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カノンアート 第八話

〈赤色の憂い 前半〉

段々と地面が近づいてきた。空気の流れがゆっくりになるのを感じながら、海岸沿いにある白く大きい町の、すぐ近くにカノンたちは降り立った。
「はあ。やっとついたね。毎日飛んでばかりで疲れた。」
「やっと高所から逃れられる…」
睡眠や食事のために何度か降り立つことはあったが、基本的に彼女たちは空を飛んで、とにかく早く着くように願いながら寒い中を耐えていた。影に遭遇することも多かったが、大方一発で倒せるようになっていた。
今荷物の中に潜んでいる二冊の本も、鳥と出会ってからすでに2週間ほど開かれていない。カノンは密かにこの町で読み進め、何かを見つけることを企んでいた。だんだんと暖かくなってきて、季節の変化を感じる。
「5日ほど、この町に滞在させてもらおうか。俺たちも少し、休憩と準備が必要だろう。」
さくさくと、細かい粒があたり一面に見える森の中を歩く。遠くから、潮の香りが漂ってくる。
「それにしても、よく、ここまで育つなぁ。上から見ていても、海岸との高さが全然違ってみえた。」
カノンは上を見上げる。下の方に枝がない木たちは、天に向かい手を広げるようにして足元の光を遮り、硬質の幹をどこまでも伸ばしていた。
「わ、もう高いとこの話しないで」
マーテが耳を塞ぐ。カノンは腕の宝石を見て身がさわめくのを感じ、あることを思い出した。
「ねえマーテ、もしかしてそろそろ…」
「カノン、道見つけたぞ。」
「マーテ、ちょっと。」
「え。」
マーテが道に足を踏み入れると、そこから呪文が湧き出るように頭に浮かんできた。上を見上げると、隙間から覗く神淵の光が、燃え立つように道を照らしている。
「ああ、そうか。今一年に一度の神の祭りの時、なんだ。」
ドンド、ドンドと、遠くで何かが打たれる音が聞こえる。町の人たちが、祭りを行なっているようだった。
神には、鋭星で年に一度顔を合わせるという会議がある。どこでしているかは誰も知らないし、直接教えてくれるわけじゃない。けれど、その時は魔法の力が活発になるので、それぞれが身で感じ、それが人間にとっても一年に一度の祭りとなって皆がお祝いしようとするのだ。
二人は顔を見合わせて、楽しそうにかけていった。スカイと荷物は後から急いで追って行った。

「すみません。この町に宿はありますか?」
「おや、嬢ちゃん達は旅をしているのかい?珍しいね。貿易をするためにこの町にはいくつか宿を置いているよ。まあ、最近はそれも滅多にないからきっと空いているはず…」
カノンは早速、学んだ言葉を使って、道の先にいた、畑仕事をしている人に話しかけた。
「いや、それより今って神の祭りの時なんですよね!祭りどこでやっているんですかっ!」
だがマーテが勢い込んで邪魔してくる。まず宿が最優先だろうとカノンは思った。
「ああ。この道をまっすぐ行って、右に曲がれば神社があるはずだ。あそこに木が生えているだろう?今、沢山の建物があると思うが、これを避けていくと、光った緑の線が引かれているだろう。そこからが、境内になるよ。」
その人は笑って手を払い、こちらに微笑みを浮かべた。
「あたしはダイズっていう名だよ。今日は当番だったから仕事をしていたけれど、明日からは祭りに参加するよ。だから今日は休んでいって、明日一緒に行かないか?嬢ちゃん達はなんていうんだい?」
「私はカノンです。でこっちがマーテ。この鳥はスカイです。」
「そうか。この子は中には入れられないから、うちに置いていくかい?」
そう言って指を指す。カノンはびっくりして、マーテの方をみた。マーテは目を丸くしながら首を横に振る。
「そんな負担かけることできませんよ!」
「ああ、いやいや、鳥のスカイの方だよ。あたしはこれでも学者やってんだ。生物を育てることぐらいなんてことないよ。」
カノンは後ろを振り向いた。いつのまにかスカイが、胸を張るように立っていた。
「じゃあ…よろしくお願いします…」

