セコのままでなんとか行こう…「しゃべれどもしゃべれども」(佐藤多佳子)
SuiSuiと申します。いい大人です。noteは3本目です。そして、自分が思ったより文章が書けないという現実に直面しています。辛い。読んでいただく人には本当に感謝しております。
そんな気持ちが背景にあったのか、無意識に本棚から引き抜いて読んでいたのが
「しゃべれどもしゃべれども」(佐藤多佳子著・新潮文庫)
前回書いた「仏果を得ず」(三浦しをん)が文楽なら、今回は落語です。※今回も…ぼんやりとですがネタバレありです。
まず超要約
舞台は吉祥寺。二ツ目(落語のクラス?でいうと上から2つ目)の噺家・今昔亭三つ葉が、「話すこと」に問題をかかえた4人、テニス青年、黒猫に似た女性、大阪からの転校男子小学生、強面元プロ野球選手を相手に「落語教室」をやることになって…というストーリー。
「本の雑誌」(懐かしい)の年間ベストテン1位に輝いたそうです。
それって何年のこと?と調べてみたら。1997年!27年前!
あ、2007年には映画化もされていた。主演は…国分太一。
そうだったそうだったよ。
中途半端に昔の時代の話。でも、今読んでも違和感はない。ただ…スマホ(ケータイ電話)がないから、やたらバタバタ動き回っている…かもしれない。この「やたらバタバタ動き回る」が、ビフォア・ケータイの青春なんだよなぁ。
さておき。「セコ」という言葉が繰り返し出てきます。
「セコ」は、落語の世界の言葉で、粗末、稚拙、陳腐で…みるべきことろがないことだそう。「セコい」と同語源かなと。
「しゃべれどもしゃべれども」では、話すことがセコな5人(主人公の三つ葉さんも入れて)が、なんとかセコを抜け出したいともがいている。途中から「落語の練習」では話下手は直せないと分かるけど、それでも5人は不思議につながり繋がりつづけていって…。
でも最終的には、現実的な問題はほとんど解決しないんです。話がスラスラ話せて問題がなくなる人はいない。でも、全員がもがいた末に得た、「セコでもなんとかやっていくんだ」という了解が、この物語の色あせない「語りたいこと」なのかなと。
セコでもいい、セコのまま行く。なんとか行こう
文章、練習しようと思います。とりあえずセコでいい。でも、せめて読みやすく。
あと、関西から引っ越してきた小学生男子・村林がいい。アホかと思うくらいにへこたれないお調子者の浪花男の、この先の物語は、ちょっと読んでみたいな。
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