やっぱり苦手な人間が身内にいる。

依存対象がいるうちは私に興味は皆無で、依存対象がいなくなると必死に依存する。
悲劇のヒロイン体質が抜けず、外面だけは恐ろしくよく、自分の気に入らないことはひたすら当たる。


それが私の母である。

私は多数の確定診断を持っているし、心配するのもわかる気はする。あくまで気がするだけだが。
しかし、この状態を生まれてからずっと経験しているためにLINE1つで彼女の依存対象の有無がわかってしまうようになった。


私が3歳で父と別居してから自分1人で2人の子どもを育て上げたという自負が彼女にはある。しかし、実際は実家に帰り祖父が建て増しした母屋の2階に住まわしてもらい、なにかあれば祖母が面倒を見るという状態だった。
このことを知っている彼女の友人は偉そうなことを言ってると貶していたこともあった。


家に彼女の彼氏がいるのも当たり前だったし、なんなら子どもより彼氏のご飯が先に出てくるのも当たり前だった。
家にいないのこともよくあり、その当時病状がひどく運転を禁止されていた私を置いて遊びに行き、携帯の電源も切っていたので仕方なく事故を起こすことを覚悟で片道1時間の道を運転して病院へ行き怒られることも多々あった。


私の友人には通称毒ちゃんと呼ばれていることは彼女は知らない。


そして彼女の1番おかしいと思った出来事が起きたのが高校時代だった。

私は地域では有名な進学校に入学することができたが、入学してすぐに進学は叶わないということを知らされるのだ。
うちにはお金がないと始まり、私はバイトをして学費を払いながら通学するという羽目になるのだ。


進学校故に予習復習は当たり前、授業前には教科書を読み込んでおくのは当然のことだし、理解して置くことも当然。授業なんぞ答え合わせくらいのものなのだ。
授業→バイト→勉強→睡眠→授業…エンドレスで続くこのルーティンのうちの睡眠に割ける時間は少なく、それでも奨学金をもらってでも大学に進学したかった私はやるしかなかった。


三者面談は担任と彼女が二者言い争いしているのを一者の私が傍観しているという謎の光景だけがただただ続くという地獄絵図でしかなく、進学できないのに毎週のように週末に組み込まれている外部の模試を受けながら志望校判定のところに書く大学がないなぁと悩んでもいた。
進学どころか家を出ることすら反対されていて、何があっても家から通える範囲と決めつけられてやりたいことはなにもできないんだって思っていたし、看護学校に進学はしたものの実際は看護の勉強よりもやりたいことがあった。


看護は国家資格だし、一生お母さんは苦労しない。あんたに子どもが生まれたらあんたが働いてお母さんが子守りするから。


多分のこの言葉はこれから一生忘れることはない。
全てを取り上げられる恐怖はここから生まれたし、看護学校に行かせたのは当時の彼氏のおくさまが看護師だったからではないのかと今では思ってしまう。


大学受験もセンター試験が終わると国公立の二次試験や私立のセンター試験利用の試験や一般入試が本格化する。
センター試験の自己採点結果に同級生たちは一喜一憂し志望校がどうだ、滑り止めにここを受けようなどとみんな必死になっている中で私だけは1人なにもできずただ眺めているだけ。
看護学校の一般入試を控え、一応記念でセンター試験は受けたものの担任からきつい一言が飛んできた。


専門学校受けるとかお前はバカか?


あ、そうか…うち進学校だったわ…医療系志望してる子でもみんな大学志望だわ…私だけなんだ…

頭の中になんでここに入ったんだろう、なんで彼女の子どもとして生まれたんだろうと思って職員室の前で号泣してしまった。
どうしても奨学金を使ってでも、2部でも大学に進学して好きなことをやりたいと通いに通いまくった進路指導室の主任の先生が「きみみたいな真面目な志の生徒が犠牲になるのは僕も辛いよ」と肩を叩いてくれたことだけが救いではあったけど、予備校に行くこともできずに足りない部分や苦手部分を消滅させるために放課後に職員室で指導してくださってた先生たちにも申し訳なくてボロボロに泣き崩れた。


そこで私の中の何かは壊れた。
看護学校も結局辞めてしまったし、彼女への恐怖心や苛立ち、しつこく依存されることは未だに嫌いだ。
それでも家族として守らなきゃいけないという大きな石を背負って残りの人生を生きていかなきゃいけない。
そう考えると気持ちは落ちるから、ロラゼパムを飲んで眠りたいと思います。

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