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【小説】アルカナの守り人(27~36)


<3.マザー>

 孤児院の建物は、赤いレンガと石壁を組み合わせて建てられたものだった。赤色は緑色と補色の関係にあるので、遠くから歩いてくる時、この建物は、周りの緑の中でよく映えていた。ところが、実際、目の前に立つと、なぜか周り緑に溶け込んで見えるから不思議だ。塀と同じく所々から植物が生えているせいなのかな…と、フウタは思う。

 木製の大きな両扉には、美しい木彫りが施されている。上部には、こぼれ落ちそうな花々とそれを包み込む葉。下部には、両ひざをつき、祈りを捧げる少女が、向かい合っている。中央部には、燻った輝きを放つ、リング状の金属ハンドル。少々痛みはしているものの、きちんと手入れされているようで、全体的に、自然な艶を放っていた。

 フウタは、ハンドルをしっかりと握ると、昔と同じように、軽く引いて扉を開ける。一見、重厚な印象を与え、さぞかし開けるのも大変だろうと思わせるが、実際は、小さな子供でも簡単に開けられる造りになっていた。
 
 あ、どうせなら、ヒカリに開けてもらったら良かったかも…と、ちょっとした悪戯心が顔を出したものの、次の瞬間、全力で扉を開けたヒカリが、思いっきり尻もちをついている光景が想像できて、止めておいて正解だったとフウタは思い直していた。

 建物に入ると、そこは、吹き抜けのロビーになっていた。高い天井の一部は、格子状のガラス窓だが、外側には、蔦やシダが絡みつき、小さな花を咲かせている。その隙間を縫うように、光が降り注いでいた。年代物のウィルトン織が敷かれた廊下は、三方向へ伸び、二階へと続く大きな階段にも、同じ燕脂色の織物が敷かれている。時折、子供たちの声が、様々な方向から大となり小となり、響いてきていた。
 
 ヒカリは、石壁に囲まれた廊下を、フウタに続いて歩きながら、高い位置に並ぶ小窓を見上げる。光が多く入り込んでいるわけでもないので、内部は少し薄暗いのだが、嫌な暗さではなかった。むしろ、この暗さが心地よい。というより、ヒカリは、この建物に入った瞬間から、穏やかで温かみのあるエネルギーが、全体に満ちているのを感じていた。
全てを包み込むような愛と力強さ。

マザーは、こういう雰囲気を纏っている人なのかもね──。とヒカリは思う。

 いくつかの扉の前を通りすぎ、廊下の一番奥まで来ると、フウタは立ち止まった。
 一番奥の部屋──、マザーの部屋の扉は、常に大きく開かれている。
いつでも、好きに出入りしていいよ──、いつでも、歓迎するよ──。ここに戻ってくるたびに、そう言われているようで、フウタは安心し、嬉しく思う。長い間、大切に使われてきたことが分かるテーブルやソファ、アンティークの品の良さそうな花瓶やランプ。相変わらずの見慣れた景色に、ふっと笑みが溢れる。

「ここが、マザーの部屋だよ。」

 フウタは、右手の親指を軽く振りながら、ここ、ここ!と指し示す。

「──。」
 ヒカリは、こくりと頷くも、声を出さなかった。顔が強張っているので、少し、緊張しているようだ。
 
 初対面の相手に会う前って考えたら、よくある反応とも言えるけど、ヒカリの場合は、ヨウに関しての手がかりを期待しているはずだからな。期待と不安が入り混じって、緊張してきたんだろう──。
 
 フウタは、その緊張をほぐすように、ヒカリの背中を軽くポンっと叩く。

 「──さぁて、マザーは元気かなぁ?」

そして、お気楽な声を出しながら、部屋の中に入っていった────。


「──おや、やっときたのかい? 随分と、顔を出すのが遅かったじゃないかい?」
 
部屋の中ほどまで進んだとき、そんな声が聞こえて、フウタは、苦笑する。

「──なんだよ、俺が来てるって、気づいてたのかよ」
 
 声がした方向に目をやると、大きな窓を背景に、のんびりとカウチでくつろぐ女性がいる。柔らかそうな辛子色の髪を無造作に一つに編み込み、着心地の良さそうな、ゆるりとしたワンピースに身を包んでいる女性──、いつものように、暖かな笑みを浮かべているマザーがそこにいた。

