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僕の細道(本編)14 立石寺

山形県立石寺 五大堂

何年ぶりだろう? また訪れることが出来た。

うれしい。

深々とそそり立つ杉木立の中、千段を超える石段を息を切らしながら黙々と登る

木立の中は直射日光を遮ってはいるものの
外の気温は30度を優に超えている

さすがに一気に五大堂までは登れず一休みすると全身から汗が一気に吹き出す

顔を真っ赤にして座り込んでいる人も何人か見かける
正直キツイ、年齢を観じる

が、だからこそ見出せる価値があることもわかってきた。

やっとの思いでたどり着き
岩山の山腹に乗り出して建つ五大堂に立つ

体の中を風が吹き抜けて行く

あ~っ、気持ちいい~!

無意識の心の底からの叫びだ、思わず声が出る
私だけではない訪れる者皆、口々にセリフは同じだ。

本当に気持ちがいい

川風のヒヤッとした涼しさとは違う、当然、冷房の冷たいではない、

汗で濡れた体を30度の風が洗い流してくれる
そしてやがて風が身体の中を通り抜けて行く

ここから遠望出来る山々の風景を眺めていると
風と一緒に溶け込んで風景の中に飛び出してしまいそうです

なんなんだろうこの感覚は?
穏やかで優しい感動がある。
眼下に人々の営みが暮らしが見えます。

呼吸が整い始めた頃、やっと蝉の声に気が付く

『閑さや 岩にしみ入 蝉の声』芭蕉

名句中の名句

オイラはこの句にいつも宇宙的な広がりを感じる

前の句『夏草や 兵どもが 夢の跡』 では

立体的現実の風景に時間が加わった四次元的空間を感じ

この句では更に矛盾を含みながら展開する哲学的宇宙感、異次元を感じます。

それはこの場に立つと一層増幅されます。

結構長い時間佇んでいましたがこの場去り難し
なかなか身体が帰ろうとしません

二度目の訪問は前回とは違うそれ以上の感動を与えてくれた

果たしてもう一度訪れることがあるのだろうか?

『一期一会』

年を重ねて初めて意味がわかる言葉の一つですね

10年後もし仮に訪れたとしても
この石段を登る体力があるかもわからない

遠き友人に会う。これが最後かも。。。

若い人は淋しいことを言うなと慰めるだろう
だがそれは後ろ向きの発想ではない

だからこそ、今の出会いを、今の感動を
大切に受け止めておきたいと思えるようになる

こんな駄文をダラダラ書いているのもその現れかも知れない

果たしてこの場にもう一度来るか来ないかはわからない。
でももう来なくてもいいようにしっかり心に留めおきたい

人生は後半戦の方が味わい深く面白いのだ

お若い人は、ご苦労さん、頑張って!(笑)

『山寺に またふたたびの 蝉聞かむ』 無精


⚠️この日記は10年前に書いたモノです。

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