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この世に悪が存在する理由 不滅の魂の系譜

もしこの世に神様のような「至高の存在」がいるのであれば、なぜ自然災害や戦争や殺人事件のような「良くないこと」がこの世界で次々に起きるのでしょうか?

今もパレスチナのガザ地区では、年端も行かない子供たちがイスラエル軍の空爆や砲撃に晒されて「非業の死」を遂げていますが、神(パレスチナ人であればアッラー)を信じている信仰心の篤い子供たちが、なぜこんなにも理不尽な目に遭ってしまうのでしょう?

もちろん、理不尽なのは戦争だけに限りません。

歩道をただ歩いていただけなのに、酔っ払いの暴走車に突っ込まれて亡くなる人もいますし、酒も飲まず、タバコも吸わず、ずっと健康的な生活を送っていたのに「すい臓がん」になってしまう人もいます。そして、妄想癖のある「無敵の人」に殺されてしまった京都アニメーションのスタッフたち・・・。

彼らの無念を考えると「この世に正義の神なんて本当にいるのか?」と疑いたくなるのは仕方のないことではないでしょうか?

これは宗教や哲学に関心を持つ人であれば、いつか必ずぶつかる根源的な疑問であり、この問題を避けて先へ進むことは決してできません。

カトリック信者として知られる小説家の遠藤周作は『沈黙』という作品の中で「何もしてくれない神様」に対する強い不信感を表現しています。

2016年にマーティン・スコセッシ監督によって映画化もされているので観た方もいると思いますが、拷問の末に次々と殺されて行く「隠れキリシタン」たちが必死に神に助けを祈っても「何も起こらない」という理不尽さが、残酷なまでに描かれていました。

タイトルの「沈黙」とはつまり「神の無言」に対する強い抗議の意味が込められているのですね。

「悲惨な事件が起きるのは、この世に神様なんていないからだ」と言ってしまえばそれで議論は終了なんですが(笑)、それだと「この世は秩序のないカオス(混沌)状態」という話になってしまいますので、あまりお勧めできる考え方ではありません。

私は占星術の世界に長くかかわっていますが、ホロスコープに暗示されている運命と「個人の実際の人生」が完璧に一致するという場面を何度も目撃しています。

それは決して「偶然」で片づけられるレベルの話ではありません。

つまり、この世界に「秩序」や「天に与えられたシナリオ」は確実に存在していると推測されるのですね。

ではなぜ、秩序あるこの世界で「目を覆いたくなるような悲劇」が繰り返されてしまうのでしょうか?その「理不尽なシナリオ」を書いるのはいったい誰なのでしょう?

キリスト教系の団体の中には「災害を発生させているのはサタン(悪魔)であって、神本人のご意思ではない」と説明をする組織もありますが、全く論理的な説明になっていません。この説明で納得できる人がいるとしたら、「自分の頭で考える能力のない愚かなカルト信者」ぐらいなものでしょう。

だって、サタンの悪辣な行為を止められない時点で神は「全知全能ではない」ということの証明になってしまいますよね?神のご意思でないことがこの世に平然と起きるのであれば「神はサタンの行動を抑制できない無能な管理人」って話になるはずです。

なんでそんな「能無しの役立たず」のために毎日祈りを捧げなくてはならないんですかね?犯罪被害者なら「管理不行き届き」で神様に対して民事訴訟を起こしたい気分でしょう。

そもそもの話ですが、そのサタンをこの世に生み出したのは「創造主である神」のはずです。息子のしでかした不始末に対して「私は一切関係ありません」とは言えませんから、「悲劇は神のご意思ではない」なんて言い訳は通用しません。もしサタンという存在が実際にいたとしても、それは「全知全能である神の意思の代行者」でなければ辻褄が合わないんですね。

要するに、神は「すべての結果を知っていて放置している」か、あるいは「神自身が災厄を起こしている」のです。

いったい何のために?

今回はこの「なぜこの世に悪が存在するのか?」という疑問について真面目に検証して行きましょう。

私自身、13年前に東日本大震災を経験しましたが、私が当時住んでいたのは人的被害がもっとも大きかった宮城県石巻市です。

東日本大震災全体の死者は2万2千人(関連死含む)ですが、石巻市単独での死者・行方不明者は3819人にも上ります。

人口たった16万人の小さい街でこれほどの死者が一度に出たのは日本の災害史上、他に例がありません。町中の誰もが「知り合いの誰かを亡くした状態」であり、当時はあまりの現実感の無さに、まるで夢の中を歩き回っているようなフワフワした感覚さえありました。

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