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#3「みえないものを、えがくように、うたう」

こんばんは。2gouです。


先日の初投稿、読んでくださり、またいいねを下さった皆様、ありがとうございました。


今回は、僕たちsuisaiのグループとしてのテーマである

「みえないものを、えがくように、うたう」

について、綴っていきたいと思います。


「みえないものを、えがくように、うたう」

どんなものが思い浮かびますか。


ライブでも、ステージのはじめに挨拶がわりによくお伝えしていることです。

このテーマに向かって、楽曲制作や演奏、それ以外の面でも、メンバー全員で知恵を出し合いながら、活動に取り組んでいます。


どうしてこのテーマを定めたのか、

理由は実は大小いくつもあるのですが、今回ここでは大きくふたつ取り上げて書いていきたいと思います。


ひとつ目は、

「suisaiの活動を通して、単にコンテンポラリー・アカペラの音楽を聴く、というもの以上の体験を目指し、それらを少しでも多くの人と共有したい」

と考えたためです。


…なんだか、こうして言葉にしてみると、すごく大それたことを言っているように聞えますね、ちょっと怖いですね笑


たとえば、

私たちの五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)についてお話しすると、今でこそそれらはそれぞれの役割を担っていますが、特に幼い頃は互いに未分化で、それぞれの感覚が連動して、物事の知覚を行って「しまう」という、そんな話があります。


それこそ、音を聴くと色を思い浮かべたり、香りを嗅ぐと味がするような気がしたりなど、

どこからどこまでがその感覚の領域なのか、さながら塗り絵の色が滲んではみ出すように、境界が曖昧になる、というイメージです。


ただ、それは幼い子どもの頃の話だけではない、と思います。

成長して大人になっても、感覚同士が呼び合うことはあると思いますし、

また、成長するほどに、これまでに積み重なっていった「記憶」の引き金を、音楽が引く、ということもあるはずです。


うたが、記憶の中の風景や、色やかたちや、味や、匂いを呼び起こす。ひいては「記憶」と名付けられるにも至らないような懐かしさにたどり着く。

そんな瞬間があると信じています。

聴いて下さる方それぞれのそんな瞬間に、僕たちが携われたら。

そんな思いを持っています。


ふたつ目は、

前述した「体験」を通して、演奏する僕たちも含めた、

「その場にいる一人ひとりが『自分自身の心』を探し、しずかに話をする時間を届けたい」

と考えたためです。


心、って、いったいなんでしょう。

どこにあるのでしょう。

どんな色をして、どんな形をしているのでしょう。


僕は心そのものを見たことはありませんが、心が揺れる瞬間のことを、きっと誰しも経験したことがあるはずです。

(その前提のもと、お話しするしかないのですが)


自分の心が、どんなとき、何に対して揺れるのか、それぞれに異なるその瞬間をつぶさに集めていけば、縁取りをするように、もしかしたら浮かび上がってくるかもしれない。

そして、そうして自分の心を探すことで、苦しみや哀しみの中にあるとき、自分から救いに向かって手を伸べられるようになっていくかもしれない。

たとえ、目に映るものすべてを拒みたくなるときにも、

うたなら、あるいは。


そんなことを考えています。

そして僕たちのうたが、その営みの拠り所になれたら。

少なくとも今の僕自身にとって、これ以上のことはない。


そんな意味で言えば、単にsuisaiのうたを「聴いてほしい」ということではなく、

かえって僕自身が「聴きたい」のかもしれません。


このテーマのもと、今後はさらに様々なことを行なっていけたらと思っています(思ってはいます)。


いろいろなtermがありますよね。

見る/聴く/色/形/水/風景/感覚/描く/手/声/光/…

僕たちが未だ気付いていない、楽しそうなこと、面白そうなこともあるかもしれない。

いや、きっとあるはずです。たくさん。数え切れないほど。


「こんなのどう?」

「こういうのやってほしい」

「てかやってみたい」

ということがあったら、ほんとに、ぜひ教えてください。


前にもお伝えしたように、

誰もが描ける。

もう絵筆は、手の中にあるから。


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でも、皆様の声を待っています。


それでは。

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