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読書感想文:昇りつめた幸福の先に、落ちていくこと以外の何があるのか

 ぶ、分厚い...。
 書簡形式...え、大河小説?うそやろ。こんな厚みの分、手紙のやり取りようせんやろ。
 思ってたのと違うかも。ネット注文にありがちなやつだ。

 買ったのがネットじゃなくても、かわいらしい表紙に騙されていただろう。
 通勤のお供にと買った「ののはな通信」を私は電車で読むことはなく(それどころか分厚いと思った本を一日で読破した)思考を根こそぎ持ち去られ、何日もぼんやり過ごすことになった。


 「ののはな通信」では、野々原茜(のの)と牧田はな(はな)の高校生から40代までが、書簡の往復だけで語られる。

 成績優秀で大人びたののと、天真爛漫なはなは、ミッション系の女子高に通う2年生だ。二人は会話だけでは足りぬとばかり、授業中のメモから(明日また学校で会えるのに)はがきや手紙のやり取りまでして、お互いにかけがえのない友人として仲を深めていく。
 はなへの気持ちが恋愛感情だと気づいたののの告白で、二人は恋人同士になるのだが、若さゆえの繊細さと傲慢さのために、破局してしまう。

 しかし関係の破綻の後も、物語はまだまだ続く。

 大学時代に交友が復活するのだがが、やがてそれも絶えてしまう。

 その後20年ほどを隔てて40代になった2人は、ひょんなきっかけでメールのやり取りを始める。ののはフリーのライターとして東京で、はなは外交官の妻として未だ内戦の火種を抱える国ゾンダで生活を送っている。

 たがいの今の生活、来し方を語らううち、ゾンダでは内戦が勃発し、ほどなくして日本では東日本大震災が起こる。


 高校生のののとはなの、授業中に回すメモやはがきや手紙の内容に、しょっぱなからノックアウトされてしまった。

 聞いてほしい、わかってほしい、受け入れてほしい。
 ほかの誰でもない、あなたに。

 ののとはなの間で交わされる言葉は、親密で濃密で、時に思いがあふれて独りよがりにも思える。

 けれども、独りよがりすら受け入れられるという願いにも似た自信は、かつての私にも間違いなくあった。ひりつくほど他人を求めた10代の頃を、引き戻されるように思い出した。
 同時に、あの気持ちは何だったんだろう、というくらいあっけなくなくなってしまった10代の交友のことも。

 苦みを伴いながらも、ページをめくる手が止まらなかった。
 だから、破綻の先に物語が続くことに、一層の驚きがあった。

 ののとはなの激しく濃密な関係は、高校時代で終わってしまう。
 隔てる物を取り払って、重なって、溶けあいたいと願うほど愛する誰かに出会うこと。それは人生の頂点の一つではないだろうか。
 その相手を失ったら​?
 頂点まで昇りつめた幸福の先に、ゆっくり落ちていくこと以外に何があるのか。

 もし、思い出への陶酔や、美化した回想で物語が続くのなら、この先を読みたくないと思った。
 なぜなら思い出は、どんなに美しい言葉で語られようとも、新しい何かを与えてくれないからだ。

 新しい何か、新しい可能性。
 私はそれを求めていたんだな、とふと思う。

 失った後にも、生きて、語るべきその先ってあるんだろうか。
 過去は、もはや同じように感じることはできない、みずみずしい世界の中に封印されている。
「昔はなにもかもが美しかった」と懐かしむほかに、思い出は、何かを与えてくれるのだろうか。
 ののとはなの行く末に、私はそれを知りたくなった。

 40代になって、メールのやり取りで交友を再開した二人。
 今の生活と、断絶していた20年の間にあった出来事を報告しあう中で、繰り返し高校時代の思いに触れる。

 ただ「あの頃」を思い出す行いを超えて、ののは、過去のはなを、はなは、過去のののを、自分の中に再度構築する。
 親しかった相手にしか言えない思いを言葉にするうちに、二人は変化していく。

引用してもしきれないけれど、ののははなとのやり取りの中で、こんな思いをつづる。

すべてが他人事。どんなに悲しく残酷な出来事が起こったとしても、それが直接自分の身に降りかからなかったら、おおかたのひとはすぐに忘れてしまう。なんとなくのムードで「かわいそう」と悲しんだふり、「ひどい」と残酷さに憤ったふりをするだけで。もちろんわたし自身も含めて、とにかく「ふり」ばかり。
そういう「ふり」の集積で、日常は成立し、つづいていっているんじゃないかと思うことがある。だとしたら日常って、究極の無神経と不感症とでできあがっているということね。

 一人でただ考えて、このように世界を感じるだろうか。
 相手に問いかけることで、自分の中の他人の存在を考え続けることで、出てきた言葉だと思った。

 相手に思いをはせ、心の底から共感して、相手のことを考える。
 相手を通して、自分の心の声を聞く。

 生きていると感じられるのはどんな時だろう。それは、世界とつながっている、と感じたときじゃないだろうか。

「ふり」だらけの日常で、鈍磨していく感情を抱えて生きていては。
 今を感受しないでただ過去を見るだけでは、世界と断絶していくだけだ。

 長い歳月の中で、相手を想うことで研磨され美しく輝く結晶のようになった過去。
 その結晶を通して世界を見ることで、「ふり」をやめて、真に世界とつながることができる。

 孤独はしょっちゅう感じるけど、しんじつ一人になることはないし、できないんだな、とつくづく思った。それなら「ふり」をやめて生きていきたい。

 そうして世界とのつながりを取り戻し、遠い国の誰かのことも、自分の心の奥底のことも、感じて考えて過ごしたい。

 つながり分かち合った思い出は磨かれて、世界を見るレンズになる。

 これが多分、私がののとはなの行く末に、見出した希望である。


#読書の秋2021 #ののはな通信

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