「いや、何──、さっき、ここにザイルが来てねぇ。」

「──ザイル?」

ああ─、さっきのカヂクの実の子か─。フウタは、燃えるような緋色の髪の少年を思い出していた。

「──それはそれは、怒り狂った様子で、『すごく変な奴が来た! ムカつく! すごく嫌な奴! マザー、追い返してよ!』って、大騒ぎしていったんだよ。」

「へぇ──。」
 
──それはまた、ひどい言われようですなぁ。

「それで──、おまえが来ているんだろうなって思ってね。」

「うん──? いやちょっと、待ってよ。なんで、それで、俺だって思うわけ?」

「いや、だって。ここの子たちをあんなに怒らせるほどのことをやる人間なんて──、限られているだろ?」

 マザーは、ニヤリと笑うと、目を細めた。
 
 ──あ、あれ? これって、ちょっと怒られているのか? やりすぎたか?

「ふふふ──。怒ってなんかいないよ。ここの子たちに、他人行儀じゃなく、正面切ってぶつかっていくなんて──、家族しかできないだろ?」

「ああ──、そうだな。」

 どんなに月日が経とうと、ここにいる奴らは、俺の家族だからな。ついつい、大人気ないこともやってしまうわけだ──なんて、言い訳めいたことを考える。

「とにかく、さっきの詳しい顛末は、後でミクスにでも聞くとして──。」
 
 マザーは、そう言って、一旦、言葉を切ると、視線をゆっくりとヒカリへ向け、満面の笑みを浮かべる。

「──うふふ。かわいいお嬢さんだね。 いやぁ、嬉しいねぇ! ついに、フウタが女の子を連れて、ここに帰ってくるなんて! 早速、紹介してもらおうか。──いつから、お付き合いしてるんだい? 本当にこの子は、全然、女っ気がないというか、女の子を連れてくるなんてことがなくてね。わざわざ、会いにきてくれるなんて、もう結──」


「 お仕事の依頼人ですってよ~、マザー。」

 マザーの興奮した楽しそうな声音に、それはそれは、残念そうな声音が重なる。振り向くと、そこには、心底、がっかりという顔をしたミクスがいた。

「なんだい、ミクス! いきなり、話の腰を折るんじゃないよ!」

「──だって、私も、フウタに同じことされたのよ~。私だって、そんな『お話』するの、とっても楽しみにしていたのに! マザーばっかり楽しむなんて、そんなのずるいわ。──もう、本当に、フウタは意地悪。やっと女の子を連れて来たんだから、ちょっとは、楽しませて──って。あ~、こほん──。」
 
 フウタのジト目に気づいたミクスが、慌てて、口をつぐむ。

「まったく─。おまえがそう、揶揄う気満々だから、フウタもここに連れてきたいと思わないんじゃないか──。」
 
 マザーは呆れた口調でそう言ったが、自分のことは棚に上げるんだな──と、フウタはため息を吐く。

まぁ、ヒカリを連れてきた時点で、こうなることは、粗方想像がついていたわけだが、そろそろ、本題に入りたいところだな───。

「マザーもミク姉も…、ちょっといいか。──今日は、ちょっと真面目な用っていうか、聞きたいことがあって来たんだよ。だから──、」

「──ああ、分かっているよ。フウタが来てくれて嬉しかったとはいえ、ちょっとばかり『おふざけ』が過ぎたかもしれないね。すまなかったね、お嬢さん──。」

 マザーはそう言うと、ミクスと視線を交わす。そして、二人で揃って、ヒカリに頭を下げた。

「いえ、そんな──。私こそ、突然、お伺いしまして…。」

 ヒカリも慌てて、頭を下げる。

「ふふふ。そんな堅苦しいのは、なしだよ。こっちは、ゲストだって、いつでも大歓迎さ。それより──、今日は一体、どうしたんだい? なんだか、真面目そうな用件なのは、薄々気づいてはいたけど…──?」
 