どんなに平和で笑顔であっても、カノンは心のどこかでいつも、お告げのことを考えていた。今見ている人の全ての命、その美しさを己は奪うのか。宿を紹介される時も、町の人と話していても、スパイスの本を読んでいても、〈星〉を割るという言葉が頭の中にこびりつき、カノンにささやいた。人の生死はきっかけがあるとすぐに片方に傾こうとする。お告げのことを口に出さず、ただされるがままに世界の深さを学んでいく。

「今日こそ祭りに行くぞ!」
マーテが普段の無表情とは打って変わり、張り切って支度をしている。カノンは手に持っていた蒼い花のような形をしたハーブを綺麗に分けた。
「これはお守りみたいなハーブだよ。宿の人に後でこれで代わりにしてもらおうと思うんだけど、このバッグはすごいんだよね。この中でハーブが育っているんだよ!新鮮な採れたて」
「一体どういう仕組みなんだろうな。まあ、魔法を確かめる魔法なんて存在しないからわからないけれど」
「で、この半分はマーテと私で分けておこうと思う。邪気、みたいなものを祓ってくれるらしいからね。」
「ええ?わかったよ。だけどどう持てばいいか…あっ。」
カノンは頷いて、決まったとばかりに魔法を唱えた。すぐに表面が硬質になり、小さくなって手の中に収まる。それをいつのまにか作った、何かを入れる場所のある四角いペンダントの先に入れて、首にかけた。シンプルながらおしゃれなペンダントが、暖かそうな長袖の紺色に似合う。
「そっかー。じゃこんな感じで」
悔しそうに呟き、マーテが何やら舞い始めると、ハーブが空を舞い、一流のアートのように輪っかになって並んだ。露わになる手首の周りに鎖のようにくっついたそれはまるで時を示すようなブレスレットになっていた。葉の先が薄く赤みがかっている。
「なんで赤なんだ」
「今すごく元気だもんね」
ふふと笑い、二人は外に出た。

「凄い。迫力が半端ない…」
「これも魔法なんだ。」
二人は広場に、ダイズに連れられて来ていた。そこには巨大な龍が空を舞い、その鱗に神淵の光を受けてキラキラと輝いている。沢山の人が見に来る中、屋台も沢山開いていた。
「アートの町はもっと凄いんじゃないのかい?この星で1番の町じゃないか。」
「いやいや、ここは遥か昔からの伝統があるんですよね。昔の…ええと、王家、でしたっけ?の人たちが、今も開いているんですよね。うちのところは昔からただの町でしたし、この時期になると皆こもって一心不乱にアートを作るんです。それで、ただ最終的に1番よかったアートを町中に飾っていくだけなので。」
「そうかい。うちはね、みんなで作るんだよ。小さい頃から練習するんだ。糸をまず、大きな建物の中にばら撒く。子供達は自由にそれを操って、みんなで一つの形を作るんだよ。それを、昔は王国、今はこの町、それで2000年ぐらいも、遡ればもっと続けて来たんだ。この龍もテーマは決めたが、みんな自由に作ってる。ほらよく見てごらん。」
そう言って何もない空間を指さす。目を凝らすと時折、水飛沫が上がっている。ずっと見ていると、幻影系の魔法にかかっていくように、沢山の人の気持ちが込められているのがわかる。
そうしていると、マーテが耐えきれないように呟く。
「屋台、いこ」
そう、二人はご飯を食べていない。

