#2 いま、なにがみえますか。
こんばんは。
suisaiの「2gou」です。
主に3rd、テナーからアルトの音域を担当しています。
また、演奏以外ではライブ中のMC、書き下ろし曲の制作や方針等の企画、水彩画などのアートワーク制作等を行なっています。
まずは、suisaiのブログにお越しくださり、こうして記事を読んでくださり、本当にありがとうございます。
初投稿のご挨拶でもお伝えしたとおり、このブログでは
・各種告知や報告
などに加え、
・活動の背景やプロセス
・楽曲制作、練習などのノウハウ
・その他、TwitterやWebsiteなどでは伝えきれない、文章を通して皆様にお伝えしたいこと
を射程に、従来よりも動きのあるものとして綴っていこう、と考えています。
各メンバーがそれぞれに語ったり、読者の皆様との双方向性のあるメディアになっていければ、とも考えています。
ただ、そんな思惑もありながら、
今回お伝えしようとしていることは、ともするとその思惑にある種逆行するようなことかも知れません。
僕自身でさえ、揺らぎながら書こうとしています。
ちゃんと伝えられるだろうか、
不安もありますが、もしよければ、最後までお付き合いください。
ブログでの発信を通して、僕たちsuisaiを知ってもらうこと、
それは同時に僕たちが、自己規定によって自らを殺していく営為でもあり得る。
そんな矛盾した懸念を抱いて、いまこの文章を書いています。
断っておかなければならないのは、
上記の懸念は決して「suisaiの総意」ではなく、単なる僕自身の感傷の発露に過ぎない、ということです。
こんなことを考えているのは、もしかしたらメンバーの中でも僕だけかも知れません。
ひとつのグループであっても、勿論、メンバーそれぞれの考えや意見は異なり、試行錯誤を繰り返しながら、ときには重なり合わないまま、ばらばらのまま、歌い続けています。
そして僕は、僕たちが互いに異なること、ばらばらであることに、それ故の希望を見出しています。
敷衍して、suisaiの演奏を聴き、関わってくださるひとりひとりの皆様についても、同じことが言えると思います。
ひとりひとり、抱くものがばらばらで、異なる。
だからこそ、希望がある。
独りじゃないと思える。
僕は自分ではない誰かに、うたを届けたい。
このことについては、またどこかで書くかもしれません。
ブログ開設にあたって、僕が何よりもはじめに伝えたいのは、
これから様々な投稿をしていくこのブログも含めて、suisaiの活動のあらゆる事柄は、決して「唯一の答え」ではあり得ない。
ということです。
「私たちはこんなグループです」
「この歌はこんな歌です」
「実はこんな意図を持って」
などと、suisaiの演奏が、語る言葉がここに綴られたとして、
たとえばそれらが「僕達にとっての答えの一側面」であったとしても、
それがそのまま「皆様にとっての答え」になってしまうとしたら、それは語らずにひとりきりで心にしまっておくよりも尚のこと、さびしい。
そのうたや言葉が、ひとりひとりの元に届くとき、皆様の心に浮かぶものがむしろ、僕等が探したいものだから。
誰も、自分の姿を自分では見ることができないように。
自分以外の誰かの眼差しを通して、新しい自分を見つけたい。
皆様にどう映るのか、聞えるのか。
心がどんな風に揺れたのか。
僕はそれを問いかけたい。
「問い続けること」に、大きな意味を感じます。問いが無くなった瞬間に、死んでしまう、と思うほどに。
解き明かせないものを追いかけて、問い続け、問われ続け、謎を孕んでいたい。
だからどうぞ、
あなたの目に何が見えたのか、
あなたの心に何が浮かんだのか、
僕等の言葉をそのまま飲み込んでしまうのではなく、
あなたの声で、あなたの言葉をきかせてください。
読んでもらうだけでも果報なことなのに、その上「こう読んでくれ」と要求までするなんて何事か、と腹を立てる方もいらっしゃるかも知れません、申し訳ない思いです。
しかも「信じるな」という言明そのものだけは信じてほしい、という矛盾も。
ただ、これが僕の在り方です。
僕はsuisaiの活動を通して、皆様一人ひとりのこころと、しずかな話をしたい。
ぜひ皆様の言葉で、どんなものが見えたか、どう感じたか、この場でどんどん感想をお寄せください。
簡単に言えるなら初めから簡単に言え、という話です。これもどうも申し訳ない。
これから様々なことを綴っていくこの場所。
一緒に描いていきたいんです。
どうぞ、心の絵筆を手にとって、
皆様の声をきかせてください。
改めて、これから、どうぞよろしく。
それでは。
また、ここで。
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