「ああ、うん──。もちろん、説明するけどさ。まぁ、その前に、ちゃんと紹介しないとな。こちらは、ヒカリ。──俺の依頼人だよ。」

「ふふ。初めまして、ヒカリ。」「よろしくね~、ヒカリちゃん。」
「はい、よろしくお願いします。」

「それでその、ヒカリなんだけどさ──、」
 
 フウタは、そう話を切り出したものの、さて、どこから、どう説明したらいいもんか──と、思い悩む。
いや、俺よりもヒカリが説明した方が早いか──?とヒカリの様子を窺うも、懇願するようにこちらを見つめていることに気づく。どうやら、困っているのはお互い様らしい。
 
 とりあえず、ヒカリが、事務所に来たところから、順を追って説明していくしかないか──。フウタは、顎先に添えた指で頬を掻きつつ、意を決して口を開いた──のだが。

「──ふーむ。ヒカリは、やっぱり…──、『守り人』かい?」

そんなマザーの一言で、状況が一変する──。


 真っ先に、反応したのは、ヒカリだった。

「は──、はい! そうです!」

「は──? え──? 『まもりびと』…?」

「──『守り人』というのは、私たち、アルカナの能力者に対する呼び名の一つです。」
 
 ヒカリが、丁寧に教えてくれる。

「──えっ、なんでマザーが、その『守り人』なんて言葉知ってるんだ? しかも、ヒカリが守り人って…? えっ???」

なんか、俺だけ話についていけてない──。

「まったく──、鈍い子だねぇ。こっちは、てっきり、分かっていて来てるんだと思っていたよ…」
 
 マザーは、そういうと、左の手首から、いつも身に付けている籐で編まれた太めのバングルをスルッと外す。そして、こちらによく見えるように、腕を差し出した。マザーの手首の内側には、確かに、ヒカリと同じような奇妙なあざがある。これは、NO. III…か。

「──分かっただろ? 私も守り人なんだよ。ちなみにいうと、あの子もね──。」

マザーは、外したバングルを付け直しながら、ミクスに顔を向ける。ミクスは、はぁいと手を振っている。

「私の印は、ちょっと見せにくいところにあるから~、こっちでいいかな~?」

 そういうと、シルバーに輝くカードを手元に出す。カードの表には、片足を、神聖な泉の中にいれ、大きなカップを左右の手に持ち、中身の液体を丁寧に移し替えている、大きな翼を広げた美しい天使が描かれていた。以前、ヒカリが、能力を見せてくれるときに使っていたカードに似ている──。大きな力が秘められているのを感じさせる、アルカナの能力者が持つカード──。NO.は、XIV──。

「────…。」

──今の俺、相当、間抜けな顔をしていると思う。まさに、絵に描いたような「あんぐり」って顔をしているだろう。ずっと、身近にいた人が、実は、すごい能力を持っていて、しかも、それが、二人…。マザーだけじゃなくて、ミク姉も…──⁉︎
 
 ヒカリが興奮気味に、『私は、No.XVII です!』とか言いながら、首元のあざを見せているのが、目に映る。何かしら、ヨウを助けることに繋がる情報が手に入れば…と来てみれば、そこに同じアルカナの能力者がいたわけだからな、そりゃ、期待値もマックス、テンションも上がるってもんだ。

 それに引き換え、フウタは──ものすごく裏切られた気分に陥っていた。

「──なんで、そんな大事なこと隠してたんだよ。 今まで、そんな話…、全然言ってくれなかったじゃないか──。」

 心なしか、責める口調になってしまう。これじゃまるで、拗ねてるただの子供だ。落ち着け、俺──と思うものの、一人だけ蚊帳の外のようなこの状況。納得できねぇ!
 