「ああ、あれ食べたいな。」
「兄ちゃん、これは一つ儂にとって必要なものと交換だよ。」
マーテはうーんと唸った。そして手を打つ。
「こんなものでどうですか。」
取り出したのは、鞄の中に入っていた一食分ほどの小さいハーブ…コショーだった。
「これはまさか、コショーか!ありがとよ。絆を繋いだ片割れにちょうど、美味くて珍しい料理を食わせたかったんだ。じゃあ、そっちの嬢ちゃんの分もどうぞ。」
「おじさん、太っ腹だね。」
マーテは気取った仕草でカノンに手に入った食料を運ぶ。それは、世にも珍しいこの町だけの食べ物。端はふわふわと雲のように、中は濃い味付けの長いパスタ。端にはぷっくりと丸いものに、濃厚なソースと程よくしょっぱい白いソースがかかり、食欲をそそりたてる。おまけで、薄くケム…白ご飯を潰して焼いたものに、少し魚の匂いがする新鮮なたれがかかり、暗い緑の薄い何かが降りかかっているもの。とても大きなお皿に、6本の枝を滑らかに切ったものが置いてある。
「うわぁ、初めて見た。屋台も、なんだかよく考えたら初めてだ。この町は凄いんだね。」
「普段もこれだけじゃないけどね。」
そこらを歩いていたダイズが口を挟む。マーテは微笑んで、お皿を差し出した。
「3人で食べよう。というか、ここって沢山椅子があって凄いな?」
「一大イベントだからねぇ。」
すでに二人の手はソワソワしている。仕方がない、朝からご飯を食べていないのだ。だが、食べ方がわからない。
「食べないのかい?」
「ええと、その…」
「仕方ないな、あたしが最初に食べるよ。」
さも嬉しそうに、ダイズは木を2本手にする。そして何事もないようによくわからない持ち方をして、食べ始めようとした。
「ちょっと待ったー!!あの、ダイズさん、私たちその木の使い方知らないんです!まず教えてくれないと食べちゃいけません!!朝ごはん食べたダイズさんが食べてない私たちよりも先に食べるのは不公平でぇす!!」
カノンが急かす空腹からか、大声で叫んだ。周りの人がチラと珍しそうに見て、談笑に戻っていく。
「ああああ、わかったよ。これは、チョップスティックって言うんだ。あたしらはね、いろんな食べ物を食べるんだよ。だから普段使うフォークやナイフ、スプーン以外の使い方も心得ているのさ。チョップスティック、さっさと教えるから早く持ってみな!」
空腹からか、ダイズも荒い言葉遣いになっているようだ。3人はがやがやとチョップスティックの持ち方を議論した。
「まあ、大体こんな感じかな。いただきます」
カノンはパスタのようなものをすくい上げた。だがチョップスティックはその横を通って曲がってしまう。
カノンは睨みつけるような勢いで顔を近づけ、慎重にすくって口に運ぶ。その瞬間昇天したかのように顔を綻ばせた。
「こんな味初めて!あのね、この茶色いソースがこのパスタみたいなのに絡みついて、こう…舌をぴりっと刺激してくるの。それで、ええと…」
もう一度口に運ぶ。口がどうしようもなく笑みの形になる。
「美味しい!うまい!二人も早く食べなよ!」
「いやあのカノン、カノンがあの…お皿を独占しているんだよな」
手首についたブレスレットを落ち着きなく弄びながらマーテが言う。カノンは腕の中に大きいお皿を抱え込み、料理を平らげるような勢いで口に運んでいた。
「あ、ごめん。この椅子に置くね」
そっと持ち上げると、カノンは名残惜しそうに食べ物を見た。ダイズが思わず苦笑し、口を開く。
「じゃあ改めて…いただきます!」
祭りの日々はあっという間に過ぎていくようだった。本もいくつか手に入れることが出来た。でもどこかでカノンは不安を感じた。最近影が出ていない。あれの行動の理由も正体もわからないのに、安心できない。

カノンのその不安が具現化したかのように次の日、影がぼやっと出ていた。町の人たちがなんだあれと怪しむ目で眺めている。何もしないでただ端に座っているかのような…そんな影に、カノンはどこか、影の存在する理由がわかるような気がした。放っておく訳には行かないから、マーテを叩き起こすようにして外に連れ出した。
「闇の魔法よ、力を!暗闇、現世の形を、今、闇に。」
マーテが唱えると、影は薄れて消えていった。だがそれがトリガーになったように、沢山の影が浮かび上がり…急に敵意をむき出しにして町の人に襲いかかっていった。よく見るとその先は、見た目は若いが長く生きているのであろう人ばかりだ。カノンとマーテは焦った。もし失敗して魔法に町の人を巻き込んだら。それは間違いなく、『ある人間の消滅』を意味していた。
「皆さん、その影は闇魔法、暗闇系の魔法が効きます!襲われそうな人は、すぐに対象を絞って唱えてください!すぐにです!」
マーテが大声で、走りながら叫ぶ。襲われる人たちは怪我をしながら怯えた目で影を祓った。
神淵の光がギラリと照りつける。次の瞬間、光が爆発した。
「うわっ!」
影が静かに消えていく。光の大規模魔法を使った張本人…カノンは、肩で息をしていた。その目は空を見ていて、何かに憑かれたような。そんな様にも見えた。
カノンは手をつき、そして気を失った。

