2009年入院日記 66日目~
2009年5月20日 入院66日目
昨日の夜から寝付きが悪く、夜勤の人の巡回を待っては脅かしてました。
予告してたのでそんなに驚いてはくれませんでしたが。
そんで今朝は5時起き。
メグちゃんが起きてるのにはびっくりした(二度寝したみたいだけど)
朝からちゃんとメイクして、昔の習慣だった早朝の紅茶をゆっくり飲んで、最後の早朝喫煙。
明日にはもうあたしはいません。
朝の集いで退院の挨拶をしたけど、伝えたいことの半分もうまく言えなかった。
でも、色んな人に手紙を書いて、それで伝えたいことは伝えたからいいかなって思った。
午前中のOTでも相変わらずクリアできないゲーム。
母が一時間遅れるという連絡を受けたので、許可をもらって持ち出してました。
ちなみに午前中であたしの居場所はなくなりました。
荷物は診察室に置いて、お部屋大移動。
うちの部屋は人気が高いなぁw
退院前の診察とかどーなったんだっけ?と藤島さんに聞いたら、朝の回診がそうだったみたいですwwwwwwwwwwww
あ、だから書類にサインしたんだね…
院長!忙しいのは分かるけど!もう大丈夫って信用してるのは分かるけど!
もう少し手をかけてよwwwwwwwwwwwwwwwwww
まぁ、いいけどね。
多分泣いちゃうし。
昼は最後の晩餐(晩、じゃないな)スペシャルメニューの手打ち蕎麦と和風ミニパフェ!
うまうまうまうま…
やっぱり食べて帰るって言って良かったw
ゲームをやりながら待ってたら、ようやく母登場。
午前中に事務手続きは済んでるらしく、あとは会計のみ。
さっっくり終わらせて、あっっさり退院。
タイミングが悪くて、患者はメグちゃんしか見送りがいなかったけど、でも、それはそれでいいかなって。
だって、みんなあたしを嫌いで見送りに来なかった訳じゃないって知ってるし。
嫌いならあたしと関わらないだろうし。
そのかわり、デイルームに書置きを残していきました。
無期限の外泊届ですw
帰ってから、色んな人からメールや電話がきました。
沢山心配かけましたが、無事退院しました。
ほんの少しだけ成長して戻ってこれたと思ってます。
胸を張って『ただいま』が言えます。
いいスタッフ、優しい患者さんに恵まれて、いい環境で治療できて、みんなに可愛がってもらえて、あたしは本当に幸福者です。
この先多分もう会うことはないでしょうが、あたしの人生を彩ってくれた、素敵な出会いがたくさんありました。
ありがとうございました。
これにて入院日記は終わりです。
さぁ、今夜は眠れるかしら。
2023年2月 おわりに
入院した日は3月なのに春の訪れすら感じない寒い日でした。厚手のモッズコートを着て。寒さに首をすくめて。
でも、退院した日は夏の気配がする日で、半袖に薄手のカーディガンという恰好でした。
私が病院という温かいお湯の中に浸かっている間に、それだけ季節が進んでいたのです。
そりゃいい加減成長もするだろう、という。
ちなみに、帰りの車でずっと泣いてました。
淋しいのか不安なのかよくわからないけど、声を上げて子供みたいにわあわあ泣いてました。
母にたしなめられましたが、泣き止みませんでした。
それだけ、私にとってあの病院は安心できる場所だったのです。
書こうかどうか悩んだのですが、どうしても書きたかったことだけ。
日記にないこと。
患者ミーティングでうつ病の方が「ゆってぃという芸人さんの『小っちゃいことは気にするな、それワカチコワカチコ!』という芸で『ああ…本当にそうだな、小さいことはきにしなくていいんだ…』と気が付いた」と言っていたのを今でも覚えてます。
私もその精神で生きてます。小さなことは気にしません。たまに気にしろって言われますw
登場人物について。
入院中の関係者の方々はイニシャルだとわからなくなるので、名前が出てますが、全員全力で仮名です。
ただ、私が誰の事かわかるようにちょっとだけ本名に近かったりします。
でも本人は推測できないと思います。
入院以外の実生活でつながりのある人はイニシャルです。おそらくこれは本人が見たらわかると思います。
でもここ見てる人の中に実生活でつながりのある人はほぼいないはずなので、「自分のイニシャルがない」とかそういうのスルーしてください。
こっちも色々あるのです…
登場人物のその後について。
本当は入院時期がかぶっていた人と退院後に連絡を取り合うのは病院のルールで禁止されています。
なのでもともと頻繁にとっていなかったのですが、十数年の時が経ち、いつの間にか誰とも連絡が取れなくなりました。
案外、そういうのの方がいいのかもしれませんね。ちゃんと前に進んでるってことで。
ちなみに私ですが、退院して数か月後に仕事も決まり、長期出張してた彼も帰ってきて順風満帆!だったのですが、
それから数年後、別れてしまい、現在は別の人と結婚しています。その人は入院するよりも前からの知り合いでした。
まさかこんなことになるなんて2009年の私は想像もしてなかったです。
現在は「はじめに」にも書いた通り、寛解といっていいと思うレベルです。
たまに眠れずマイスリーにお世話になることもありますが、3か月かけて10錠飲み切るくらいの頻度です。
入院中にライブに行ったり結婚式に参列したり、他の患者さんからしたら「こいつどこが悪いの?」と思う事もあったでしょう。
なんなら入院中なのにmixiのカラオケオフ会(地元開催)に参加しようとしていました。
結局退院してからの参加になりましたが。
こんなに色々動いて回れるなら入院はいらなかったのでは?と思われるかもしれませんが、その時の私にとっては、今ある日常から距離を置いて、自分を見つめなおす時間が必要だったのです。
なので最初の方は一人になったりそれなのに疎外感で泣いたりしていました。
入院するまで孤独…というか、誰にも繋がってない状態が嫌いでした。
でも、退院してからは、誰とも繋がらない状態も苦痛に感じなくなりました。
独りでの身の置き方を学べたのだと思います。
そう考えると、やっぱりあの66日は必要だったのです。
たまに戻りたいなと思うこともありますが、同じ病院に戻ってもあの日々は戻りません。
なので、これからも恥じない自分でいられるよう生きていきます。
2023年2月16日 狩島暁南
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