「何、言ってんだい、おまえは…。確かに、これまで、はっきりと能力の話はしたことないよ。でも、私たちが能力を使っているのは、目の前で見てきていただろうに──。こっちは、隠してなんか、いやしないよ。」

「そうよ~。私の薬作りの手伝い、よくしてくれたじゃないの~。」 
 
 マザーの話にミクスも続く。

──ミク姉は、病気や怪我をする子供たちのために、お手製の薬を作っている。俺も昔は、よく作業を手伝っていた。いたけどさ…。あれって、アルカナの能力を使ってたのか? まぁ、子供心に、『魔法みたいだな』とは思っていたよ。薬が出来上がる瞬間は、調合釜が、不思議な光の紋様に包まれてさ…ってあれ──。そう言われてみれば、あの紋様って、どこから出てた──?

──そうだ! ミク姉は薬作りをする前、決まって空っぽの調合釜を持ち上げて、なんかカードみたいなものを、釜の下に置いて──…

「──…って、(あああああああああああっ!)」

 フウタは、声が出そうになるのを、必死に抑える。
 今の今まで、すっかり忘れていたけど、あの不思議な紋様も、光り輝くカードも、どちらも見覚えのあるものだった。一度、思い出せば、昔の記憶が鮮明に蘇ってくる──。マザーは、野菜や植物を育てるとき、何か、古い言葉を語り掛けながらやってたけど、あれも、呪文的なものを唱えてたってことか! 

 マザーもミク姉も、確かに、俺に能力を隠すってことはなかった。──ただし、アルカナの「ア」の字も言ったことはないからね。それで、気づくなんてことは、土台無理な話だ。 そりゃまぁ、不思議には思いながらも、何でも素直に受け入れちゃってた俺もどうなのかとは思うよ? もうちょっと、「それ、何?」「今、なんて言ったの?」くらいは確認しておくべきだろ、当時の俺よ…────。

「──まったく、おまえはいつまでむくれているんだい?」

「別に──。むくれてなんかいないよ。」

フウタは、ムッとしながら答える。

「ふん。そんな仏頂面で言われてもねぇ──。何だか、不機嫌なフウタはほっといて──、ヒカリ──、おまえの話を…、私に会いにきた理由を聞かせておくれ。」

 マザーは、ヒカリに優しく語りかける。ヒカリは、頷くと、ゆっくりと話し始めた───。


「──ふーむ、なるほどねぇ。流行りの病に、まさか、アルカナの能力が絡んでいたとはね──。」

「はい…。──あ、あの…、何かご存知ではないでしょうか? ヨウを…、太陽のアルカナを持つ弟を助ける方法を…。例えば、この古本に書かれているメッセージはどうですか? 以前、聞いたことがあるといったことは──?」

 そう言って、ヒカリは、持参した古本を広げて、例のメッセージが表れたページを開く。

スペス リベルタティス ラティティア   
(自由と希望が喜びをもたらす──)

 マザーは、しばし、そのページとメッセージを眺めていたが、残念そうに首を振った。

「──すまないねぇ。この言葉については、よく分からないね。これが、ヨウが奇病にかかってしまった原因や、そもそも、人類と太陽の結びつきが弱まってしまった問題を解決する糸口なのかもしれないがね…。」

「─そう…ですか。」

 ヒカリは、一瞬、悲しげな表情を浮かべたが、すぐに、その顔を隠すように俯くと、静かに、古本のページを閉じる。ヒカリは、このメッセージが、ヨウを救う手がかりだと信じていた。マザーが、同じアルカナの能力者だと知って、もっと詳しいことがわかる⁉︎ と期待してしまったとしても、仕方がない話だ。思っていた以上に、ショックを受けている自分にもびっくりしているのかもしれないな。顔を上げることもできず、そのまま、ぼんやりと古本の表紙を眺めている──。

「──まぁ、そんなにがっかりしなさんな。その言葉については、覚えがないからね。残念ながら、協力はできないよ…──。でも、ヨウを助けることなら──、話は別だよ。」

「────えっ…?」

「ヨウは、アルカナ…『太陽』の能力が弱まってしまったから、奇病になったんじゃないかって話だったね。なら、その弱まった力を強めてあげればいい。──いいかい? 私のアルカナ『女帝』の能力はね、簡単に言ってしまうと、『育む力』だ。『成長・拡大・発展』だよ。だからね、ヨウの中に少しでもアルカナの能力が残っているなら、それを高めて、広げることはできるってことさ。」

