コンプレックスを感じるタイミングが減っていった。

が、そんな平和な生活が1年続いた頃。
いまから4年前。夫の転勤により私は地元名古屋に引っ越した。そして実家にて、母との同居生活が、およそ10年ぶりに再開したのだ。


衰えていない呪い

結論から言うと、呪いは健在だった。結局今年の春まで丸4年間実家で暮らしたのだけど、残念なことに、私の二人の息子達(現在6歳と4歳)は圧倒的に私の料理より母の料理を好んだ。

私と母は週のうち半々くらいで料理を分担したけど、母は私が担当した日の食卓をみて「なんかまた不思議なものをつくったね」とか言ってくるのだ。(「だったらどう作ればいいか教えて?」と私が言えば面倒がって教えてくれない)
さすがに昔よりは、母のそう言った言葉をスルーするスキルが身についてきたし、そういった言葉をかけられる回数は1/10くらいに減っていたが、それでも実際に母が料理を作った日の方が、家族が料理に手を伸ばす頻度は高く、屈辱は地味に重なっていった。

そんなある日。突如、前向きな転機が起きた。
何の話の流れだったか、仲の良いママ友がうちに来た時「揚げ物って結構簡単だからよくやるよ」と言ったのだ。それまで揚げ物って面倒臭くて難しいものと思い込んでた私はびっくりして、それを聞いたときなぜか突然「今夜はじめて揚げ物作ってみるわ」と宣言していた。

2年前の6月だったと思う。
夕方までにすべての材料を買いに行き、クックパッドで徹底的に工程を調べ、まず、フライドポテトを作った。めちゃくちゃ簡単に美味しくできた。そこから私はほぼ毎日揚げ物を作るようになる。クックパッドの言いなりに作ったら唐揚げも作れた。「揚げ物は面倒臭い」というあの風評はたぶん、几帳面な人によるものな気がする。綺麗好きでもない私にとって油の処理や掃除などもそこまで苦じゃないし、なにより揚げ物は、ただ揚げるという工程を挟むだけでだけで子供達がパクパク食べてくれて楽だった。

毎日毎日なにかしらを揚げようとする私にさすがに母も脅威を感じたのか、何も突っ込まなくなってきた。そして「揚げ物ができた」ことで自信を得た私は少しずつクックパッドをみて、挑戦したことのない料理を作るようになった。

子供の友達がたくさん来た日は、唐揚げとフライドポテトを作ってみた。みんな褒めてくれた。あと、どういうわけか私が作る「焼きそば」だけは母に褒められるので、それも頻繁に作った。たまに揚げ物だけ、うまくいったときだけ、インスタに載せるようになった。


34歳、もしかして少し、呪いが解けた瞬間

そうしてこの春まで、私は自分なりに一歩ずつレパートリーを増やしていった。積極的に人に振る舞うことはなかったし普段の料理をみられるのは恥だけど、子供達が楽しみにしてくれるメニューも少しだけ出来た。

そしてこの春、
川崎にある夫の実家にまた戻ってきた。
夫の両親は基本的に別荘生活となり月に5日ほどしか家にいないのだけど、家にいる時はいまだにお義父さんが料理を作ってくれる。料理教室の成果は凄くて、グラタン、手羽元の煮物、ビーフストロガノフ的なもの、などなどあらゆるメニューが豪勢に並び、子供達も喜んで食べる。

という矢先。
こないだの7月。
義父が腰を痛め、一週間だけわたしが料理を作るという週があった。そこで改めて気づいたのだが、私はずいぶん手際が良くなっていた。名古屋で母親からのプレッシャーの中料理をし続けた修行の成果かもしれない。毎日5品ほどを、1時間もあれば作ってしまえた。しかも子供達がよろこぶメニューだけでなく、義父母が好みそうな野菜中心の料理もたくさん挑戦した。

だけど。口数が少ない義父には一言も、何も、感想を言われなかった。やっぱり料理教室に通ってる義父からすれば私の料理なんて味が濃いだけの素人作品にしか思えないのかもしれない。さらに自信をなくしそうだったけど、その週は毎日、使ったこともない野菜なども使っていろいろなレシピに挑戦した。そんな日々の、6日目。

その日の夕方、私が台所で作業していると、飲み物を取りにきたお義父さんがわたしの隣にめずらしく立ち、さらにめずらしいことに少しだけ微笑みながら、こう言ったのだ。


「あやかさん、すっごく料理上手だよね」と。

(私の本名は「あやか」という)思わず言葉が出なくなり、「わ、ありがとうございます」と5秒後くらいに絞り出して目を逸らした。そのあと義父は台所から立ち去ったのだけど、私は泣いてしまい、ずっとそこに立ち尽くしていた。

夜まで胸がいっぱいだった。
日焼けした肌から取れる皮のようにあっさりその日、呪いの第一層みたいなものが、私からぺらんとはずれた気がした。たった、第一層だけど。

料理コンプレックスの呪いから脱することにした

いまからちょうど2ヶ月前のその経験は、私の視界を照らした。私はそれを機になんとはじめて腹を括って「料理コンプレックスから脱したい」と決意するようになったのだ。

今までは、
そんなことを心に誓うこともできなかった。
料理に対していつも消極的で「まずくない料理をつくろう」としか思えなかった私なのに「美味しい料理を作れるようになりたい」「料理を楽しみたい」と思えるまでになったのだ。

そんなふうに立ち上がろうとしていた私のもとに、手を差し伸べてくれる女神が現れた。スープ作家の有賀薫さんだ。有賀さんといえば説明するまでもないが、スープのレシピ本でベストセラーをバンバン出しているすごい料理家の方です。そして、そんな有賀さんがなんとなんと、私の料理コンプレックスのために、料理教室を、開催してくださることになった。


パンドラの箱があくのは9月28日

今までの私なら考えられなかった。なぜなら自分の料理姿を家族以外の誰かに晒すと言うこと自体が、苦痛だったから。

しかも今回なんとnoteplaceさんの全面協力により、その料理教室の様子を、イベントとして配信してもらえることになりました。この際だから私だけじゃなく、私のような、料理コンプレックスに呪われている人の心が、一斉に楽になってくれる、きっかけになればいいなと願ってます。

冒頭でも触れましたが、このnoteは有賀さんが私のために作ってくれたカウンセリングシート『料理嫌いをカウンセンリングするための35の質問』
に答えたことで書く事ができました。ぜひみなさんもこのワークをしてから、イベントにご参加ください。

イベント詳細↓

今回のイベントは
私の初書籍『すべての女子はメンヘラである』の出版記念イベントです。
【感情をコントロールして・頭の中を整理して・なんらかの呪いをといて・悩みをなくせる】思いを込めた一冊です。こちらもお読みください。




呪いに負けない。スイスイ

Edit : Yoichi Nakajima

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