僕の細道(本編)⑦ 白川の関
白河の関に
やっとたどり着きました。
日記は結構な枚数ですが、実はたったの二日しか経っていない。
ここまでは芭蕉一行にとっては禊(みそぎ)旅、ある意味、肩慣らしでここからが本番でしょう。
古来より「白河の関」は有名な歌枕
多くの歌が残されている
『都おば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関』 能因法師
他、平兼盛、源頼政、藤原季道、etc
ちなみに能因法師はこの地を訪れていません。
歌枕は元々は想像力で古人が作り上げていった場所
平安時代の貴族がわざわざの宮中の御簾の奥から当時は蝦夷と恐れられていた陸奥へ行ったわけではない
伝え聞いた景勝の地を創造力で作り上げていったもの
よって、どこにあるかもわからない
また、初めから存在しない場所もあるそうです。
だから、「枕」って言うわけね。
夢に見て、、、なるほど
長年の疑問が解ける。
当時は白河の関を越えて始めて陸奥(未知の国)に足を踏み入れたことなり衣装まで改めたそうです。
でっ、同行の曽良が詠んだのが
『卯の花を かざしに関の 晴着かな』 曽良
軽装の旅支度で晴着を持ち合わせておらず卯の花をかざして略とし関を越えた。
っというわけだ。
オイラも気を引き締めて緑のキャップから
先日、近所の日曜バザーで1500円で買った麦わら帽子に変える。???
『いざ行かん 気を引き締めて 麦わら帽子』 無精
は~っ? 意味不明だが 季語は入ってる。 許して、、、(笑)
⚠️この日記は10年前に書いたモノです
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?