「──ただし、弱っている身体で、アルカナの能力だけ高めても負担が増すだけだ──。だから、ミクスにも協力してもらおう。あの子に、弱った身体を癒す薬を作ってもらって、その中に、私の力も込める。そうすれば──、うまくいくんじゃないかね?」

 そう言いながら、マザーは、再び、ミクスと視線を交わす。

「そうね~。材料さえあれば、どんな薬でも作ってあげるわよ、ヒカリちゃん。」

 マザーの言葉を受け、頷きながら答えるミクス。

「だ、そうだよ? ──どうするね、ヒカリ? やってみるかい──?」

「は、はい! ──マザー、ミクスさん、どうか、お願いします!」



「──さて、そうと決まれば、当然、おまえたちにも手伝ってもらうよ。」

「はい! もちろんです。」
「ああ──。」

「やってもらいたいのは、薬の材料を集めてくることだ。この薬を作るのに、特に外せない重要な草花を、それぞれ集めてきてもらおうかねぇ。」

「まずは、ヒカリ。──おまえには、『憂いの沼』から『万象の睡蓮』を採ってきてもらおう。これは、時間帯によって色を変える特性を持つ睡蓮だ。しかし、他のものとは、明らかに違う『輝き』を持つものだからね。よく観察して見極めてくるんだよ。」

「はい、マザー。──頑張ります。」

「それから、フウタ。──おまえは、『惑いの木立』の先にある滝の下から、『タイガークロー』を採っておいで。これは、その名の通り、トラ模様が特徴的だから、すぐに分かるだろう。ただし、採取したら、できるだけ早く戻ってくるんだ。とてもエネルギーが強い草なんだが、採取した瞬間から、急激に力が抜けていく。鮮度が命だからね。」 

「──わかった。」

「いいかい──二人とも。最後まで、自分を信じて。──アルカナの能力も、フルに生かしてくるんだ!」

 マザーの言葉に、しっかりと頷くヒカリ。

 しかし、その一方で、フウタは戸惑っていた。さっきから、話はすんなりと進んでいるけどさ、何か、お忘れではありませんか?と──。

「い、いや、マザー。ちょっと待ってよ。ヒカリは、アルカナの能力があるけどさ。俺は──…、」

「ああ、そうだったね。──フウタ、おまえの能力について、聞いていなかったねぇ? で、結局、おまえの能力はどんなもんなんだい? 私的には、NO.0 の『愚者』あたりだと思っているけどね──。」

 さも、当然のように言ってくるマザーに、フウタは、困惑する。
しかし、あまりにも的外れな発言に、若干の笑いが込み上げてくる。

「は?? ──いや、俺には、アルカナの能力なんてないよ? 知ってるだろ──?」

まったく、どういう冗談だよ──。
軽く笑みを浮かべながら、そう答えるフウタだったが──。

「──…えっ? なんだって??」

 真顔で驚き、そのまま固まっているマザーの予想外の反応に、え?──と混乱する。

 マザーは、腑に落ちない顔で、フウタをまじまじと見つめていたが、ハッと我に返ると、「ミクス!」と一声かける。

そして、カウチから立ち上がると、フウタに近づき、ぐいっと胸ぐらを掴んだ。

 「あれだね。きっと、自分で見つけられない場所に、印があるんだろう。どれ、私とミクスに任せな。ちゃんと探してあげるから──…。」

とかなんとか言いながら、服を脱がそうとしてる? ていうか、ミク姉も、なんで楽しそうにしてるんだよ!

「ちょ、ちょちょちょちょっと、何してんだよ! やめろ、服を脱がすな! 印なんて、ないよ! どこにもないって!」

 フウタは、二人の手を夢中で引き剥がすと、乱れた服を整えながら、慌てて、数歩後ろに下がる。
ここには、ヒカリもいるっていうのに、何してくれてんだ、この二人は!