「影。君たちが呼び寄せたなどというのはないだろうが、少し困ったねぇ。しかもカノンて子はなんと、あの大規模魔法を使ったそうじゃないか。なんで使えるのかい?」
「僕とカノンはお告げを貰ったのです。きっとそのためで。」
「どんな、お告げだったんだい?」
優しい目でマーテを射るその老婆は、昔から祭りを取り仕切っている者であった。
「それは…」
マーテは俯いて目を逸らす。
「言っておくれ。」
「『カノンはその最後の鍵となり、〈星〉を割る運命を背負う。そして能を与えられたマーテは、最後の選択を行うだろう。』」
カノンは床の違和感に目が覚めた。くるくると渦巻く空気はまるで水のようで、そこには龍がいたかのよう。地面が絶え間なくうねっているそこは、昔王らが住んでいた宮殿の中、祭りの場であった。
「〈星〉を割る…ね。君たちは面白いことを告げられたね。」
「え?」
「比喩かもしれない。神様たちは、暗に告げることを好むからねぇ。何かを完成させる。人類の最終目標は『私たちでさえ感動してしまうような作品を作ること』と、その昔言われたんでしょう。ねえ、カノンちゃん」
「はい?え、カノン、起きてるの。」
カノンは目を大きく開け、ゆっくりと立ち上がった。そして、老婆に向かい勢いよく、大きく頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。誰か、被害者などは出ていたのですか。」
「ああ…幸い、怪我人だけで済んだよ。カノンちゃんの大規模魔法はねぇ、まだいい方向に働くものだったからね。だけれど、もっと使うのを謹んだ方が、いいんじゃないかい?」
老婆の目が細くなる。
「わかっています。けれど、大体の大規模魔法を唱える時はほとんど意識がなくて、知らない言葉が出てくることもあるんです。私の意思でとめられたら、周りにも迷惑をかけないと思うのに。」
「知らない言葉か。確か…この世界の記録されてきた中でのちょうど中頃、終わることのなき戦争に神、特に火の神ファソがついに怒りを表し、戦争に関する魔法が使えなくなったのだったね。大規模魔法は全て戦争の為に編み出されたものだ。それ以外の用途は沢山あったけれど、結局のところ、戦争が徹底的に出来ないようにしたのだろう?だがあんたは、カノンちゃんはねぇ、その元ともなりかねないのだよ。」
急激に部屋の温度が下がった。睨みつけるような視線に、カノンは怯む。
「そうだねぇ、カノンちゃん、あたしと約束をしないかい。あたしの人生はどんな結末になってもいい。だけれど、それで、星を割るためだからと戦争を、一度も起こさないでおくれ。わかったね?」
「…はい。」
老婆は空中から紙を取り出す。そして思い出したように口を開く。
「そうだ、あの影はきっと君たちの何かに干渉を受けていると思うんだ。この町は長齢の人が多い。一つだけ伝えておくが、影が狙っていたのは特にその中でもとても長く生きている人たちだった。なんでだろうねぇ。」
カノンは契約書にサインした。

外に出て、もう出なければと準備をしていたカノンは、ふと手を止めて、手首に光りツヤツヤとした赤い糸を触りながら、マーテに聞いた。
「あのおばあさんは、いつから私たちがいたのだって気づいていたのかな。」
「旅行者は珍しい。すでに宿をとる頃には知っていたんだろうね。」
二人は大きく伸びをして、茶の陰影が美しく細工のされたドアを開けた。