#6 ソラマチアカペラストリート2019の出演を終えて
みなさま、こんばんは
Emiriです
suisaiでは、主に2ndを担当しております
今回この、「ソラマチアカペラストリート2019の出演を終えて」というテーマのもと、suisaiのブログをはじめて担当させていただきました
まずは、イベントに携わってくださっていたスタッフのみなさまに感謝の気持ちを伝えたいと思います
本当にありがとうございました
そしてお疲れ様でした
また、当日寒い中、suisaiの演奏を聴いてくださったみなさまも、本当にありがとうございました
あの日からあっという間に1週間が経ってしまいましたが、つらつらと今の気持ちを書いてみようと思います
私はソラマチアカペラストリートというイベントが大好きです
毎年、アカペラをきっかけにあれだけ多くの人が集まるのが感動的で、「みんなアカペラが好きなんだなぁ」と思ったり、「今年もずっとアカペラしてたなぁ」としみじみしたり、他のイベントとは一味違う空気感を楽しんでいます
社会人になってからは特に、遠くへ離れてしまった仲間も含め、再会するきっかけをくれたりもします
また、普段はアカペラになじみの無い方々にも出会えたり、リスナーの方々との距離感の近さも醍醐味で、毎年「好き」が積もっていくイベントだと思っています
そんな大好きなイベントなのですが、
今年はsuisaiで、ファイナルステージ ラストの演奏をさせていただきました
包み隠さずに言ってしまうと、私自身の頭からは、そこを「目指す」という意識が抜け落ちており、その知らせを受けたときは、嬉しい気持ち反面、そわそわしました
それこそ、私がまだ学生のころから、そのステージは変わらずあるわけですが、あまりにもキラキラしすぎていたのか、心のどこかで「目指すのがおこがましいほど遠い場所」だと、意図的に夢をみないようにしていたのかもしれません
毎年少し遠くから、ソラマチひろばの中心に集まった「光」と、その周りに揺れるたくさんの「影」を眺めているのが精一杯でした
今回のステージは、そんな私にとって、「歌う」こととの向き合いかたの変化を振り返るきっかけになったとも思っています
正直、「当日のこと」というよりも、「これまでのこと」を振り返る、という切り口になってしまい、みなさまを退屈させてしまう部分もあるかもしれませんが、ご容赦ください
もともと私は歌うのが好きで、大学1年生の夏にアカペラを始めました。
手探りではありましたが、「積極的に外に出ようとする」活動に精を出し、ありがたいことにライブ出演の機会をいただいたり、時には大会を目指したりと、「一生懸命」に打ち込んでいました。
そんな中で、無意識のうちに「歌は自分以外のだれかによって評価されるもの」というか、
「上手でなければならないもの」
「失敗してはいけないもの」
といった考えがうまれていったように思います
今思えば仕方のないことだったのかもしれませんが、もともと緊張しやすかった私はもっともっと緊張しいになり、いつしかステージという場所が、自分の弱さと対面する場所にすらなっていました
なにげなくでも「ソラマチのファイナルステージに立ちたい」という夢を持てなかったのも、「歌うことに怯える自分と、そんな自分からは程遠い人たち」という線引きを設けることで、弱い自分を弱いままに支配し、うっかりうまれてしまいそうになる「野心」を抑えつけるためだったのかもしれません
しかし、社会人になりsuisaiでの活動を始めてからは、次第にその支配から解放されていったように思います
自分のことでありながら、その理由の全てを把握することはできていないのですが、ひとつ大きなものとして、suisaiというバンドの中で活動するにあたって、「外からの見られかた」ではなく「自分(たち)がどうでありたいか」を大切にしてきたことがあると思っています
suisaiでは、バンドがうまれてからこれまでずっと、メンバーそれぞれの「こうありたい」を出し合って、やってきました
その時間の中で、気づけば、「歌は自分以外のだれかによって評価されるもの」という考えはどこかへ消えていっていました
きっと、自分を苦しめてきたその考えの根本に、
「目の前のお客さんたちに、こう思ってもらえるかもしれない」という期待があったこと、
さらには、
「そこをコントロールするすべがどこかに存在しているかもしれない」という気持ちすらあったことを、どこかで自覚したのだと思います
その気づきを得てからは、ステージに立つときの心持ちが大きく変わりました
歌は、自分の身体を飛び出した瞬間から、自分にすら「わかりきれない」ものへと変わってしまいます
(と、私は思っています)
どこまで、どんなふうに届いたのか把握することは到底難しく、その行き先は目の前のお客さんかもしれないし、あるいはその場にはいない人かもしれない
もっというと、もうこの世には存在にしないだれかや、時間を超えた先にいるだれかにも届いているかもしれない
その「わかりきれない」ということを受け入れてからは、少なくとも私個人は「どんなことをしたら、だれに、なにを思ってもらえるか」を考えたり、そのときによって異なる「いい」の基準を憶測し、曖昧なそれらに応えようとすることをやめました
ただ、自分(たち)の思う「いいもの」をブレずに突き詰めることで歌に力を持たせ、その可能性を「信じる」というよりは、「自分の身体を離れてからもその力によって、どこまでも届いていくように」と願いながら送り出すことに集中するようになりました
あの日、「どうか聞こえて」と送り出した歌はどこに行ったのか
送り出した、よりも、打ち上げた、に近かった気もします
それは自分でも予想のつかないところへ行きついたかもしれないし、1週間経った今もどこかで旅を続けているかもしれません
あるいは、あのステージを夢みることすらできなかったいつだかの自分に、時間を超えて会いに行っているかもしれません
会いに行ってくれていたらいいな、と思います
今年もまた、ソラマチで素敵な思い出ができました
一生忘れたくない時間と景色をありがとうございました
これからも、私たちが送り出した歌がみなさんのところへたどり着くように、はたまた旅を続けてくれるように、そう願いながら歌いたいと思います
Emiri
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