「まさか──、本当に能力が顕現してないっていうのかい?」

「そうだって、言ってるだろ。俺にアルカナの能力はないし、探したって、印もないって!」

「ふーむ。──おかしいねぇ。そんなはずはないんだが…──。」

 マザーは、独り言のようにそう呟くと、考え込んでしまった。マザーの中では、何かしらの確証のようなものがあったんだろうけど、こればかりは仕方ない。ないものはないんだから。

 マザーも結局は、同じ結論に至ったのだろう。ふぅとため息をつくと、

「それじゃ、おまえには、これを渡しておくよ。何かあったときに、対処する力はあった方がいいだろうからね。」

 手首から、身につけていた籐のバングルを外し、フウタに手渡す。

「これには、私の『育む力』が込められているからね。まぁ、使う機会はないだろうが、お守り代わりに持っていればいいさ。」

「ああ、ありがとう、マザー。」

 さらに、

──あっ、それなら…

そんな声が聞こえて、振り返ると、ヒカリが、首元のネックレスを軽く握りながら、何か唱えている。そして、淡い光を醸し出しているネックレスを、首元から外すとフウタに差し出した。

「これも、持っていってください。私の癒しの力を込めました。」

「おお─、助かるよ。ヒカリ。」

「──うむ。このくらいサポートがあれば大丈夫だとは思うが…。後で、もう一つ、送ることにするかねぇ。間に合うように祈っといてくれ。」

 マザーは、ニヤリと笑うと、「さ、こっちだよ。」と、二人についてくるように促した。


 マザーの部屋を出て、正面入口にあるロビーへ戻り、そこから逆方向に伸びる廊下を進んでいくと、大きな扉に突き当たる。
そういえば、ここの扉は、いつも鍵がかかっていて、中に入れなかったんだよなぁ。どうにか入ってやろうと、何度かチャレンジしてみたことはあるんだけど…。
その度に、マザーに見つかって、こっぴどく叱られたんだよな──。

 マザーが、扉の鍵を開けて、中へと入っていく。初めて入ったその扉の先には、螺旋状の階段があり、下へ下へと続いている。部屋ではなかったことに驚きつつ、マザーの後をついて階段を降りていくと、左右にいくつかの扉が並ぶ廊下にたどり着いた。
 
 一見、何の変哲もない場所だけど…──なんだ、ここは。

 一つの扉の前で、マザーは立ち止まると、ヒカリに、告げる。

「さぁ、ヒカリ。おまえは、この扉からだよ。──開けてごらん。」

「はい…─。」

 ヒカリは、扉の前に進み出ると、ドアノブに手をかける。ふぅ──と深く一息吐くと、おもむろに扉を開いた。
 
 扉を開けた瞬間、湿度を含んだ、むわっとした風が吹き抜け、草木の香りを運んでくる。扉の先の高い木々に囲まれた森は、一見、孤児院からちょっと外に出ただけ──くらいの、なんてことない場所のように思わせる。しかし、この空気感、光、風、どれをとっても、この周辺の森では感じたことがないものだ。

「マザー…、ここって一体…。」

「ふふ。──ここは、私が、作り出して、管理している空間の一つとでも言っておこうかねぇ。こうやって、自然を管理するのも、私の仕事の一つであり──、ってまぁ、詳しい話は、また今度だ──。」

「──それじゃぁ、ヒカリ。『憂いの沼』にはここから行けるからね。採ってきてほしいのは、『万象の睡蓮』だ。いいね。気をつけて行くんだよ。」

「ヒカリ──、気をつけろよ。無理すんなよ。」

 ヒカリは、マザーとフウタの言葉にこくりとうなづく。そして、扉の中に足を踏み入れていった──。扉を通り抜けると、ヒカリの姿は見えなくなり、扉は勝手に閉じていく。それを見届けると、マザーは、違う扉の前まで進み、今度はフウタを手招く。

「さて、フウタ──、おまえはこっちだよ。いいかい、お前に頼みたいのは──、」

「──滝の下にある、『タイガークロー』 鮮度が命、だろ?」

 フウタの返事に、マザーはふっと笑う。
 

「そうだよ。──気をつけていっておいで。」

「ああ、任せとけって。」

 フウタは、ニヤリと笑うと、勢いよく扉を開き、飛び込んでいった──。




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