月イチ恒例お兄パック

私の兄(44歳自閉症、ただいま授産施設に入所して毎日パン作りしている人)は、このコロナ禍の影響で帰省がなくなり毎日モヤモヤを通り越して癇癪を起こしそうなのを我慢して生きている。


毎日20時前後に母に電話があるのだが(施設の公衆電話から1日20円だけと決められていて、20年守り通している)、ここ数年出なくなっていた「うーっ」と唸るのが最近出そうになっているそうだ。


兄は自分で施設に入居することを決めた。
パン工房でパンを作ると張り切って。


それから20数年、不慮のインフルエンザなどは除いて毎日パン工房で働き、土日のパン販売には進んで行っているとのことである。


それが今年のコロナで1年の兄のスケジュールが大幅に狂ったのである。


自閉症さんには1日のルーティンがあり、1年のルーティンがある。何時に起きる、何時にご飯を食べる、何時にお風呂に入る、何時に寝る、何日に自宅に帰る、何日に施設に帰る……それが狂えば兄は不穏と戦わなければならない。


その兄のために私がやっていることがある。
月イチ送る「お兄パック」だ。


80~120サイズの箱に洋服やお菓子をひたすら詰め込んで施設に送り付けると言う私だけが自己満足でやっているものから、兄に大切なルーティンになった。

今年の年始にお年玉代わりに私が好きなブランドのパーカーを兄にプレゼントした。赤と黒半々のパーカーを。
兄は赤が好きだし、赤が似合う。妹の勝手な思い込みかもしれないが。
そのパーカーは黒と何色なの何種類かあるのだが、兄は嬉しそうに赤を取りニコニコしていた。色違いで家族3人で着て写メを撮ったのだが、その中でも兄はニコニコしていて、着る?と聞いたら着ますね!と言って脱がなかったのでそのままあげることにしたのだ。

兄が帰るよりも先に私は東京の自宅へと帰省したのだが、帰る日母からLINEに1通の写メが来た。
いつも施設に帰る道にあるファミレスでそのパーカーを着ながらアイスクリームを食べる兄の写メだった。
私は嬉しくて仕方なかった。
そんなに気にいるとも思ってなかったし、自閉症という障碍を抱える兄が果たしてかっこいいとかそういう感覚を持てているのかなとか少しばかり不安はあったし、いつも無難な色の服ばかり着ていたし…と。


それからコロナ禍になり、帰れなくなった兄に布マスクと家にある同じパターンのパーカーと私は着ない白のTシャツを箱に詰めて送ることにした。
せめてもの「大丈夫だよ、落ち着いたら帰れるよ」の気持ちをこめてものものだった。

そんなお兄パックが先日兄の所に届いた。今回は服とパン工房のおやつに食べるお菓子をたくさん入れたものを送った。
先生から連絡はなかったけど届いたみたいだよと母から連絡はもらっていたので安心していた翌日、事件は起こる。


鳴り止まない非通知の電話。
時はもうすぐ20時、着信音の鳴る時間は短いが続け様に私のiPhoneが鳴る。
不思議だったので、母に「そっちに電話はあった?」とLINEをしたところ「ない」との返信。
普段非通知なんて怖くて出ない私が意を決して電話に出る……


兄だった。


「お菓子届きましたね!ありがとう!」


母が入院した時に毎日の電話ができなくて私の携帯番号を教えてはいたし、その時は私が電話を受けていたけれど、今回は自主的に私の携帯にかけてきたらしい。
お兄パックを始めてから初の出来事である。
先生に促されて私へかけてくる時は「今日はそっちに電話が行くよ」と母から連絡があったが今回はそれもなし。
「服ありました!着ますね!」
声のボリューム調節ができない兄の声はシャウト状態で物理的に耳が痛かったけれど、それでも私にありがとうを言うんだと1日20円しか使えない電話代を使って私の番号を押したんだと思ったら、嬉しくて1人で泣きそうになった。泣かなかったけど。

白髪混じりの髪の毛になって見た目もだいぶおじさんになったけど、心と脳は私よりだいぶ若いままで止まっている兄が自発的に電話をかけてきて言ってくれた「ありがとう!」。
兄の妹として生まれ育って、ありがとうなんて本当に何回かしか聞いた事なかったけど、自分から言えるようになったんだなぁっておばさんになった妹は嬉しくなってしまった。

そして自分で「ありがとう」が進んで言えるようになった兄、妹は貴方を支えるために今日も生きている。ありがとう。

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